社会動態インタビューVol.2 - 21世紀社会動態研究所

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社会動態インタビュー Vol.2    
    
 ミサイル、核実験後の北朝鮮と世界、日本
     立教大学教授 李 鍾元氏に聞く
                                          (インタビュー 2009年6月3日)

はじめに
 ~李 鍾元さんへのインタビュー掲載にあたって~
                                                                                              
立教大学教授、法学部長の李 鍾元さんのインタビュー「ミサイル、核実験後の北朝鮮と世界、日本」を掲載します。
このインタビューは、北朝鮮の二回目の核実験を受けて、6月3日におこなったものです。
2時間をこえるお話は、深い分析と示唆に富むものであると同時に、いま私たちが北朝鮮とどう向き合うべきなのかについて深く触発されるものでした。
同時に、36000字になんなんとするボリュームで、まさに質量ともに価値あるお話をうかがえたと思ったものです。

その後、Web掲載に向けて数次にわたるメールでの「打ち合わせ」を重ねました。
李先生からは、あまりにも長すぎること、それゆえにというべきか、一部に、論の展開の稠密さに「散漫」の懸念をぬぐえないとして、そのままの掲載については慎重を期したい旨の意向が示されました。

日ごろから、鋭い分析ときわめてシャープな論の展開で、説得力高く言説を重ねていらっしゃる李先生としては、「冗慢」であったり、いささかでも論の展開に緻密さを欠くところがあるとするなら見過ごせないと、ご自身を厳しく律して言論と向き合っておられる姿を、あらためて知ることになりました。

しかし、私は、一見「冗長」にみえるところも含めて、李先生の語り口もまた重要なメッセージであり、先生の、研究者、専門家としての真摯、誠実な姿勢をもあわせて伝える、価値あるものだと考えました。
その意味で、そうした「余剰」の部分も大切にして掲載したいと、切望しました。

その後、国連の「制裁決議」をはじめ、北朝鮮の核をめぐる情勢に展開があり、李先生からはそうした「推移」を踏まえて、新たに筆を起こして提示することではどうかといった、こころのこもったご提案もいただきました。
そうして、さまざまに検討、思案をかさねているうちに、クリントン元大統領の訪朝という局面に至りました。

インタビューをお読みいただけばわかるのですが、李先生は、局面打開のためにクリントン氏が「登場」する可能性についても言及されていました。
この局面に至って、私としては、Webの運営、編集者としての責任において、インタビューの全内容の掲載をさせていただくことで、李先生のご理解を得るべくお願い申し上げました。

従って、以下の内容については編集者の「文責」において掲載するものであることをご理解ください。

それにしても、時間の経過、事態の推移によってなんら変更の必要を感じない、きわめて的確な分析と展望が語られていることに敬服するばかりです。
また、そうした分析と現状認識にもとづいて、いま私たちがどうすすむべきかの貴重な指針が提起されていることに、このインタビューの意義を再確認した次第です。

あらためて、ご多忙の中インタビューに応じてくださった李 鍾元先生に深い感謝の意を表します。


李 鍾元さんの略歴・プロフィル
1953年生まれ。
韓国 国立ソウル大学 工学部 中退。 1982年日本へ。
国際基督教大学卒業 、東京大学大学院 法学政治学研究科 政治学専攻修士課程終了。博士(法学) 。
東京大学法学部 助手 、東北大学法学部 助教授を経て、1996年から立教大学 法学部 政治学科 助教授
1997年教授。現在法学部長。
1997年『東アジア冷戦と韓米日関係』で第13回大平正芳記念賞。
1998年から2000年米国プリンストン大学客員研究員。
主な研究分野は東アジアの国際関係、アメリカ外交など。
所属学会、日本国際政治学会、日本政治学会、現代韓国朝鮮学会 、アメリカ学会

木村知義:今回の「ロケット発射」から核実験へという動きについて、メディアでは「あいつぐ北朝鮮の挑発行為」という論調が支配的ですが、事態をもう少し冷静に見る必要があるのではないかと感じます。
いま本当に何が起きているのかということについて深めて議論されない。「何が起きているのか」というのは言葉を変えると、いま北朝鮮は何を考えているのかということになると思います。
2006年10月に核実験を行い、その後、曲折はありましたが、6者協議が大きく動いて北朝鮮が核の放棄に向けたプロセスを提示して放棄に向けた「初期段階」にすすみ、アメリカは「テロ支援国家の指定解除」ということになりました。それがここにきて「ロケット発射」から核実験へということになったわけですが、これは本質的にこれまでとはステージが変わったのか、あるいはそうではないのか、どうとらえるべきなのか、李さんはどうお考えなのでしょうか。

李 鍾元さん(以下敬称略):そうですね、基本的にはまだ推測を重ねるしかないのですが、六者協議の最後のプロセスと重なってアメリカの政権交代、それに金正日総書記の健康問題が急浮上というタイミングが重なって、去年のある段階から北朝鮮で相当危機意識と不安感が広がっているという印象があるのですね。

振り返って考えるとますますそういう印象が強くなってくるのですが、ひとつは健康不安というものをきっかけにして北朝鮮内部の将来に対する不安感、特に総書記の健康問題が表面化してからそのような不安が広がって、今後国内体制がどうなるのかという危機意識ですね。やはりこれを引き締めなければならない。
その関連で、これまでは後継体制についてはあまり議論しなかったけれども、後継体制の議論を本格化しながら、より早めに、目に見える形で次の準備をするということが慌ただしく起きたということですね。

もうひとつは、日本では北朝鮮は依然として閉鎖体制だとされていますが、たとえば南北関係、韓国との関係で言うとこの十年いろんな交流が進みました。韓国の関与政策と太陽政策で北朝鮮も経済的な利益があったので、工業団地をつくったり、開放したり、観光客を入れたり、それで一定のドル収入があったけれども、北の中の強硬派や軍から考えると体制が相当ゆるんだと、これはここ数年ちらほらとそういう話があって引き締めの動きがあったりしたのですね。

党と国家が弱まったので自発的に市場メカニズムが広がった。自由市場が増えたり、中国からの物が入ったり、人民も、もう国家が面倒を見てくれないので自分で農産物をつくって取引しているようなので、言ってみれば市場体制がかなり緩んだ。

また韓国との交流が盛んになるにつれて、最近の報道では、北の中で韓国に対する依存心とか韓国に期待する気持ちといったものが蔓延しているといいます。人民だけではなく幹部の中にもということです。あるいは北でも「韓流ブーム」が言われ、韓国のドラマとか韓国の情報が、公式には禁止されていても庶民の中に広がったりしたということがあります。

これらはひとつの例だと言うべきですが、中長期的に見れば北の体制が相当ゆるんだ。つまり、外との関係、韓国との関係を進めた結果、経済的な収入は少しあったけれども、体制がだいぶおかしくなったのではないかと、さらに、それに健康不安が重なったので危機状況だと、早急に対応しなければならないとう議論が浮上したような気がします。

それともうひとつは、これらと関連しますが、期待したほど対米関係の改善がすすまない。対米関係の改善というのは北のこの15年間、冷戦終結後の一貫した目標ですが、北の体制の生存のためにも対米関係の改善というのは一番重要な要素であると考えていると思うのですが、それが「枠組み合意」を結んでもなかなかすすまない。そこでもう一回ブッシュ政権のときのやりとりをとおして、核協議、核実験を行ってやっと2007年から6者協議がはじめて本格化して、初期段階とか次の段階とか、6者協議の枠組みの中でアメリカとの関係改善に向けたいくつかのプロセス、ステップがスタートした。

けれども、もちろん北朝鮮が条件をより厳しくしたということもあったけれども、アメリカとの関係がなかなかすすまなかった。

一方、アメリカのほうでも依然として強硬派が存在していて、検証のハードルを高めたりしていく。核の無能力化で、北朝鮮なりに譲歩したと思っても次のステップに行くのが非常にむずかしいとなる。すると、このように核カードを使ってアメリカと交渉していても、時間はどんどん過ぎていくが実体的な進展が見えないという、ある種の焦りと閉塞感が生じていたということですね。そうしたことが重なって、つまりそのような危機意識の下で、去年から、ある種の強硬論が浮上してきた。

その強硬論というのは体制を強化していくという方向に傾き始めたというものですが、今年になっていろいろと表面化しました。軍が表面に出てきたとか国防委員会を強化したとか、体制の強化の動きがあるのですが、おそらくその意味では体制がゆるんだり、指導力が弱まったりしたのでもう一回強さを誇示しなければならないということでしょう。

一方で、北朝鮮はオバマ政権に期待はしたのだろうと思いますが、オバマ政権は期待したほど中身をもって米朝交渉には応じてこない。これまで期待したほどアメリカとの関係がすすまないことで北朝鮮は相当焦りを感じていたと思いますが、さらに焦りを強めていく。

そうなると北朝鮮にとっては、選択肢は二つ。
基本的には、アメリカが真剣に応じてこないのはおそらく北朝鮮の核能力、ミサイル能力に対しての低い評価があるのではないか、核、ミサイル実験を一回もしくは二回したけれども、完全な成功ではなく不完全であるということがあるかもしれない、北の持っている能力、実力を低く評価しているのでアメリカは真剣に交渉に応じないのではないかと。
そうすると国内の士気を鼓舞したり強さを誇示したりする効果も兼ねて核、ミサイル能力をより高めて、つまりそのインパクトも利用するけれども、現実的な技術水準も高めて、それが自らの抑止力にもなる。自らの抑止力を高めてその土台を築くとともに、核能力を高めて誇示することでアメリカが交渉に応じてくれば、強い立場で交渉に臨むことができる。

もしそれでもアメリカが本格的な交渉に応じてこなければ抑止力としてより完成度を高めていく。
そういう意味では核カードと核保有、抑止力の両面を持った動きだと思いますが、以前に比べて、申し上げたような危機意識と焦りというものが一体になっているので、動きが非常に慌ただしく、かつ、非常に強硬な動きのように見えるということだと思います。

以前、北朝鮮にもう少し余裕があるときには、ゆったりしたゲームを展開したのですね。
カードを細かく切って、少し見せてアメリカの反応を見て次に行ったり、アメリカが応じてこなければ自分の能力をもう一回高めたりと、これを、非常に長いスパンでの議論をして、ゆっくりしたゲームをしたのだけれども、今は大きく違うのはアメリカの反応をいちいち待たずに自分が必要と思っている能力の実験をどんどんすすめている。そういう意味では非常に急いでいるというか焦っているというか、動きが急で、動きが急なので非常に強硬に見えるということだと思いますね。

ですからこの間の動きは、危機意識と焦りの意識に基づいて、内部では体制を固め、核能力を高めながら、高めた核能力でアメリカとより高いレベルでの交渉を求めるというもので、もしアメリカが交渉に応じてこなければ、自分の安全のためにより抑止力を高めていく、そういうことだと思いますね。

で、焦り始めたということについては、直接的には去年の健康不安からよりあわただしくなりましたけれども、その前から、去年の初めぐらいからと言えると思います。

「2012年を強盛大国の大門を開く・・・」と、これは強盛大国を完成すると言っているわけではなく入口だというわけですが、とにかく大きなステージに入ると、それを2012年だと明確に言いはじめたのは去年の「新年共同社説」からだと思います。
「強盛大国」という言葉は以前から使っていましたが、2012年という年を区切って期限を自ら設定した。
2012年というのは故金日成国家主席の生誕百周年というシンボリックな年であるとともに金正日総書記が70歳になる年でもあるということで、ある意味で節目の年です。「強盛大国」というスローガンは国内を奮い立たせるためのものでもあるのですが、2012年は否応なしに金正日体制から次の体制につながるような大きな節目であるということで目標を設定したと、その時までに内外に向けて体制の基盤強化を示さなければならないということだと思います。

その強化の内容はいろいろあって、スローガン的には「先軍政治」だと言っていますが、現実的に考えると、まず経済の立て直しだとか、ゆるんだ体制を政治的に強化するといったことも当然必要になって来るでしょう。となると、国内の経済を立て直すためにも体制の安全を確保するためにも、対米関係の改善が必要になる。そう考えると対外関係でも、2012年までには少なくともアメリカとの関係に一定の決着をつけないといけないということになる。

また、たまたま偶然かもしれませんし、あるいは北朝鮮が意識しているかもしれませんが、2012年というのはオバマ政権の一期目の終わりですね。だから、言ってみれば、オバマ政権、民主党政権期の2012年までに対米関係においても一定の枠組みを、土台をつくることが必要だ、それが国内の安定、経済の立て直しのためにも必要になるということでしょう。

そうすると、そこから逆算すると、米朝交渉はかなり時間がかかるので、早めに仕掛けて、早めに交渉を始めて、2012年までにめどをつけなくてはならないという、おそらくそういう発想だと思います。

そう意味でも急がなくてはならない。さらに、繰り返しですが、去年の健康不安から、いつ、何が起きるかわからないというので、緊迫感を持って国内体制の強化と対米関係の改善というふたつを同時にすすめようということになった。
同時にすすめるための重要な部分が核、ミサイルだということ、これは両方に使える手段だということになったのだと思います。基本的な構図はこういうことだと思います。

ですから今はアメリカとの交渉のためにも細かいやり取りはせずに、自らの力を高めていく、これに専念するという意識だと思います。

これがどこまで行くのかはまだ見えないところがあって、もう一度核実験にまで踏み込むのか。少なくとも弾道ミサイル、これはこの前不十分な実験で終わったので、私は高い確率で、ロケットの第三段階の技術を完成させる弾道ミサイルの実験はあると思うのですが・・・。

ただし、メディアなどで言われているように、北朝鮮は核保有にかじを切ったと強調しすぎるとこれはもう交渉の余地がない、何を言っても北朝鮮は聞かないのだ、打つ手がないということになってしまう。わたしはまだそういうことではないと思うのですね。

もう交渉の余地がない、打つ手はない!ということを言うのは、今現在、アメリカ、日本や韓国が何もできないでいることを正当化することになる。つまり状況が改善できないのはアメリカや日本、韓国のせいではない、北朝鮮のせいだというメッセージになる。

本来は、仮に北朝鮮がそうであったとしても、それを止めるための努力をすべきだと思いますし、もうひとつ、さらに深刻だと思うのは、北朝鮮は核保有に突き進むのだ、何もできることはない、交渉はできないと言うことになると、残るのは軍事手段か、止めるとなるとそれこそ戦争覚悟で国際的圧力を加えて臨検だとか最終的手段に訴えなければならない、軍事衝突覚悟で本格的に追い詰め、圧力をかけなければならないのではないかという議論に、これは当然、論理的にそういう議論になってしまう、ということです。
それが紛争、戦争を意味してもそれしか手段はないではないかとなる。

もうひとつは、戦争、紛争は厄介なので、とりあえず核が広がらないように包囲網をつくって備えようということになる。

この「備え」論はミサイル防衛ということになるわけで、軍備の増強ということです。これを唱える人もいる。北とは交渉しても意味がないので備えましょうと。
何もしていないことを正当化すというのは付随的なことだと思いますが、つまりこういうことになるのだと思いますね。

ですから私は、北朝鮮は核保有に大きくかじを切ったのかということについては、少なくとも短期的にはその要素が高くなったのは事実だとは思いますが、不可逆的に北が核保有にかじを切ったという見方にはまだちょっと同意できないところがあります。

北が核保有に突き進むという議論が内包している意味が懸念されるのです。

北は核保有に踏み切った、不可逆的なものだと強調すると出てくるのは結局、軍備拡張、つまり核武装論とかミサイル防衛論、敵基地攻撃論といった一連のある種の軍拡路線を正当化する論理になる。あるいは論理にまでならなくともそういう観点を持っている人々からは、そういう議論になる。

さらにもうひとつは、より強硬な人たちは北朝鮮を圧迫してレジームチェンジを求めるべきだとなる。
まあ一時期よりはレジームチェンジ論は弱くはなりましたが、まだどこかには金融制裁であるとかいろいろな手段で追い詰めるべきだという議論はあるので、そういう人たちからすると、不可逆的に核保有にかじを切ったということが強調されることになるとレジームチェンジ論が、また、出かねない。そういう意味では私は懸念するのです。

そして、実態はわかりませんが、一方の北朝鮮の中にもそういう人はいるのですね。やはり軍の強化は核抑止力に頼るのがいちばんいいのだという議論はあるのです。そうした議論があることはあるのですが、私は、北朝鮮はすべての関係を完全に遮断して、制裁を覚悟して核抑止論、核保有に向かって突き進むという力はない、そういう状況、条件がない、それが北のジレンマであり弱さであると考えます。それがこれまでの北の核開発のプロセスを見ると如実に表れていると、私は思うのです。

いまは、短期的には、多分、戦術的にこの段階は関係を遮断して核保有論に突き進むかのような姿を見せている、いまはそうだけれども、これは限られたものであり、やや演出されたところがある、と私は思います。これは交渉カードとしても有効なもので、もうなにがなんでも突き進むぞという、これは「チキンゲーム」でよく使われる手なのですね。

国際政治でチキンゲームという「衝突ゲーム」に行くときには、車を走らせてどちらが先にハンドルを切るのか、怖くなったほうが先にハンドルを切る、それが「チキン」で負けになるというわけですね。1970年代でしたか、アメリカではやったゲームで、若者がゲームで勝つときによく使った手がいくつかあって、それは車を走らせるときに相手に見えるようにウイスキーの瓶をどんどん投げる、つまり「俺は酔っ払ってるぞ、正常じゃないぞ!」と、スタートする前に相手に見せる。そしてエンジンをかける、すると相手は「ビビる」というわけですね。

もうひとつ、これは本当かどうか知りませんが本で読んだのは、車を走らせながらいきなりハンドルを抜いて投げる、もうコースは変えられないぞと、あとはアクセルだけだと見せるわけです。いま北朝鮮がやっているのはハンドルを投げているようなものなのですね。本当にハンドルを抜いて投げているのか、そのふりをしているのか、私はまだわかりません。多分戦術的なものだろうと思うのです。

なぜ突き進む力がないかと言うと、北朝鮮は核兵器だけで国内が安定し立て直せるかというと、その逆であって、これが北の悩みであり弱みだと言うべきです。
ですからある時点ではどこかで止まって、手段として別の大きいゲームを、ディールを求めるカードを多分切って来るでしょう。

これが以前はすぐサインが出ましたが、つまり2006年の核実験の後には一カ月以内にサインがあって、それで米朝の水面下の交渉が始まって、年末に北京かどこかで協議をして、年明けの一月にベルリンでの合意につながったというように、速いスピードでしたが、今回はもう少し時間がかかるかもしれませんね。

北はもう少し時間をかける。しかも後継体制の動きがからんでくるとなると国内のカレンダーがかかわってきてもう少し引っ張るかもしれません。

引っ張る間に、材料としては各種類のミサイル、ICBM大陸間弾道ミサイルだけではなく、中距離ミサイルの実験をまだしていないので多分やるだろう。また韓国に対する軍事的な圧迫を強めるなど、相当ゆさぶったりするかもしれないと思います。

それらは懸念ではあるのですが、多分それもまた限られた範囲内だと考えられます。
これも、基本的には、北朝鮮には力はないということを端的に示していると思いますね。北が本格的に核保有をめざして、念願としてやりたいと思っているならば最短距離でやれるはずだったのですが、最短距離でやっていないのですね。

これはそうではないと言う人もいるかもしれませんが、北朝鮮の核開発のプロセスが表面化した1989年、90年のころから考えても、行きつ、戻りつ、途中で「凍結」があったり「無能力化」があったり、進むようで止まったりした。

その、止まったというのはカードとして使ったので止まったわけですね。
もちろん疑いを持っている人たちからすると、その裏でウラン濃縮による核開発をやったとかいうわけですが、大きい部分では止めたわけで、北朝鮮の中にもそこにはずっと不満があるわけです。軍の強硬派の中には、アメリカとの交渉でいろいろ邪魔をされて、カードにされたので核開発が大きく遅れた、ミサイルも思い切り撃てなかったという不満があると聞いていますが、その通りで、北朝鮮の核開発を見ていると、これまで核を開発した五カ国とインド、パキスタン、それにイスラエルは核実験はしていませんが、核保有国五カ国とインド、パキスタンの七カ国の例を見ると、前もって宣言をしたり他の国と交渉したりしたという国はひとつもありません。

核保有の強い意思と能力のある国はみんなずっと黙って開発をして、ある時期に突然複数回実験を行って、パキスタンは1998年に6回行っています、特にプルトニュウム型は理論は簡単ですが設計と実際に作るのは非常に難しいものなので複数回実験しないと実戦配備が難しいので、普通はそういうコースなのです。複数回実験をして、宣言しなくても実態的に核保有国になるというわけです。

しかし北朝鮮は以前から「宣言」したり、アメリカに見せつけるかのように誇示したりして、プルトニュウムを取り出しますとか原子炉を止めますそれでもいいですかといったふうにして、それは困ると言うとまた交渉したり、また止めたりして経済支援を取り付けたり、制裁を緩和させたり、カードとして使って、カードとして使うことがうまくいかないと、また戻って次のステップに行くというようなことになる。

このように、非常に複雑な経路をたどったのは、北朝鮮としては純軍事的に考えると最短で核保有に走りたかったけれども、特にソ連の「核の傘」がなくなった1990年代はじめ以来冷戦終結後は、軍事的に考えると核抑止力は本当に欲しいと思うのですね、純軍事の論理からすると最短距離で核保有と実戦配備まで行きたいのだけれども、その軍事の論理だけで走れなかったのが北朝鮮の悩みで、核、ミサイル軍事力を政治、外交、経済の手段として使わざるを得なかった。これが北朝鮮の体制の弱さであり悩みだった、多分軍の不満だと思うのです。

ですから、外務省、外交関係、経済の分野の人々にとってはこの能力をどこかで売ろうとか、交渉で関係を改善したり経済支援を取り付けたり、そちらがいま北朝鮮にとっては必要だという議論なので、核をカードに使ったり保有を戻したりというように複雑な千鳥足のような経過をたどらざるをえなかったというのは、北朝鮮の置かれた客観的な状況によるというべきです。

そういう意味では北朝鮮が核保有をめざしているというのは、主観的な意図とかあるいは願望とか、念願としてはあるのでしょうが、この15年のプロセスを見ると、その意図通り、カレンダー通り、予定通りには進んでいないということです。それが北朝鮮にとっては弱さであり、周りもその意味では圧力を加えたり、止めたり遅らせたりということをしてきたので、核問題がここまで長引いたということ、北朝鮮の核開発のプロセスをある意味では遅らせてきたということになります。

その遅らせ方が、あるいはなくし方が不十分だったので2回目の核実験まで踏み切ったということですけれども、私が強調しておきたいのは、北朝鮮には核開発の主観的な意図は確かにあるのでしょうが、能力が限られているので、環境のプレッシャーというか、これには圧力とインセンティブがあるのですが、つまり周りからの働きかけ如何によって、北朝鮮の核開発プロセスのスピードとか、核能力の程度とかの制御、あるいは最終的には非核化ということも十分可能な理由がそこにあると、私は考えるということです。

これが他の核開発をしてきた国との顕著な違いだと思うわけです。
ですから北朝鮮の核開発は周りの対応で一定程度コントロールして、最終的には取り除ける可能性が依然あると思います。

あえて敷衍すると、北朝鮮の核能力をいますぐ完全にゼロにするというのは、これは非常にむずかしい。核能力というものにはさまざまな段階と側面があるので、北朝鮮の非核化、核放棄という場合にもおそらく段階がある。より大きな目に見える核の能力もあれば、裏で秘かにウランの濃縮をしているのではないかという疑い、これもある種の核能力ですが、これがすぐ兵器になって飛んでくるわけではないので、核の運搬手段のレベルとか、あるいは誤解を恐れずに言えば、核兵器をひとつふたつ持っているのと、二桁持っているのでは意味が違うのです。ブッシュ政権の登場以前は一個、二個ではないかと言われて、いまは二桁ではないかといわれている、これは質的な違いがあります。

核兵器の数とか、プルトニウムの量とか、核施設は現に稼働しているのかどうかとか、運搬手段とか、さまざまな段階があるので、おそらく現実には、北朝鮮の核能力を取り除く非核化と言った場合は、多分一定のプロセス、段階を経ざるをえないし、その段階は一定の時間がかかる。

その期間中は北朝鮮の核能力のある部分は現実的にはまだ残っているという状態になるので、批判的な見方に立てば、核能力を認めているんじゃないか不完全だという見方、批判が可能だけれども、おそらく核放棄を求めていく過程は段階的なアプローチをとることになりますから常にその時点では完璧なものではないという問題があって、それが政治的に難しいところになると思います。

ですから、いま北朝鮮が核保有にかじを切ったのではないかという見方については、私は、いま申し上げたように、いくつかの時間的要素で焦っていて、短期的には強硬姿勢に傾いて核抑止力の完成度を高めようとしているけれども、依然としてこれは限られたもので、次の交渉の手段という意味もあるということ、北朝鮮も、それを踏まえた動きだと思いますね。


木村:今何が起きているのかということについて冷静、的確に分析する力がないと、今後何をすべきか、どう対処すべきかについて正しい判断ができないということが、李さんのお話から実によく見えてきますね。

李 鍾元:そうですね、対応策はそこにかかってきますね。

木村:そうなると、米朝関係ですが、アメリカはオバマ政権ができて、ボズワース氏という、これまでも北朝鮮とのかかわりが深くアメリカ政府の北朝鮮政策特別代表に就く直前にも訪朝している、そういう人物を政府の特別代表に据えたところまでは、米朝関係は動くのではないかという一定の期待感もあったのではないかと思うのですね。それがここにきて、米朝関係が動かない、あるいはアメリカの対北朝鮮政策に明確なものが出てこないのというのはなぜなのでしょうか。

李 鍾元:それは一般的には北朝鮮政策の優先順位が低いといったことが言われていますね。たしかに、動きが鈍いのは確かなのですが、私は、まだ確証はなくて完全にわからないところもあるのですが、いまの見立てはですね、5月30日の「朝鮮新報」の解説記事が出ているのですね、朝鮮総連の出している新聞で北朝鮮の立場を解説しているものですから、公式性という意味では完全ではないのですが、その記事を読んでなるほどと思ったことがひとつありました。

その記事をふまえて概括的に言うと、オバマ政権は基本的には対話姿勢だったが、その対話姿勢の中身が北の期待値とは「ズレて」いた、合わなかったということが、今なかなか米朝関係が動かないということだと思います。

オバマ政権は、自らは対話の姿勢を打ち出しているので、はじめ北朝鮮を押しつぶそうとしたブッシュ政権とは違うということなのですが、対話の姿勢を示せば北朝鮮は応じてくるだろうと思っていた、まあ少し安易に思っていたということですね。それこそシリア、ベネゼエラ、キューバ、イラン、みんなアメリカが笑顔を示すと会ったりしていますのでね。

オバマ政権は、基本的には、ブッシュ政権後期のアプローチを踏襲して多国間で臨むということだったのでしょうが、これは6カ国協議を継承するということにもなります。しかし、そのまま継承するのか若干手直しするのかについては米政権内部でもいろいろあって、もう少しコンパクトにして動きやすくするのかというような話はあったようです。ちょっといじる気はあったようですね、オバマ政権には。

いつも六カ国が集まってやるとなると拉致問題が出てなかなか動かなくなったりするので、部会であるとか、もっと自由に動けるように四者のフォーラムであったり、米朝二国間の作業部会であったりと、もう少し動きやすいようにと考えたようですが、依然として、オバマ政権はやはり最終的には多国間のアプローチで、米朝二国間だけに頼る図式は避けたいと。これはクリントン政権のアプローチの反省で、米朝だけで対峙するとアメリカにとっては非常にやっかいだと。多分クリントン政権は大分苦労したと、「枠組み合意」のときも最終的には交渉で北朝鮮に「やられた」というところがありますので、できるだけ米朝二国間で直談判するという比重は下げたいと。

それとブッシュ政権は中国を巻き込もうとした。中国を巻き込むとともに、アメリカからするといずれ一緒に動かざるをえない韓国と日本を巻き込んで一緒にやろうとしたときに、北朝鮮はロシアを入れて六カ国協議になったわけですね。

アメリカはブッシュ政権のときから、二国間交渉の負担に対する反省から、多国間のアプローチ、基本的に中国、日本、韓国をかかわらせる六カ国協議になった。それを基本的には継承する、一定の手直しはするかもしれないがという、それがオバマ政権の考え方だったわけです。

それが北朝鮮からすると、六カ国協議のなかでやるとなかなか進まない。その中で米朝の協議をしたが期待したほどすすまない。となると六カ国協議という多国間のアプローチであるとか中国を介在させるとかいう、遠回りなことをせずに、2012年ということもあるし健康の問題もあるということで、アメリカと戦争終結とか関係改善とか平和協定とかビッグディールを早めにしたいという希望を強く持っていた。

けれども、アメリカは基本的には対話といいながら笑顔ではあるけれども中身は「六者」に戻ってじっくり話をしましょうということで、関係国と協議しながらやりましょうということになる。

となると、北の焦り、余裕のない状況からすると、やはり北の優先順位は低いのかと。
それこそ核を持つパキスタンは政府が崩壊するかどうかという、アメリカからすると本当に大変なことだと、それからすると北朝鮮の脅威は低いと、あるいは北朝鮮の核能力、ミサイル能力はまだ高くないので北朝鮮の核、ミサイルはアメリカにとってまだ差し迫った軍事的な脅威ではないので、まだゆったり構えているのかと。本当に大変だったらアメリカは飛んでくるはずだと。

しかもこれも確証はありませんが、ボズワースさんは非常にベテランの外交官で、駐韓大使やKEDO(朝鮮半島エネルギー機構)事務局長を歴任した、外交官としてはベテランで、大物で、タフネゴシエーターだけれども政治的インパクトは弱い。北が期待したのはおそらく特使としてはキッシンジャーとかクリントン元大統領といった人物を期待していたふしがある。

そうした政治決着できる人選であるとか、あるいは米朝の政治決着ができるようなハイレベルな人選についてのプロポーザルとか働きかけを期待していたふしがあるのですね、北の焦燥感、焦りということからは。
それに対してオバマ政権は、客観的な優先順位は低くて、アメリカから見て北の核問題はやっかいではあるが軍事的には緊急の脅威ではない、ということでゆったり構えている。

しかもオバマ政権は、そもそも対外政策は国際協調主義であるということで、どの政策分野においても関係国との協調で取り組むということをプリンシプルとしていますし、アジア政策では特に中国との戦略的な協調を非常に大事に考えていますので、北朝鮮問題については、そういう意味では大国協調主義的な面がある。

北朝鮮にジワジワと圧力を加えられるのは中国なので、中国を巻き込みながら、その力を借りながら、アメリカの負担を減らしながら時間をかけていくというのがオバマアプローチでもあったわけです。

それがクリントン、ブッシュ以来の米朝交渉を踏まえた北朝鮮政策の多国間のアプローチでもあり、それが結合して、やはり多国間で行こう、六カ国協議で行こうというアプローチになったと思うのです。

しかしそれは北朝鮮からすると相当不満で、結局時間だけが流れるのではないか、時間だけが流れるのはいまの北朝鮮にとっては非常に辛いので、できるだけ時間がゆったり流れることは避ける、できるだけ早く決着をつける。米朝前倒しにするか、それがうまくいかないとなると、それこそ健康問題で金正日総書記が倒れた後に後継者のまだ弱い政権になるとアメリカから揺さぶられた時に早く安定した核抑止力が必要だと思って急いでいる。多分そういうことだと思うのですね。

その意味では、核抑止力と対米交渉が表裏一体になって、両面性があるということになる。
つまりオバマ政権のアプローチが依然として多国間だったので北の期待感とずれていたというわけですね。

5月30日の「朝鮮新報」の記事がそのことをよく示しているというべきです。

まず5月29日に北朝鮮外交部が声明を出しているのですが、そのキーポイントは国連が制裁すれば停戦協定の破棄であると、停戦協定が破棄されれば朝鮮戦争の再開、戦争状態であると、これがポイントです。その翌日の30日の「朝鮮新報」の記事はこの声明を敷衍、説明しながら、朝鮮戦争の再開になると大変なことだといって最後の三段落ぐらいで、これは本音じゃないかと思うのですが、小見出しが「オバマの誤った判断」としている。

何を言っているかといえば、「この危機に際してオバマ政権は六者協議の復元、六者協議の再開という焦点のずれた処方箋を出しているのみであって、停戦協定の当事者間の対決をむしろ激化させるような外交を展開している」としているのですね。

キィーワードは「六者協議の復元」とカギカッコがついているのですが、これは焦点のずれた処方箋だと、六者協議の話ばっかり言っているがこれはちょっと違うんじゃないかと。そして次の段落でより明確に、破たんした「六者協議」、これもカギカッコですが、六者協議が破たんしているという問題、それが目前の課題ではなくて、まだ終わらない戦争、朝鮮戦争、平和協定だという話なのですね。

まだ終わらない戦争、これが課題であると。
外交的アプローチの的、ターゲットを正しく設定しないかぎり状況はねじれるばかりだとしています。

これはもうストレートにですね、つまり米朝で戦争状態にある、彼らの論理では、対峙していて、自分には「核の傘」がないので軍事的な脅威に対抗するためには核開発しなければならない、核抑止力が必要であると。それが核の放棄を求めるのであれば、戦争状態を終結させて、平和協定を結んで、体制の安定を保証して、国交正常化をするというのがスジでしょうと。これが北朝鮮の要求ですね。

そのためには米朝協議が必要でしょうと。それなのにオバマは六カ国協議をと言う。それが、焦点がずれているのだと、そういう話をしているのだというわけです。

それがすべてではないけれども、対米、対外的に言っていることのポイントだと思うのです。

そこがずれているところで、オバマは表面的には対話だと言っているけれども対話の中身が違うと。おそらく北朝鮮としてはオバマ政権に対して、依然として交渉、対話の可能性に期待はつなげながらも六カ国協議のような時間のかかる図式ではなく、しかも中国がかかわるとよりジワジワと真綿で締められるようなことになるので北朝鮮はいやがっているわけですが、そこでアメリカと直談判したいと、それを、強硬姿勢を演出しながら強烈に訴えていると、そういうことだと思いますね。

木村:お話をうかがっていて、最初の質問としてうかがった、今何が起きているのかという本質をつかむということと、北朝鮮が発しているメッセージが論理的につながって今の事態、構図が非常によくわかるのですが、となると、アメリカはこのメッセージをわかっているのか、つまり表面的なメディアの報道は別にしてですが・・・、

李 鍾元:アメリカがどう受けとめているのか、対応できるのかということですね。

木村:そうです。行動がとれるかどうかは別にしてということになるかもしれませんが、今の事態を分析して北朝鮮のメッセージをきちんとわかっているのでしょうか。

李:アメリカは、それは、ちゃんと認識はしているのですね。長年の交渉を通じて北が何を考えているのか、何を求めているのかは明確にわかっているのです。
ところが、わかってはいるのですが、アメリカは、多分、オバマはそれをできるだけ避けようとしているのが事実だと思います。

米朝だけが突っ走るのは避けたいというのだろうと思います。ですから応じるとしても、六カ国協議とかの多国間の枠組みをもう少し明確にして、それとつながった部分としては米朝をやると、多分それを崩したくないということが強くあって、それがある意味では米朝が我慢比べというか、せめぎあっているということだと思います。アメリカがそれを押し切れるかどうかわかりませんが・・・。

ただアメリカが期待しているのは中国ですね。これは少し推測を加えての話ですが、北朝鮮が米朝直接交渉を求めているのは中国離れ的なところもあるのですね。北朝鮮は中国を非常に嫌がっていて、金桂寛外務次官が2008年にアメリカに行った時にもキッシンジャーに対して、自分たちは中国を信用していないとか、中国から離れたい、依存したくないとか、早くアメリカが来てくださいと、まあこれは外交的に相手を誘うようなものだと言えなくもないですが、私はかなりの部分本音だと思います。

歴史的にもそういうところがあります。朝鮮戦争のときに北朝鮮は中国を一番怖がっていた。中国からは離れたいと。ですから中国離れなのですね、米朝交渉を求めるのは。

アメリカはそれを受けとめると自分の戦略的な足場が増えるというメリットもあるかもしれませんが、しかし、アメリカは朝鮮半島の北部にそれほど強い関心はないので、北朝鮮との関係を強化するというのは朝鮮半島の南北に足場を持つということで、戦略的には強くなるかもしれませんが同時に負担も背負うことになるので、それはあまりやりたくない。

しかも、それだけではなく、中国を刺激することにもなりますから。

オバマはリベラルで民主党ですが、かなりキッシンジャーラインに近いところがあって、リアリズムというところがあって、米中協調で秩序をつくろうとしているところなのですね。

となると北朝鮮が中国離れでアメリカに接近してくるとなると額面通りには受けとめたくないと。しかも中国に対しては、こういうふうにくるのだけれども私は額面通り受け取らずに中国と協調してやっていきたいのだ、というのがアメリカのメッセージです。

ですからアメリカとしては、中国がいろいろな手段を持っているのでジワジワと圧力を加えながら、それが北朝鮮をおとなしくというか、力の限界を少しずつ悟らせることがアメリカの負担を減らしながら問題解決につながる道でもあると。

一方、北朝鮮は中国離れという意味もあって強烈にアメリカにアプローチ、働きかけをしているが、アメリカは逆にそれを中国との協調で北朝鮮問題に対応しているということですね。

しかし、これは、おそらく金正日体制の後の軍とか、ポスト金正日の北朝鮮のありかたを考えると米中協調が必要だと考えているので、北朝鮮のアプローチには応じない。つまり、北朝鮮の求めることはわかっているけれども、中国も深くかかわった多国間の枠組みとの関連であれば米朝は必要なことはやるけれども・・・ということになると思います。

そう意味ではアメリカは戦略的には米中という軸を非常に重視する、特に北朝鮮の問題では。なので、北朝鮮の期待とのあいだにはズレが生じるということになるわけですね。

同じことの敷衍ですが、裏返して言えば、米中が協調して、大国が協調して北朝鮮問題に臨むのが、北朝鮮から見ると一番「怖いこと」なのですね。

木村:嫌なことだと・・・。

李:嫌なことだし、次の政権の在り方についても米朝協調でジワジワと、体制の性質とか方向性とか、それこそ後継体制がどういうようなものになるのかということについてもいろんな意味で多分影響が出てくるでしょうから、これは金日成のときから、それを排除しようとしてやっきになっているものです。

一般的に言えば、小さい国の独裁的な権力者にとっては、大国の協調というものが一番「怖い」ことなのですね。自分の意の通りにはいきませんし・・・。

以前、韓国の朴正煕もこれが怖かったのですね、米中が協力したりするというキッシンジャーのアプローチが。ニクソンがもう一期政権を担当していれば、米中ソ、特に米中が協調して北朝鮮を抑えながら、アメリカも朴正煕のような右派独裁、反共独裁を抑えて、場合によっては金大中のような、南北協調とか脱冷戦型の政権をより早くつくろうとしたかもしれません。ニクソン政権が続いていればの話ですが、全斗煥政権などに行かずに、ですね。

ですから、米中が協調すれば南北両方ともに脱冷戦型の政権を求めることになります。それまでは北も南も冷戦型政権ですよね。北は冷戦を利用してとにかく武力が基盤になっていますし、朴正煕も反共が政権の基盤になっていました。米中が和解するとそうした冷戦型の政権は逆に負担になるので、米中はいろいろな影響力を駆使して、両方ともおとなしい政権というか、脱冷戦型、共存型の政権をめざすということになる。

私は、全体的にはいい流れだと思うのですが、小国の権力者からすると自分がすげ替えられることになりますから一番怖いことになりますね。ですからいま、北朝鮮も米中の協調がいちばん厄介で怖い。ですからなんとか分断したいということになる。

その意味では、今回の核実験は中国に対する反発もある、そういう要素も明確に入っていると私は思います。ですから中国が「やめなさい」といっても聞かない。中国のいうことは、私たちは聞きませんと。

中国が以前、最初の核実験のときに制裁に賛成したことにも反発していますが、今回の「ロケット発射」で議長声明とはいえ国連決議違反だと認定したことに強烈に反発していますから。

核実験のあとの5月29日の声明文を見ると、興味深い表現があって、アメリカへの批判をしながら、これは安保常任理事国五カ国のエゴであると、大国は二千何回も核実験をしていて自分たちは2回で、それで主権を制限するのか、とか大国のエゴじゃないか、とかですね。

人工衛星についても、ある国は自分のところに来ては人工衛星の打ち上げは主権に属する権利だと言いながら国連に行けばこれは制裁だと、これはあきらかに中国をほぼ名指しで不満を言っているわけですね。

これは感情の反発だけではなくて、中国の言うことにも異議があるので聞きませんと言っているわけです。行くところまで、限られた範囲でしょうが、独自の動きをして、北朝鮮に対する圧力の手段を強めたアメリカと勝負したいと。

アメリカに対しては、中国経由でいろいろなことをするのはやめてほしいと。まあそのような精一杯の反発、あるいはけん制だろうと思います。

しかし依然、大きな流れとして、安全保障、経済、いろいろな面でオバマ政権はアジア政策で米中基軸、基軸というと語弊があるかもしれませんから、米中協調を重要な柱と考えているでしょうから、なかなか崩そうとしないでしょう。

こうしたことと、いま、北朝鮮がせめぎ合っているというべきで、それが動かないとなると北朝鮮はどこかで折れてくる、と私は思っているのですが、もちろん条件を付けてでしょうけれども、それを中国が面子をつぶさない形でやると思うのですが、いまアメリカはそれをわかっていても中国との協調は崩さないと。

オバマ政権の対応を見ると、国連の制裁とかでも相当強いことを言いながらも、刺激的に動くことはコントロールしているのですね。

ロケットの発射のときにも相当手加減をしました。日本がいちばんいろいろと言いましたが、アメリカはサッと手加減しました。

これは2006年の時もそうでしたけれども、落としどころを考えているのは基本的に米中の協調があるということがある。

北朝鮮が動いているのは内部状況もあるので、国連の安保理の場で喧嘩するような形で、ことばの上での喧嘩のような派手な、制裁とかいうことでもめたりするよりは、もめればそれを口実に北はどんどん水位を上げてくるので、まあ最低限というか、原則は確認しなければならないので国連の決議の再確認とか一定の制裁の強化とか安保理が一定の規範的姿勢を示すためにも必要なことはするのだけれども、アメリカはそこで喧嘩しようとは思っていない。

安保理の制裁はあくまでも原則の確認の場だということで、そこを主戦場だとは考えていないのでしょうね。

今回スタインバーグが日本、韓国、中国を回ったのも、ある意味では水面下というかあまり派手にしない形で、特に中国ということでしょうが、ボディブローのようにジワジワと、とれる措置をとるということで、これは中国のやり方にも合致するわけですね。オバマも中国の力を借りる、中国もどちらかというと北朝鮮の面子をつぶすような派手な制裁はしたくない。そもそも、人工衛星の発射などに国際社会が関与することについては、主権を尊重すべきとか内政不干渉とかいうのが中国の原則なので、それは途上国の、自分も途上国出身として第三世界を代弁するという立場から、大国の一方的な価値とは違うのだというところを示すことは中国外交の基盤でもあるので、国連の制裁などはできるだけトーンダウンさせるということになる。

下手をすると自分も、あるいは中国が大事にする国々も国連決議でやられるかもしれない、スーダンとかですね、それがあるので手加減する。

中国の外交のやり方は、面子を立てながら水面下で実体的に圧力を加え、同時に懐柔策をとりながら行動を変えるという、それを中国は一番得意としているので、アメリカは中国のその部分に期待し、連携しているのだと思います。

そう考えればアメリカもあまり国連の安保理を、命をかけた主戦場とはしない。安保理の制裁はややレトリカルな面もある、政治宣伝的なものですね。ブッシュ政権のときにはボルトンが国連大使だったので非難自体をかなり重視していたわけですが・・・。

木村:非難すること自体が目的だったという側面も強かったということですね。

李:自己目的というか、自分の物差しでどんどん強い規範を既成事実化していくという性格が強かった。

それに対してオバマはもっとプラクティカルというかプラグマティズムですから、最終的にはあまりこだわらない可能性もある。さっと取り下げて、実務代表団を送って各国と調整をして、それも国連制裁について協議ということではなく制裁その後にとるべきフォローアップについて協議するというような表現もしている。

そのフォローアップも硬軟両方あるのでしょうが、依然、アメリカは制裁を言いながらも六カ国協議の再開、外交のテーブルに戻すことが目標であると、つまり制裁してつぶすことが目標ではないとしています。

その意味では依然対話の姿勢を示しながら、北を完全に追い詰めることは避けながら、言ってみれば面子を立てる余地を残しながら、実際にプレッシャーをかけるにはどういうことがあるのかを考えているというべきでしょうね。

実際になんらかのプレッシャーをかけることは必要だと、私自身、ある程度は必要だとは思うのです。それはたとえ短期的ということかもしれないのですが、北朝鮮内部で強硬派にシフトしている気配があるからなのです。

金正日総書記の後継体制への移行の過程は不安定になりがちだし、さらに健康問題もある、金正日総書記自身も不安なので、すると、軍というのは一番効率的な組織ですからその軍に頼らざるを得ない。軍に完全に牛耳られるというわけではないでしょうが、軍への依存度を高めざるをえなくなる。

そうすると軍の言い分とか軍の強硬論の論理を対外的な必要性から一定程度受け入れざるをえなくなって、それが対米カードにもなるということでしょうが、それで短期的にかもしれませんが、軍の強硬派に重心が移行しているような気配が今年初めからうかがえる。

いろいろな声明にそれが出ていますし、要職に強硬派が就く人事異動もありました。国防委員会にも軍が入って強化されましたし、強硬路線がやはり効果があっというふうに実績が積み重ねられると北朝鮮のなかで強硬派がどんどん力を持ってくるので、これはよくないことだと思うのです。

こうした面で、ブッシュ政権時代、少し良くないことをしてしまった。
核実験をしたあとすぐ妥協してしまったので、北朝鮮の強硬派からするとやはり効果があるということになって、強硬派の正しさが証明されてそちらのほうにパワーが移行することになってしまう。それは避けなければならないと思うのです。

ですから、強硬論をとるとコストがより高まると、たとえば中国から物資が入ってこなくなるとかですね、強硬論とか核保有に突き進むと深刻なコストが生じるのだということを痛感させることが大事だと思うのです。そうするとおのずと交渉論へということになると思う、つまり交渉によって得られるベネフィットがより強いということ、強硬論によるコストは高いということ、それを関係国が具体的に示すのが北朝鮮の内部の政策を変えていくプロセスになりますので、そのプロセスをおしすすめることが大事になります。

北朝鮮の政権内部の、交渉論に立つ外交、経済関連部門がいま小さくなっていますが、粛清された人もいるといった報道もあります、韓国との関係をすすめた人が粛清されたとも言われますので、そうした人々が復活できるようにすることが大事になってきますね。

そのためには強硬論ではうまくいかない。交渉では得られるものがあるということを具体的に示す必要があると思うのです。

対日関係をすすめることを進言した人がいて、拉致を認めるようにと、ですね、そういう人たちがいるのでしょうが、それでやってみるとなかなか進まなくてかえって「やられた」ということで、北朝鮮の中で日朝関係をすすめようとした人たちの立場が非常に弱くなっているということを聞きます。

南北関係も同じです。南北関係をすすめると韓国も政策が変わって、北朝鮮も支援を得てやっていけると思ってこの10年すすめてきて、工業団地もつくり、開放したりしたけれども、南で政権が代わり以前とはガラっと変わって強硬策に転じた時に、北からすると得られるものも急に得られなくなってしまい、そうするとかえって南に依存した分余計に打撃が大きいということになる。

すると韓国に期待をかけていろいろ関係をすすめたことで、北の体制が弱くなってしまったのではないか、弱みを握られたのではないか、ということになる。そういう反省から北朝鮮は閉ざそうとしているわけです。

閉ざして経済的には損はするのでしょうが、経済的に韓国への依存度を高めてしまったことで、それを止められると北のぜい弱性が高まる。またそのプロセスで韓国への期待感や韓国への依存心が生まれて体制が相当おかしくなってきた、高級幹部の中にもそういう人が出てきたということで、南との関係のチャンネルになってきた人が左遷されたり、処刑されたりしたということも言われています。

多分、軍の強硬派からすると、交渉を進めても、交流を進めても得るものは少なく、かえって自分たちの体制が弱くなったのではないかと責任を問われるということなのでしょう。

北の考え方や政策を変えなければならないということになると、結局内部を変えなければならない。
内部を変えるとなると、交渉派、国際派というのか、合理的な考えに立つ人たちがどのように出てこられるようにするのか、強硬派という人たちをどうすれば抑えられるようにするのか、そうしたことを考えることが必要になります。

つまり関係国の対応の仕方によって北の行動の仕方もかなり影響を受けることになるということですね。

アメリカは基本的に、いまは、北がどこまでやろうとしているのか、ちょっと不透明なのでそれで戸惑っているところがあるようですね。

核実験一回でスッと交渉に戻ってくるのではなくて、どこまで行こうとしているのかその境界が分からないので、これはとりあえずちょっと強めて抑えなければならないと、そのためには中国の協力が必要だということですね。

多分アメリカは中国に対しても、これで北を完全に追いつめてつぶそうとしているのではないということを言っているだろうと思いますし、交渉に戻すためのものだというのはその通りだと思います。

北に対してもそう公言して発表していますし、内々にもそう伝えているだろうと思います。

多分、あまり広がって限界、境界がなくなるとアメリカも困るでしょう。いまはすぐ脅威ではないとしても政治的な問題だし、オバマ大統領は「核なき世界」を打ち出したばかりで、来年はNPTの再検討会議もある。核の不拡散の強化はオバマの重点課題のひとつであるので、早く北朝鮮の核問題も交渉に戻して一定の進展をつくらないといけない。だから早く北を落ち着かせたいわけなのですね。

その点ではアメリカもかなり切実なのですね。その意味でアメリカも余裕があるように見えて、実はあまり余裕はない。ですからアメリカの本音は北を追いつめることではなく、米朝直接交渉はしないけれども多国間で、おそらく北が求めるものは一定のロードマップをつくって提供しようと思っているのだろうと思います。

それを信じてくれということだろうと思いますね。それも中国に伝えて、いまは強硬派主導という北朝鮮の内政もからんで、かなり境界が見えにくくなっているので、それをできるだけ狭くするためにも、中国が実体的な圧力を行使してほしいということでしょうね。

2006年に一時したといわれるように、あるいは2003年にもしたと伝えられるように、一時石油の供給パイプラインを修理するという口実で中国からのエネルギーの供給のスピードをダウンさせたりして、調節をして北にプレッシャーをかけてほしいという話なのだろうと思います。また中国もそれはやる可能性があるだろうなと思いますね。本格的に追いつめるのではなくて、早く交渉に戻るようにというものでしょう。

木村:お話をうかがっていて、国連の安保理を舞台にした動きにしても、制裁をめぐる動きにしても、李さんのお話で、いまメディアで伝えられていることとはかなり違った、「風景」が見てきます。
いま進行している事態の背後でなにがせめぎあっているのか、どのような国際政治のゲームが繰り広げられているのかが実によくわかってきました。
まさしく、極めて複雑な物事の本質を冷静に見ることの重要性と、冷静に見ることによって複雑に見える事態の実体、つまり背後で何が動いているのかという構造と、その本質が鮮明に見えてくることを痛感します。
しかし、そうであればあるほど、つまり実体と本質が見えれば見えるほど、今のお話の構図では、アメリカもわかっている、北朝鮮もわかっている、中国もわかっているという状況の中で、さて日本はどうなのだろうかという危惧というか疑問が湧いてきますが、この点はどうなのでしょうか。

李 鍾元:それは日本の外交政策の決定者も理解していると思いますね。

木村:本当にそうでしょうか。


李:私は、理解はしていると思います。ただし、理解はしているだろうけれども、外交というものはすべて限界を見ながら、というものだろうと思いますね。

北朝鮮にしてもどこが境界かということをテストしている部分があります。アメリカはどこまで許すのか、対応するのか、それを見ながらゲームをしているのだと思います。

まあ時折、世界史では客観的、合理的に考えて理解できない動きがあったりします。たとえばヒットラーなどはそういう部分があったりしましたね、独特な世界観や使命感があってファナティカルなところがありました。しかしスターリンにしてもある意味では非常に合理的な人でしたね。

北朝鮮の動きなどもよく見ると非常に合理的に見えます。彼らのパワーの状況だとか、パワーの計算では、一定の合理性の中で、現実的に範囲を見極めながら、試しながらやっている。

そこで、はじめにお話ししたチキンゲームじゃないけれども、自分は「正常じゃない」というふりをするのがゲームにとって有利だとなれば、そういうふりをする。日本の外交担当者もそれを理解しながらやっているのだと、私は思います。

ただし、日本でもたとえば中東問題とか、イラン、インドとかパキスタンについての報道、分析は、遠い地域なので親近感がそれほどなくてディテイルは分からないところはあるけれども、朝鮮半島などに比べると、紛争などの伝え方が逆に比較的、総合的、包括的で諸勢力のことも現実的に見ながら、アメリカよりも客観的に見ているというようなところがあると思うのです。しかし、北朝鮮についてはそれがなかなかむずかしい。だから、日本でそういうところがなかなか見えないということになる。

同じように、アメリカの一部のメディアは中東問題というと、非常にバイアスが強くてということがありますね。多分そういうことではないかと思いますね。

木村:日本では、事、朝鮮半島、あるいは北東アジアということになると・・・ということだというわけでしょうか。

李:そうですね、事、朝鮮半島については、北東アジアについてはとなると・・・。人間は近いところは逆に見えづらいということがあるのではないでしょうか。

私も、自分の子供はよく理解できないところが相当ありますし、他人の子供はよく理解できるのですね、教育してみるとその子供の良さとか問題とかですね・・・・、つまり、近いところが客観的に見えづらいところがある。日本には、北朝鮮問題だけではなくて、韓国も含めて、伝統的に朝鮮半島、中国といった北東アジア、東アジアといった特に歴史的に関係の深いところについては、政策決定者も、一般的な認識も、まあ当然政治家や政策決定者は一般的認識の影響を受けますから、どうしても客観性と包括性が弱くなる傾向があると思います。

同じアジアでもちょっと離れて東南アジアになるともう少し客観的に、南アジアになるとより冷静に、問題の所在がどこなのかを見ることができて、ソリューションもどういうものなのかということが、かえって日本のほうが提示しやすく、現地においても日本のほうが歓迎されるということがあるのは、わりと客観的だからなのですね。

イラク戦争でちょっとイメージは悪くなりはしましたが、中東では以前から日本はよく思われていて、パレスチナなども世界で誰も助けてくれないときに日本は助けてくれたというように思われている。

私は日本で見ていると、東アジア、北東アジアと近くなればなるほど認識が非常にむずかしい。客観的な認識がむずかしいし、外交もさらにむずかしいと、常々感じています。

日本の外交が一番空白で混乱しているのは対近隣国ですよね。

遠いところの外交はわりと成功例も多くて、カンボジアでも日本はいいことをしましたし、ODAなどもいいことをやってきました。私が教えてきた若い学生たちも遠いところには喜んで行こうとするのですね、ボランティアなどでも。でも、いざ近くの国となるとみんなどこかで難しく感じたりする。

しかし、日本にとっては、国家として、あるいは大国日本としても、近隣諸国にこそまず責任を感じなければならない。にもかかわらず、二国間関係においてもなかなか安定しなくて、やっと日韓関係はちょっと落ち着いたのかというところで、それもまだ不安定なところがありますよね。日中関係もそうですし、日露もそうですし、日朝は・・・・。

木村:なおさら・・・ですか。

李:なおさら、ということですし・・・、多分これは日本の構造的、歴史的な問題だと思うのです。
事、北朝鮮問題、だけではないと思うのですが、多分、北朝鮮問題がいちばんの縮図のように、問題がいちばん先鋭だからこそ、矛盾もいちばん先鋭に表れてくる。

ですから北朝鮮問題というのは日本にとって最もリアルな問題で、たとえば核、ミサイルなどさまざまな問題が日本にとっても最大の課題で、核やミサイルというのはそれこそ下手をすると紛争、戦争につながることもある問題ですから、本来いちばん冷静に考えなければならない問題で、緊急な問題であるにもかかわらず、逆に、これは大問題だと言いながら、冷静に、真剣に、総合的に考えて議論をしているところがあるのかというと、私はわからないのですね。シンクタンクでも真剣に議論しているところはあまりないですし、いちばん大事で、日本にとってはいちばん脅威だ、大問題だと言いながら、どう解決すべきなのかということを含めて総合的、具体的な議論が日本はいちばん少ないのですね。

アメリカとか韓国にはそうした議論がいっぱいあります。それぞれの立場からですが、シンクタンクもあり、大学にいる人もさまざまに発言したり議論したり、メディアでもそういう議論があったり、まあメディアは議論する際にはちょっと難しいところはありますが、社会にそういうものがいっぱいあります。セミナーとか会議とかシンポジウムとかですね。

でも、日本では北朝鮮問題について多角的に、核、ミサイル、拉致などについて真剣に議論するシンクタンクのミーティングなどは、私はあまり見ない。圧倒的に少ないですね。

これは日本の抱えているジレンマと矛盾をいちばん象徴しているものですね。そういう意味では、日本のアジア政策全般もそうですが、特に日朝というのは、日本-アジア関係の歴史の一世紀ほどの間、長く見ると一世紀、短く見るときは戦後半世紀、あるいは60年、さらに北朝鮮問題というものを2002年からの拉致で考えるとなるとこの7年ぐらいのスパンで、それぞれ考える北朝鮮問題があり、核問題、ミサイルで考えると90年代初めからですからほぼ20年というスパンになります。

ですから北朝鮮問題というものを7年のスパンで考えるのか20年で考えるのか、戦後ということで考えるなら半世紀、さらに百年にわたる問題、これらは重層的に重なっているわけですよね。

ある時期までは歴史問題を重層的に考えてきたところはあるが、2002年からは北朝鮮問題をこの5年、10年のスパンだけで考えるようになって、しかもその5年、10年のスパンですらも総合的多角的には考えられていないのではないかというのが、私の感慨です。

もちろん私にも当然理解はできます。拉致問題というのは残酷なことであるし、ショッキングなことなので、拉致問題を冷静に考えるのは非常に難しいことだということは。だけれども拉致問題というものを生み出した構造というものがあり、これは小泉さんも平壌宣言のアプローチで言っていましたよね、これは戦後の不幸な、不正常な関係のなかで起きたことだと。

それを変えていくのが最終的な解決だということを、彼は、一次の訪朝でも、二次の訪朝でも言っていました。

これはとても印象的だったのですけれども、少なくともそういう構造的な問題だと、生み出す構造があるのだと。それを変えなければならないという認識を持つことが大事だと、私は思うのです。

その中で、核、ミサイルというものも、それを生み出す構造があり、さかのぼれば、やはり、ヨーロッパでは冷戦が終わったけれども、ここ東アジアでは冷戦がまだ終わらない。終わらない理由はさまざまにあるし、北朝鮮にも問題はあるが、部分的に変わりたくても変われなかったという彼らの難しさがある。とすると、ではどうすれば北朝鮮が脱冷戦型に変わりやすくすることができるのかということは、北朝鮮だけでできることではなくて、環境であり秩序の問題でもある。そういうところを変えていくことで、日本が抱えている問題を解消することにもつながるということだと思います。

つながる問題なのだけれども、日本ではなかなかむずかしい。問題を変えるためには構造とか環境とか秩序とかの全体を、長い重層的なタイムスパンで見ながら、それぞれを望ましい方向に、たとえば冷戦は脱冷戦型に、植民地支配はそれこそ脱植民地、ポスト植民地主義で清算するようなかたちに、朝鮮戦争による戦争状態は平和にと、それぞれのレベルで次のステップにもっていかなければならないし、それぞれの重層的なレイヤーに、その各層に日本はかかわっていると、私は思うのですね。

まあ拉致問題は日本の責任ではないというかもしれませんが、冷戦構造の中で起きたことです。朝鮮戦争当時は、日本は独立国家ではなかったのですが、仁川上陸作戦とか北への空爆とかは日本から出撃して行った。また、戦争の司令部は日本にあった。独立国家ではなかったのでアメリカが勝手に使ったといえるかもしれませんが、参戦国ではなくても当事者ではある。

ある研究者が「朝鮮戦争の17番目の参戦国は日本だ」というのを聞いたことがあります。

実際の戦争を指揮した司令部が東京とか座間とかにありました。植民地支配もそうですが、それだけを取り出せば関係はなくても、この地域を安定化させるためには、日本は当然やるべきことをすべきだというのは、国際社会から見れば当然求められる役割だと思います。

しかし、そのような認識は日本にはなかなか生まれなかった。これは第一義的には拉致問題の衝撃があるのですね。

私が残念に思うのは、多分、拉致問題さえなければ、私は、六カ国協議は東京でやっていても不思議はないと思うのです。

これは別にジョークではなくて、最大の経済貢献のできる国だし、アフガン復興会議は東京でしましたし、パキスタンへの支援会議も東京でやりましたね。やはり、お金を出す国がホストをするということがありうることなわけです。

しかも北朝鮮からみると、中国に依存しながら中国を警戒していますので、安全保障では対米関係、経済では対日関係、ということになりますね。

国交正常化というのは経済支援を期待しているわけですから、対米関係、対日関係の改善を求めているのは単にレトリックとか手段ではなくて、彼らの置かれた状況から見ると、自分たちが非常に弱い立場で、経済を立て直しながら、しかも韓国に吸収されることを防ぎながら、中国にのみ込まれるのを防ぎながら、それでもなんとかやっていくためにはアメリカと日本との関係がいちばん重要なのですね。

日本との経済関係を深めるからといって日本に吸収される可能性は多分ないでしょう。しかし、韓国との経済関係を深めると、韓国に吸収統一の道になりかねないし、中国にもっと依存すると、以前のソ連の衛星国としてのモンゴルのように、完全に中国に牛耳られる衛星国家のようになりかねない。

これは北朝鮮にとっては避けたい。それをカウンターバランスするためには、軍事、政治、外交的にはアメリカとの関係、経済では日本との関係がちょうどいいバンランスなので、彼らは必死に求めているところなのです。

そういう意味では、日本の利害を冷静に考えると、拉致問題がなければ、北のような問題のある体制も徐々に変えながら、同時に朝鮮半島全体が急速に変動、混乱しないようにしながら、安定的なシステムをつくる、それが日本の経済的な利益にかなうことになる。

李 鍾元:北朝鮮、中国・東北地方それに極東ロシアは、潜在的なさまざまな可能性を秘めている地域でありながらこれまで植民地支配、戦争、冷戦でずたずたになってそれぞれが発展できていないところなのです。資源、農業などさまざまな面で巨大なポテンシャルがあって、北朝鮮を落ち着かせると、過去一世紀の間に日本が誤った手段でやろうとしたことですが、21世紀の北東アジアが大きな経済圏の可能性になるかもしれない。

いろいろな試算があり中国も関心を持ちはじめている。ここはインフラが整備されていないため、北朝鮮問題が落ち着いて安定すれば、いい体制に徐々にかわっていけば、これまで縦割りにズタズタにされていたこの地域を面としてつなげていける。中国にとっても東北三省の振興というのは長年の課題ですし、北朝鮮にとっては巨大なチャンスです。

体制が徐々に変わりながらより安定していい方向に変わるかもしれない。

極東ロシアとしても脆弱な地域を立て直すチャンスになる。そのためにはインフラの整備とさまざまな資源の開発とか、まあ開発となると環境面で問題も出てくるのかもしれませんが、ともかく、そこが経済的に落ち着いていく。経済的に発展していくとなると、鉄道の連結とか、韓国のビジネスも以前から関心を持っていますし、日本にとっても巨大なチャンスになる。

以前、一世紀前ぐらいには日本がちょっと違う手段で「満州経営」をしようとした、これは手段や時期は問題でしたが、この地域を発展させなければならないということは課題として残っているわけですから、そのためにも北朝鮮問題を落ち着かせることは日本の利益になり、それがこの地域における日本の利害であり利益であり、大国としての責任であると、そういう道であると。

多分拉致問題がなければこういう議論がもっとできたはずだと、私はそういう意味で、非常に残念に思うのです。

木村:本当にそうですね。

李:もともと日本は、保守政権の外交の評価はさまざまに分かれますけれども、冷戦期にかえって確かな外交を展開したということもあるのです。対ソ連外交などもそうですね。

もちろん賛否や是非もありますし、アメリカに軍事的に依存しながら、ということでしたから限界もありますけれども、中国政策でもなんとか「封じ込め」一辺倒ではない道を模索しようとしたり、日中関係を考えたり、軍事だけでなく経済も大事だということを吉田茂さんが言ったり池田勇人さんも言ったりした。

あるいは岸信介さんも開発は大事だと、あの岸さんさえ東南アジは軍事一辺倒の封じ込めではだめで経済の開発が大事だと言い、池田さんはもっとやろうとした。

大平正芳さんは「総合安全保障」という新たな安全保障の概念を打ち出して、主にアジアが対象でしたが、南アジアやアフリカまで適用しようとしたりと、まさに画期的なことだったと思うのです。

これは誇るべき伝統だと思うのです。アメリカは冷戦で依然として軍事、安全保障ばかり言っているときに、総合安全保障という新たな概念を80年代に日本がはじめて打ち出した。そのあと包括的安全保障というものの議論の土台になりました。

私は長く日本に住んではいますが日本社会の研究の専門家ではありませんけれども、これらはもともと日本社会が持っているもので、戦前、戦中は一時期イデオロギー的に走ったことがありましたが、日本の社会や政治、外交にはどちらかというとそうしたプラグマティズム的なところがあると思うのです。

戦争へと、一時的にイデオロギーに走って、アジアと日本に悲劇をもたらしたという反省から、軍事主義、イデオロギー主義というものを避けて、平和憲法体制という、平和という理念を持ちながら、一人ひとりの命とか生活を、いまのことばで言うと市民の視点、生活者の視点から平和国家というものを考えようとしたのが戦後の日本の平和国家の流れのひとつだと思うのです。

なにか抽象的な平和は大事だといったことから入ったのではなく、戦争はいやだ、戦争はしんどい、そうではなくて平和は一人ひとりが豊かに暮らすことだと。命だとか暮らしだとか、これは多分戦後日本の原点だと思うのです。

そこからいろいろなものを積み上げてきた。平和憲法というものもそう意味のものだと思います。

ですから規範的なものでありながらそれほどイデオロギー一辺倒ではないように、私は、思うのです。それはどこかで日本社会の土台と響き合っているところがあって、どちらかというと大きな話よりも個人がしっかりして、まあなかなかしっかりできないところもありますが(笑い)、生活とか・・・。

市民運動といったものも、もちろん日本も60年代以降いろいろなことがありましたが、日本の市民運動の特徴は特に生活者の視点があるところだと思います。韓国の市民運動のほうがより政治的なところがあるのですね。

暮らしという視点は、これはへたをすればエゴになりますが、私は、大事な視点で、その延長上に日本の平和貢献外交があると考えます。

立教大学で教えていて最近の学生たちの関心も高いと感じるのですが、生活的な面からの平和への視点がスピルオーバーして海外にもそれが投影されて、たとえば紛争地域の報道を見ると戦争中の日本の苦しみを思い出すとか、イラクの空爆の下での子供たちを見ると戦争中の自分を思い出すといった年配者のことばを、若い世代の人たちは当時のことは知らないのでしょうが、そうしたことを伝え聞いて、平和のために貢献するのが日本の国際貢献だという視点が学生たちの中に自然に醸し出されてくるようになった。これも、戦後日本のそうした土壌があったからだと思うのです。ちょっと話が広がってしまいましたが・・・。

木村:いいえ、とても大事なお話だと思います。

李:そのような観点からこれからの秩序をどう作っていくのか。日本でイラクを論じたり、アフガンを論じたり、そういう視点がそれこそいっぱいあるのですね。実際にイラクやアフガンに命がけで飛び込んでいくという若者もいますね。

でも、そう意味では問題のつながりからいえば、北朝鮮、朝鮮半島問題も、まあ冷戦構造が残っているので少し厳しく感じるかもしれませんが、土台は共通しているところがあるのだけれども、いざ朝鮮半島、北朝鮮となるとそういう発想、視点がプツンと切れてアプローチがなくなる。拉致だけになったりしてしまう。

これは、理解はできるのですが、非常に不幸なことですね。
本来は戦後日本が培ってきた土台が持っている、世界でもほかの諸国がなかなかできないことのはずなのですね。

ヨーロッパ諸国は統合をめざすプロセスのなかで主権国家をこえる形で一部そうした市民社会的なことがスピルオーバーして盛んですけれども、アメリカもなかなかむずかしい、アメリカはイデオロギー国家なのでむずかしい。

そう意味で、日本が国際的に注目されるのは、単に非武装とかいう面ではなくて、違う形で、市民社会で貢献できると、そういう部分だと思うのですね。

ODAの援助をめぐる議論などでも、最近は少し厳しくなりましたが、国家的に議論がいちばん寛大だったのは日本だったような気がします。最近は厳しくなりましたが、以前は国際貢献でもっとお金を出しましょうというと、市民はそうだそうだというのですね。これはそんな簡単にできることではないですね。アメリカなどは、外のために税金を使うとなるとみんな文句を言ったりする。

こうしたことは戦後日本の育ててきた大事なことだと思います。しかし一方では、北朝鮮と不幸な歴史が重なって、歴史のかかわりがあればあるほど感情的になりやすくなってしまうということがあります。

韓国の人たちも日本を考えるときはなかなか冷静になれなくて感情的になってしまうのと同じで、日本でも朝鮮半島問題、北朝鮮問題を議論するときにはなかなか客観的になりづらいということを、学会の状況を見ても感じます。

まあ、むずかしいことでしょうけれども、やはり落ち着いて総合的に考えるということを求められていて、ある意味では日本が一番得意とする分野ですから、拉致、核、ミサイル問題を落ち着かせながら、あるいはそれらを落ち着かせるためにも、北東アジアでそうしたアプローチ、発想を早く適用してほしいと思いますね。

ある意味では今チャンスだと思うのは、これまでは北朝鮮問題となると拉致問題が大きく際立っていましたが、この一連の状況を見るとミサイル問題、核問題が一刻の猶予もならない緊急の課題だということで、もちろん圧力も必要だとなれば圧力をかけなければならないこともあるかもしれませんが、実際にこの脅威を減らすためにはどうすればいいのか、そのために真剣に議論するいいチャンスだと思います。

さらにいい追い風だと思うのは、オバマが「核なき世界」と言った。アメリカではじめて、大統領が核を使った国の責務を口にしはじめた。

木村:道義的な責任だと言っていますね。

李:歴史的なことだと思います。これがどこまで本気になっていくのか、アメリカの軍産複合体の動きであるとか、懸念もありますが、大事なモメンタムが生まれようとしているのですね。

そうするとこれまで日本が、日本政府のスタンスにはあいまいなところがありましたけれども戦後日本の社会では唯一の被爆国として非核化とか核廃絶というのは国民の大きなコンセンサスで訴えてきたことですから、まさに唯一の被爆国として、政府だけではなく、政府は「核の傘」という問題があるのであいまいなスタンスしかとらないところがあってむずかしいところがあるかもしれませんが、社会が政府を動かしてでも、核廃絶に向けた動きを段階的に、具体的に、来年のNPT再検討会議にむけて急いで取り組む必要があると思うのです。

あのアメリカで、大統領が、大統領だけではなくキッシンジャーやシュルツ、ペリーといった有力な何人かの人々のなかでも、核廃絶への動きが出ているのです。

説明すると長くなるので控えますが、アメリカも軍事を減らさなければ経済が大変だと。そうなると「反テロ戦争」では核兵器は無力だと、核は本当に重い荷物だということで減らしたいと。しかも、今はもう核兵器を使う「場面」はどんどん減ってきているのに既得権の利害だけが残っていて、これをアメリカもロシアも減らしたいと、そう意味ではエゴもあるのですが、それを減らしたいというわけです。

それとともに、次はイギリス、フランス、中国と、いわば次の段階の核保有国の核軍縮をどうするのか、そしてそのあとに、核をめざそうとしている国をどのように抑えるのか、こういうことを段階的にやろうとしているわけですから、私は、核を持っていなくて、一応、「非核」を政策として掲げている日本、唯一の被爆国日本が、政府を動かしてでも、具体的にやるべきだと思うのですね。

で、そのための手段とか、政策もいろいろとあると思うのですが、その議論で北朝鮮の核問題も、まだまだ完成した核保有国ではないのですが、そうした、核が拡散するのもこれまでのNPT体制があまりにも不平等なもので大国のエゴのかたまりだったので説得力もなければ実効性もなくて、事実上、NPTがあっても核拡散がすすんできたということですけれども、オバマ大統領はかなりの決意のようで、それを強めながらやろうとしていますので、日本が大きくイニシアティブをとるチャンスだと思います。

北朝鮮問題も中、長期的にはそういう網をかけながらやっていくことが必要だと思います。

これはおそらく、踏み込んで言うと、日本にとっての核の脅威ということになると北朝鮮の核だけではないのですね。北朝鮮の核は、語弊がありますけれども、まだ完成された核ではなくて、多分、まあ完成するのはかなりむずかしいと思うのですが、日本にとっての核の脅威ということになると、知りながら言わないのは中国の核をどこかで懸念として持っていることで、核武装論とか、ミサイル防衛論を言っている人たちには、その背景にどこかそうしたことがあるのですね。

これもちょっと先走った議論、発想にはなるのですが、一定の立場の人々からすると理解できるところもあるのですね。中国は依然として200発からの核を持っているのに日本は裸でいいのかとかですね。
日米がこれからどうなるかわからないときにとか、そこだけを見ると不安になることも理解できないわけではない。

そうなるといずれというか、近い将来、中国の核の問題、特にこの地域で中国の核が持つ意味も制度的に、政策的に取り組む必要が出てくる。

そのためにも核廃絶の構想をそちらにリンクさせる。

これはオバマの核イニシアティブ、北朝鮮問題が大きなきっかけになって、北朝鮮の核問題だけではなくて、北東アジアで、日本も含めた東アジで核をいかに廃絶していくのかということ、ここではことばを慎重に選ばなければなりませんが、そうして、いってみれば中国にいかに核廃絶の「圧力」を加えていくのか、私は、これは戦略的に考える価値のあることだと思います。

そのためには北朝鮮の核問題はいいチャンスだと考えます。

東南アジアは非核化地帯宣言をして、いろいろな国がそこに賛同するようにしている。
ASEANもうまいやり方で、自分が非核を宣言し武力を使わないということを宣言して周りにもそれを承認させようとしているわけですね。

同じようなプロセスを北東アジアでも考えて、いずれ東南アジアとつなげると東アジア全般が非核になるので、核保有国とか核兵器について中国、ロシアも含めた網をかけて、核兵器はすぐにはなくならないかもしれませんが、その意味を縮小していく。それが必要だし、私は、それが日本にも、より中長期的に、戦略的に重要な問題になると考えます。

未完成の北朝鮮の核が、まだ一発あるのではないかとか、二発あるのではないかとか、隠れてウラン濃縮しているのではないかとか、それを追及していくのも大事な課題ではあるのですが、それとともに核兵器全般をどのように薄めていくのか、縮小していくのか、そういう発想も日本がもともとやるべきことだと思います。
それを総論的なところでというか、広島、長崎というところでは一生懸命されているのですが、なかなか東京ではこういう視点での話しは聞かれないですね。

自治体でやると、訴えることはできますがどうしても限界がある、やはり政府が動くということが必要ですね。核の問題について、日本の一部でオーストラリアと連携しながらやっていこうという動きがありますが、こういうことにも私は期待したいと考えています。

木村:北朝鮮の核実験を契機に、いま私たちが何を知り、何を考えなければならないかについて、非常に深いお話をうかがいました。また、そこから、いま日本が問われている課題についても鮮明に見えてきました。
ただし、残念ながら、日本の政治状況、あるいは社会の現状は、その課題に届くものになっていないと痛感します。
それだけに、いま、私たちが何に立ち向かわなければならないかがより明確になったという気がします。
本当に、いま、日本は重要なところに立っているのだと思います。長時間にわたってお話をうかがえたことにこころから感謝申し上げますが、実は、李さんのお話に触発されて、うかがいたいことがいくつも、いくつも浮かんできていまして、時間が足りないことが残念でなりません。

そこでひとつだけ補足してうかがっておきたいのは、お話に何度か登場したキッシンジャー氏の存在についてです。李さんのお話から、非常に重要な役割を果たしはじめているのではないかと感じます。今後の米朝関係で、彼はどんな役割を果たす可能性があるとお考えでしょうか。

李 鍾元:キシンジャーはいろいろと動いているなと思いますね。北朝鮮も、何回もキシンジャーにアプローチしています。彼は基本的に米中連携論者なので、米中連携しながら、北朝鮮にもかなりの保障をしながら・・・と、キシンジャーは70年代からそういう構想ですね。

「四大国保障」、「クロス承認」とか、まあ事実上の北朝鮮承認の流れなのですが、特にキシンジャーの強みは中国政府と深い話ができるということなので、アメリカも、北朝鮮も期待しているところがあるのですね。

2006年にも一回動いたという話もありますね。これは確認できませんけれども、レオン・シーガル氏が「中央公論」の2007年8月号に掲載されたインタビュー、「拉致敗戦」というタイトルですが、 そこで、核実験の後に、日本が拉致といっている間に米朝が手を打ったという話が語られています。

(注:『拉致敗戦──日本は北朝鮮問題で致命的な孤立に追い込まれる』 レオン・V・シーガル氏インタビュー 中央公論2007年8月号掲載。シーガル氏はイェール大学卒業後、ハーバード大学で博士号を取得、米国務省に入る。ニューヨーク・タイムズの論説委員を経て、現在は独立系シンクタンク、米国社会科学調査評議会の北東アジア安全保障プロジェクト部長)

北朝鮮が2006年に核実験をした時にキッシンジャーはブッシュ大統領から頼まれて北京を訪れていたというのです。ブッシュ大統領のメッセージを携えて北京で中国の胡錦濤主席に会ったのだがその間に核実験が起きた・・・ということが書かれています。

ブッシュ政権の後期からあちこちにキシンジャーが登場していました。ホワイトハスにも1~2度行っていますし、金桂寛外務次官が2008年1月にアメリカに行った時にもキッシンジャーに会っています。

事実上、米・中・朝ということで動いていたと思います。ですからオバマ政権もキッシンジャーに一定の役割を考えるのではないかというのは以前からあった観測で、私も十分にありうると思います。

キッシンジャーはロシアに核廃絶の特使として行きましたね。それにとどまらないでしょうし、北朝鮮としても多分キッシンジャー氏ぐらいには来てほしいと思っているでしょう。ある局面では登場する可能性は十分にありうる話だと、私は思います。これまでの流れからいえば、クリントン元大統領やキシンジャー氏は、大きな突破口をつくりだす局面では一定の役割を果たす可能性はあると思います。もちろんもう少し見てみないとわかりませんが。

木村:う~ん、そういうことになると、日本には人物がいないと思わざるをえませんね、残念なことですが・・・。

李:私は以前、別の文脈で言ったことがあるのです。ヨーロッパでは首相や大統領をつとめた人たち、つまり政治指導者として重要な役割を果たした人たちから、たとえばドイツのブラント氏とかですね、国際的な重要な舞台で活躍する人が出ますね。

木村:日本ではそういう役割を果たす人がどうして出ないのでしょうか・・・。

李:日本ということだけでなく、アジアが弱いのですよ。韓国も可能性があったとしたら金大中さんぐらいでしょうか。現在は、健康問題がありますし、国内政治の党派的な問題がさまざまあって発言しづらいということもあるかもしれませんね。

まあ東南ジアでは少しそういう気配のある人がいますが、リー・クァンユーさんとかマハティールさんとか・・・。

多分アジアの政治がまだ視野が狭くて、国内の枠組みの中だけの政治で政治家が育つので、そこで大物になっても国内政治でのことで、もう少し国際的に活躍できるような視野と国際的な評価を伴った政治家が生まれればと思うのですが、アジアではなかなか生まれない、それが残念ですね。

ヨーロッパでは、ヨーロッパ自体が国際社会なのですが、そこで活躍している人がいつの間にか国際機構とか国連のスペシャルなんとかでコミッションをつくると、ブラントコミッションとか、パルメ委員会とか・・・うらやましいかぎりで、残念ですね。

もう一つ考えなければならないのは、日本でなかなか議論にならないのは、拉致の衝撃もあるのでしょうが、振り返って考えると北朝鮮の核危機が表面化した1990年代はじめから現在まで、日本の政治がまだ流動的ですよね。政治の軸が定まらない。そうするとどうしても政治家が内向きになる。なんというのでしょうか、政治家が人気取りといった発言に、どうしてもなりがちですね。

大きな視野に立つ大局の判断について言えば必ずしも多数決で決まるということではなく、ある判断、決断をしてそれを国民に、責任を持って一生懸命説明をして議論する、そうして方向を定めていくということがあるわけですね。政治の仕組みが安定して、政権が安定すればより責任あることができるようになる。

基本的には大きな議論の動きは政治から生まれるということでしょう。アメリカや韓国にはそういう政治家が出てきた。韓国では金大中さんのように、ですね。自分の信念でもあるけれども、韓国の国益を考えて、南北関係をこのように従来とは違う政策でやる必要があると、太陽政策であり、関与政策でありと、これを、身体を張って説明をしたり、実績を見せたり、実験をしたりと。政治が動くとそういう議論が出てくる。

アメリカは、もともと政治家は説明とか政策を打ち出すのが必要なので、クリントンもペリーを使って北朝鮮政策を打ち出したり、反対の立場だったら別の政策を示したりしながら、と政治の仕組みが安定しているとそういうことも出てくるのですが、日本の政治の枠組みが流動的で基盤が不安定なので、政治家はどうしたら次の選挙に勝てるかということばかり考えて動くということになってしまう。

唯一、小泉さんはある種政権が安定していたので、戦略的な見地から勇気を持って、人気とか世論調査に反することを堂々とやったわけですよね。

政治のカンでしょうけれども、非常に戦略的に、田中均さんなど外務省の一部の戦略的な判断、意見を聞いて「わかった!」と言って、意を決して国民に説明しながら戦略的に動いた。ただ、少し短絡的だったので、国民の大きな議論にはなっていかなかったことは残念ですが。多分それがいま、日本の問題だと思うのですね。

やはり政治のリーダーシップですね。政治がこんなに不安定な中ではそうした政治家はなかなか出てこないと思うのです。願わくば、早く、選挙である種の政権が選ばれるルールが落ち着いて、そこで一定の安定基盤を持った政権ができて、それで政策を打ち出して、評価され、議論する、それでうまくいかなければ政権が交代して別のアプローチをする、そうすると自然に客観的な議論が生まれやすくなると思います。

なぜこういうことを申し上げるかというと、政治家も人気取りということが第一になると、感情的に拉致といったことになるのですが、いざ政権の座に就いて総合的な戦略を考えると、やはり拉致問題、非難一辺倒だけではやれないということが分かると思うのです。

福田さんもわかったので動こうとしたわけですが、政権基盤が弱かったので自分で降りてしまった。基盤が安定すればもっとやりたいことがあったと思いますね。

多分、国家の責任ある立場に立つとそうしたことが見えてきてわかるのだろうと思いますが、まだ政治が流動的なので、なかなかできない。政治が落ち着いて、政権が安定して、責任ある政策を説明して判断をあおぐような状況が、多分必要なのですね。そうならないと、残念ながら、受け狙いの政治が続いていくということなのでしょうね。

木村:本当にお話の通りだと思います。政治の責任ということ、そして有権者、国民の責任ということについて、いま、深く考えなければ北朝鮮問題に立ち向かえないという、李鐘元さんの、重い提起だと痛感しました。長時間、本当にありがとうございました。
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