韓国の知性、新しい時代を語るVol.2 - 21世紀社会動態研究所

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韓国の知性、新しい時代を語る 第8回
 以下に掲載するのは、当研究所が主催している「北東アジア動態研究会」での白楽晴氏の講演、報告です。
 韓国を代表する知識人であり、同時に、分断体制と冷戦構造の下にある朝鮮半島と東アジアの現状を克服し新たな時代をひらくために実践的に発言を重ねておられる白楽晴氏を講師に招いて開催することになった今回の研究会(9月25日開催)の趣旨について「開催のお知らせ」から一部抜粋しておきます。
 「3月11日の東日本大震災以降、日本の産業・経済の苦境、政治の底なしの混迷、さらに40年前の『ニクソンショック』以来のドル基軸体制の根底的動揺と、日本と世界は歴史的な転換への歩みを加速していることを痛感します。
 こうした時代の大きな転換点に立って、あらためて、グローバル化とは一体何であったのか、あるいは、競争と効率を至上のものとして突っ走ってきた市場原理主義さらには米国流のマネーゲーム資本主義のあり方を根底的に問い直すことを迫られているというべきです。
 同時にそれはまた、私たちが東アジアに生きる一員としてこの地域で21世紀の時代をどう生きていくのかを歴史的、思想的にも深く問い直すという命題を突きつけてきているものだと考えます。
 (中略)
 7月末、韓国の市民、知識人、各界の代表が結集してソウルで開かれた『円卓会議』に際して『(次期大統領選後となる2013年以後の)新たな時代は、以前とは大きく異なるものにせねばなりません。開発・成長至上主義の限界を直視し、生活の質と人間を重視する国家発展モデルへの転換を図らねばなりません。福祉と性平等、生態と労働の価値が優先的に尊重され、南北がともに生きる韓(朝鮮)半島の再統合の可能性を現実化することで、民主主義とすべての人の人間らしい生活が保障される社会を創らねばならないのです。』と語りかけた白 楽晴氏の「マニフェスト」はまさに今、「震災後」の私たちが直面している問題意識と深く通じるものだと考えます。
 東アジアに生きる一人として、これからの時代とどう向き合い、この地域と世界の未来をどのようにひらいていくのか、問題意識を深めていきたいと考えます。」
 研究会開催にあたっての問題意識は以上のようなものでした。
 研究会での講演と長時間にわたる質疑、討論を通じて、白楽晴氏からは、現在の東アジア情勢と日本、朝鮮半島の南北関係、韓国の政治、社会状況について詳細かつ深い分析と問題提起がなされました。
以下に、講演、報告部分の内容を掲載します。

東アジアと朝鮮半島の新時代をきり開くために
                                     白 楽晴  2011.9.25  神田・学士会館にて

 本日この貴重な機会を設けてくださった21世紀社会動態研究所の関係者の皆さんに心から感謝します。表題に「新時代をきり開くために」という表現を使いましたが、新しい時代が自然に開かれるのを待つのではなく、「私たちの力できり開こう」というのが研究所の皆さんの趣旨と信じ、これに共感してあえてこの表題を選びました。そうした実践的な意志を抜きに、時代がどう進んでいるのかを科学的に分析するだけならば、文学評論家で英文学徒である私は、その資格不十分なアマチュアと言わざるをえません。
 表題に「東アジアと朝鮮半島」を掲げて「日本」を外したのは、第一に本日この席で東アジアを論ずる場合、日本が含まれるのはあまりにも当然であろうし、第二に私が日本についてあまりにも無知なので、わざと人目を引かないように避けた面もあります。ともあれ、発表は日本に関する話から始めますが、外国に暮らす東アジア人として日本社会にかける期待を中心にお話します。

1.東アジア人として日本社会にかける期待

1-東アジア近隣諸国の多くの人々は日本社会に期待よりは不信と憂慮、甚だしくは敵対感情を抱いているのが現実です。
 第一にこれは、19世紀半ばに東アジアの近代が始まって以来、日本が隣国を侵奪して抑圧した歴史に起因するでしょう。また、もはや軍事的侵略は犯していない1945年以後も、かつての隣人に加えた被害に対して本心で反省しているという感じを与えていないからです。
 しかし、日本抜きで東アジアの新時代をきり開く道はありません。今年になってGDP基準で世界第二の経済大国の地位を中国に奪われたのは事実ですが、第三の経済大国という地位も決して軽いものではありません。さらに、一人当たりの国民所得基準でははるかに中国をしのぎ、面積や人口でもヨーロッパの最強国ドイツを凌駕します(面積の場合、領土だけでなく領海と専管経済水域まで含めれば、ドイツとの差はさらに広がります)。
 また明治維新後、日本が「脱亜入欧」の道を歩みながら蓄積してきた学問と技術、制度上の資産も莫大です。脱亜入欧路線が隣国のみならず日本社会にも大きな不幸をもたらし、それによる日本と他の東アジア間の分裂が未だに癒されていないのは事実です。しかし、日本のアジア復帰が円満に実現する場合、日本社会が蓄積したあらゆる資産は東アジアの資産になり、アジアがヨーロッパとアメリカなど、外部世界と協同して新たな人類文明を建設する際に、決定的な貢献をするでしょう。
2-日本がその経済的比重と文化的・技術的力量にもかかわらず、東アジア人の期待に応えられなかったのは政界と市民社会の無気力が大きく作用したと信じます。そういう状況に意味ある変動をもたらしたのが2009年に実現した政権交代でした。その後の民主党政権の無能と漂流により、当時の期待は幻滅に変わった面が多々ありますが、日本でも市民の力で政権を変えうることを示した2009年選挙の意味は依然として無視できないと私は信じます。さらに鳩山由紀夫首相の「東アジア共同体」構想は、一論客ではない国政の責任者が「脱亜入欧」路線の修正を宣言した最初の例でした。これもまた、今は一時の構想に終わってしまった形勢ですが、いつでも新たに芽生えうる種子を植えたのだと思います。
 私が見ても、日本の政局は当分の間混迷状態が続きそうです。その反面、日本という国全体で見れば、3・11大震災と今も持続する福島原発事故によって8・15敗戦に次ぐ転換期を体で感じているようです。こうした実感が、日本の近代化の主導理念である脱亜入欧・富国強兵路線に根本的な変化をもたらすのかは見守るべきことですが、とにかく東アジアと朝鮮半島の新時代を夢見る私としては、日本社会への期待を簡単には放棄できないのです。

2.朝鮮半島住民の要の役割

1-日本社会が自らの役割を果たすためにも、朝鮮半島住民の役割が関鍵であると言えば、韓国人特有の朝鮮半島中心主義の発想だと思われるかもしれません。しかし、例えば一度こんな想像をして見て下さい。これはもちろん歴史の領域から仮想の領域へ移動する話ですが、1910年日本による強制的な併合を阻むだけの力量が大韓帝国にあったなら、日本人の運命もまた大きく変わったのではないでしょうか。それでも、日本が西欧列強の支配下に入ることはなかったはずです。むしろ昨年11月ソウルで催された東アジア平和フォーラムで坂本義和先生が提起されたように、「20世紀の初めから、三国(韓・日・中)の国民が協力して、東アジア共同ナショナリズムを創り出」(坂本義和「東アジア共生の条件――21世紀に国家を超えて」『世界』別冊第816号、岩波書店、2011年3月、164頁)すことは可能だったろうし、度重なる戦争を経てついに原子爆弾まで被った日本民衆の激甚な受難も避けることができたでしょう。
 敗戦後の日本社会が旧体制をきちんと清算できずに、「脱亜入欧」路線を「脱亜従米」に変えて続けてきたのには、8・15以後の朝鮮半島民衆が統一国家を建設できずに、朝鮮戦争の惨禍を防ぎえなかったことが決定的に作用しました。その上、日本政府は植民地支配の過ちを公式的に反省して謝った後も、植民地朝鮮の半分であった北朝鮮に対して、謝罪どころか強圧的な排除政策を堅持できるのも、分断体制の南側当局の同調ないし積極的な扇動があるからです。
2-鳩山首相の「東アジア共同体」構想がもつ決定的な弱点も、朝鮮半島問題の核心に対する認識が欠如していたという点です(拙稿「『東アジア共同体』と朝鮮半島、そして日韓連帯――日本の韓国併呑100年にあたって」『世界』2010年5月号参照)。ただ、その程度の構想でも実質的な破局を迎える過程で、朝鮮半島の情勢が直接的に関与しました。2010年3月の天安艦沈没事件は、南北間の緊張のみならず、東北アジア全域にわたって米・中対立を激化させ、その渦中で鳩山首相は沖縄の基地問題で米国の要求に屈服する契機をみつけ、これがまた鳩山内閣の崩壊と日米同盟の一方的な強化へと続いたのです。
 天安艦事件に関し、詳しくお話する段階ではありません(日本語で発表された関連文献を参照:『世界』2011年3月号、67~70頁)。とにかく、韓国政府が主張して日・米の政府が同調した通り、天安艦の沈没が北朝鮮の魚雷攻撃の結果だとしても、朝鮮半島情勢が日本社会の行方に莫大な影響を及ぼすという論旨は有効です。まして、韓・日・米当局の発表は科学的根拠が不十分だとか、甚だしくは証拠の一部が操作された疑惑まであるというなら、これは韓国社会が自らの国内問題をきちんと解決できないため、日本を含む関連国の不義・不当な選択を誘発した、もう一つの事例になるでしょう。
3-とにかく朝鮮半島における南北間の衝突を契機に、韓・日・米が一方に立ち、北朝鮮・中・ロシアが他方に立つ「新冷戦構図」が成立するだろう、という観測が一時盛んになったこともありました。しかし、往年の東西冷戦体制に匹敵するほどの対決構図が再現される条件は存在しないようです。中国は米国の最大の債権国であり、米国は中国の最大輸出国という事実からして、かつての米・ソ関係とはあまりにも違います。それに朝鮮半島を中心に見ても、韓国は日・米だけでなく、中国およびロシアとも国交を結んでおり、両国との経済関係も深い方です。特に中国とはそうです。こういう状況で前述した「新冷戦構図」が成立するなら、それは極度に非対称的な構図の中で北朝鮮の孤立を深化させる道しかなく、南では少なくとも短期的には北に対する優位が強化されると喜ぶ人もいるでしょう。ただ相対的な劣勢がひどくなるとしても、それが直ちに北朝鮮の「崩壊」を意味していないことは、ここ数年間の対北制裁の局面で明らかになりました。そして、北がこうした劣悪な状況が続くことを大人しく見守ってはいないだろう、という観測が優勢です。米・中間の葛藤と摩擦は持続するにしても、大枠で妥協して協力するのは明らかであり、六者協議の再開に向けた米国の動きが感知されてもいます。
 そのため、韓国政府が「新冷戦構図」に期待をかけすぎると、ある日突然韓国は周辺の強大国の将棋のコマに転落する公算が大きいのです(韓国政府も今はその危険性に、遅ればせながら気づきはじめた気配が認められます)。日本政府もまた、米国と手を組んで中国に対抗するという政策にあまりにも依存しすぎると、実際は米国が日本の支持を適当に利用して中国とより有利に妥結してしまう、という目にあうかもしれません。もちろん、米国との関係は韓国と日本にとって重要なもので、知恵をもって発展させていくべき問題です。しかし、韓・日(と台湾)すべてが自ら変わりながら相互に連帯することで、東アジアは米国と中国が勝手に争っては、勝手に手を組みもする舞台ではなく、何よりも東アジア民衆の意思が尊重される地域になるようにすべきでしょう。

3.韓国における「2013年体制」

1-この間の韓国では、天安艦沈没のような大型事故、南北間の様々な衝突、また気候の変化を実感させる台風や洪水の被害がありましたが、日本におけるような大地震や津波、そして致命的な放射線の流出事故はありませんでした。にもかかわらず、いわゆる「四大河川の蘇生」で包装された無理な土建事業により、天災地変ならぬ政府主導の大々的な環境破壊が進みました。老人層をはじめとする庶民の生活難は災害レベルに近接し、原発事故はなくても住民の自由と基本権に対する制約が大幅に増大しました。南北関係もまるで津波に襲われたようにあちこちで崩れ、壊われました。どうかすると、日本の3・11に匹敵する「低強度大災難」が起こったわけです。その結果、いくら低強度にしても市民の間歇的な抵抗を抑えつけ、4年近く続いた人災も天変地異の水準という認識が広く行きわたり、李明博政権の任期が終わる2013年に韓国社会は新たに出発しなければという情緒が、保守・進歩を問わず、多くの人々に共有されています。
2-こうした認識と情緒に基づく企画の中で、私自身の提起した「2013年体制」論は、今日の混乱ぶりはすべて李明博政権の失政のためだという立場とは次元を異にします。2013年「体制」を論じるのは、韓国現代史で軍事独裁を終息させた1987年6月民主抗争後に成立した87年体制が、適時に新しい段階に進みえないために、少なくとも?武鉉政権の半ばから初期の建設的動力を大部分喪失して末期的な混乱現象を見せはじめた、という認識を前提にしています。李明博政権が批判を受けるべき点は、こうした混乱を初めてひき起こした点ではなく、87年体制を克服して2008年を「先進化元年」にしようという李明博氏の約束は当初から実現性もなく、時代精神にもそぐわない発想だったのに加え、実際に87年体制の末期局面をさらに引き延ばして、その混乱ぶりを「天変地異」の水準に拡大したという点です。
 2013年に本当に新しい時代をきり開くためには、87年体制の動力と限界に対する正確な認識が必要です。ここでは私自身の見解の概略的な説明に留めざるをえません。87年体制はよく「民主化時代」と称されますが、私は民主化以外にさらに二つの動力が加勢したと信じます。その一つは経済的な自由化です。ここにはすでに新自由主義の局面に入った世界資本主義の影響も作用しましたが、少なくとも87年体制の初期は、開発独裁国家から企業の自由と労働者の権利を同時に獲得するという肯定的な過程でもありました。もう一つは――韓国内の進取的な87年体制論議でもよく忘れられる点ですが――、6月民主抗争陣営の一角で特に重視された「自主」と「統一」への要求です。
 1987年から約20年間、韓国社会は三つの領域すべてで意味深い成果を達成しました。だが重要な点は、その三つの動力が円満に結合して持続性と相乗効果を確保することで、あまり長くない時間内に87年体制自体の限界を突破することでしたが、2008年の新政権の成立はそうした契機になるどころか、大々的な逆行の時期に帰結したのです。
3-それでは、87年体制の基本的限界とは何でしょうか。様々な解釈があるでしょうが、私は民主化の達成がどこまでも朝鮮半島南部に局限された達成だったし、したがって1953年の休戦後に固定化された分断体制を揺り動かしはしても、「53年体制」の枠組を変えられなかったという点だと思います。これにより、民主勢力は分断体制の固守勢力と厳しい戦いを交えざるをえず、経済的自由化の過程は次第に新自由主義による国家の公共性の縮小、財閥企業の市場支配の拡大、労働運動の社会的革新能力の喪失などの後退現象を生むようになり、金大中・?武鉉政権の画期的な南北関係の改善作業も国内改革の議題との相乗効果をあげられないまま、結局2007年の大統領選挙で「非核・開放・3000」という、とんでもないスローガンを掲げた勢力に敗退してしまいました。
 そのため2013年体制の主要課題は、87年体制とあわせて、その本質的制約として作用してきた53年体制を打破することです。とはいえ、直ちに統一へと進むわけではありません。ただ、李明博政権が破綻状態に追いやった南北関係を復元して、交流・協力を再開することだけでは不十分なのです。停戦協定を平和協定へと変える朝鮮半島の平和体制の構築とともに、統一ではないが完全に別の国家に分立する状態でもない、「南北連合」という分断現実の共同管理装置、それでも朝鮮半島の脈絡では「第一段階の統一」と見なしうる段階(拙著『朝鮮半島の平和と統一』、岩波書店、2008年、13~17頁)を達成しなければなりません。そしてこれは、決して「南北問題」という別の次元で解決されるのではなく、一方で北京9・19共同声明(2005年)が提示した東北アジア平和体制の建設と並行しながら、他方で市民が同意して参加する韓国社会の総体的な改革と結合した作業なのです。
4-それを可能にするために、この目標を志向する勢力が2012年の二大選挙、つまり4月の国会議員選挙と12月の大統領選挙をすべて勝たねばならないのは当然です。とはいえ、2013年体制に対する経綸が明確で、それを執行すべき実力を備えた勢力でなければ、執権しても再び国政の乱脈ぶりを呈するのがオチです。いや、実際の選挙に勝利できるかも疑問です。李明博政権に対する民心の厳しい批判にもかかわらず、与党・ハンナラ党は政党支持率で相変わらず民主党を大きく上回る巨大な勢力であり、朴槿恵氏という高い世論支持率を固守してきた候補を保持してもいます。
 こうした状況で、野党勢力の当然の選択は「連合政冶」です。これは2010年の統一地方選以来、成果は不十分ながらも野党勢力の成功に相当な寄与をしており、今や誰もその当為(Sollen:かくすべし)を疑いません。ただ、2012年の国会議員選挙に関しては、野党勢力の「大統合」、つまり連合的な単一統合政党を主張する民主党および相当数の党外人士と、民主党を除く「進歩政党」の統合後に民主党と「連帯」するという主張が対立しています。しばらくの間、その問題を巡ってお互いに会って意思疎通するのも憚られる程でした。こうした膠着状態を打開するためにも、2013年体制論が一助となったわけです。去る7月26日に発足した「希望2013・勝利2012円卓会議」は、「2013年以後」のビジョンを共有する中で、「2012年選挙勝利」の方策も順次論議しようという合意の下に、見解を異にする市民社会の人士21名が一堂に集まりました。次いで9月5日には、野党4党の代表との会同を実現させ、2012年二大選挙と近く行われるソウル市長補欠選挙に共同で対応するという原則的な合意を導き出しました。その後の進展事項や展望については、この後の討論で触れる機会があるでしょう。

4.むすびに

1-先ほど、20世紀初めの日本による植民地化を防止できずに、20世紀半ばに同族殺しあう戦争を自ら招いた朝鮮半島住民の歴史的な失敗が、日本の民衆の苦難を加重させた事実に言及しました。そういう点で、日本が韓国に負った負債とは別の次元ですが、韓国もまた日本に返す負債があると言えましょう。私は韓国で2013年体制を成立させ、1953年体制に変わるべき朝鮮半島の国家連合体制を建設することこそ、そうした「負債償還」の近道だと信じます。私は日本社会の力量を過小評価するわけではありませんが、日本が3・11の教訓をきちんと生かして既存の脱亜入欧・富国強兵路線を清算して、新しい東アジア、ひいては新しい人類文明の建設に積極的に出ていくことは、韓国における2013年体制の達成なしでも可能であろうとは考えられません。当面「脱原発」の問題だけみても、韓国政府が今のように泰然自若として既存の原発建設および輸出計画を推進するなら、日本経済は韓国側の「不当競争」でより苦しくなり、「脱原発」勢力の立場はそれだけ狭まることになります。その上、日本がアジアの他の国との歴史的分裂を修復して東アジアの一員に復帰するには、朝鮮半島の分断解消ないし緩和が必須のものとして求められているのです。
2-中国の台頭が東アジアと世界にとって幸福な事態になるためにも、韓国と朝鮮半島の新時代が緊要です。最近少なからぬ人々が「G2」を語り、甚だしくは米国から中国への「勢力転移(power transfer)」を論じています。でも私は(アマチュア的な推測ですが)、中国の人口がいくら多くGDPが急速に増えたとしても、米国の覇権的な地位の継承はもちろん、全般的な国力で米国と単独でわたり合うのも不可能だろうと思います。日本が米国側に立っている状況では、余計にそうでしょう。もっとも中国と日本が協同する場合なら、米国との勢力均衡は大いに異なるでしょう。でも、このためには和解・協力および漸進的な再統合の過程に入る朝鮮半島の存在が必須ではないかと思います。直接的な仲裁者としての役割も無視できないでしょうが、新たな共生の原理と雰囲気を伝播する威力がより決定的でしょう。
3-新たな共生の原理を尊重する韓(=朝鮮半島の連合)・日・中の協同ではない、韓・日・中三国の助け合いは現実的に定着しがたいでしょうし、東南アジアを含めた他の国家から警戒の対象にならざるをえません。東アジア全域にわたって達成された互恵的な地域連帯のみが、米国の力でも下手に口出しや妨害ができない実力と道徳的権威をもちうるのです。これは、中国単独では新たな覇権国家になりえないので、ヨーロッパ連合式の東アジア連合を形成して世界体制の新たな覇者(hegemon)になろうとする発想とは本質的に異なります。現存する資本主義世界体制は、それを構成する国民国家の排他的で理論上は対等な「主権」を前提としているため、特定の国家が覇権国家の役割を遂行しない場合には、無政府状態を免れがたいです。1つの覇権国家が衰落する場合、戦争を経てでも覇権の継承が達成されてこそ、維持される世界秩序なのです。現在は米国の覇権が没落しながら、新たな覇権国家(または覇権的国家連合)の台頭も期待しがたいために、今までは経験しえなかった地球的な秩序維持の方式が創案されないなら、近代世界体制は無秩序以外に期待できない状況に至ったと思います。私はそうした新しい秩序維持の原理の発見と実現に東アジアが先頭に立つ可能性に言及したのであり、このために3・11を経た日本と、数年間「低強度大災難」を経てきた韓国の民衆が力を合わせて特別に貢献できることを望んでいるのです。
韓国の知性、新しい時代を語る第9回
 白楽晴氏の最新の論考「『金正日以後』と2013年体制」が届きました。
 韓国を代表する論壇誌「創作と批評」掲載の白楽晴氏のこの論考は、北朝鮮の金正日総書記の死去をふまえた朝鮮半島、韓国情勢と今後の動向について示唆に富む分析、考察となっているだけでなく、白氏が従来から説いてきている「2013年体制」論を軸に、鋭くかつ重い問題提起となっています。
 「金正日死去」後をめぐる分析、考察の底の浅さを露呈した日本のメディアを目の当たりにするとき、白楽晴氏の論考の説得力と重みに胸を衝かれる思いがします。
 掲載に当たっては今回も、翻訳の労をおとりになった青柳純一氏(コリア文庫副代表:仙台)のご尽力をいただきました。
 なお、当論考は韓国で編集、発行されている『創作と批評』の日本語版Webサイトに青柳氏の翻訳で掲載されています。

         「金正日以後」と2013年体制           白楽晴(『創作と批評』編集人、ソウル大学名誉教授)

 金正日国防委員長の突然の他界は、韓(朝鮮)半島全体にとっても大事件である。普段は韓半島に関心がうすい西側メディアも、これを大々的に報道して「金正日以後」がどのように展開されるのか、多数の論評があふれ出た。後続の金正恩時代がどういう様相になるのか、誰もが気になるようだ。
 ところで、こういう懸念もある。北の指導者交代と南における2013年体制のうち、どちらがより大きな変数になるのか。北の同胞にとっては領導者の急逝が当然最大の事件だろう。しかし、韓半島全体の長期的展望では2013年体制の成否、つまり1987年6月抗争で韓国社会が大きく変わったように、次の政権がスタートする2013年をそれに劣らぬ新たな転換点となしうるのか否か、がより重要かもしれない。
(“2013年体制”に関しては、当Webサイト「第6回」掲載「“2013年体制”を準備しよう」を参照)
最高指導者の急逝と「急変事態」を区別すべき
 そう思うようになったのは、指導者の急逝が国の急変事態に直結しないシステムを北側が準備していたことが次第に明らかになっているからだ。そのシステムが民主的か、あるいは社会主義的か、というのは別問題である。むしろ、王朝的な性格が際立つ。米国のオルブライト前国務長官の回顧録には、金正日委員長がタイの立憲君主制に強い関心を表明したと書かれている。そこには北朝鮮の体制が形式と内容すべてでタイとは大きく異なるが、金正日から金正恩への交代が年老いた国王の崩御に備えて、冊封しておいた皇太子の即位と似た面があるのは事実である。こうした備えに注目していたなら、あれほど安易に「急変事態」を予測しないだろう。
 北の体制の「王朝的性格」に留意するというなら、金正恩党中央軍事委員会副委員長の歳が若いとか、後継者としての研修期間が父親の時より短いというのは事実としても、すぐに大問題を起こすようには思えない。最初の世襲(第二代の世襲)の場合、国祖に該当する金日成主席の比重が何しろ大きく、彼の死があまりにも急だった上に、共産主義革命を標榜して建設された国家の「王朝的」変形を初めて確認する過程だった。そのため、一層多くの準備が必要であり、もしかしたらより激しい陣痛を伴ったかもしれない。その反面、第三代の世襲は金日成の家門(いわゆる“白頭血統”)でなければ、最高指導者の地位に上がれないことが通念化された社会で、第二代の世襲によって既に作られた道に沿って進行している事件なのである。
 他方、同じ唯一体制にあっても金日成と金正日の権力が異なったように、金正恩体制も、多かれ少なかれ、変容をとげて形成されるとみるのが正しいだろう。金正日委員長が絶対権力を振るっていたとはいえ、先代とは違って、彼は「首領」でも「主席」でもない地位で「先軍政治」という軍部との一定の妥協を前提にして権力を行使した。同様に金正恩は、かつての日本の天皇を彷彿とさせる神聖不可侵の存在として擁立されても、彼の実質的統治は党や軍のエリート集団とのまた異なる関係の中で進行する可能性が高い。その新しいシステムがどれほど現実に適応し、「大将同志」自身がどれほど政治力を発揮するかによって、金正恩時代の命運は分かれるだろう。
2013年体制の建設が核心的変数である理由
 とまれ、金正日委員長の肉体的な生命に対する不確実性を、すぐに北の体制の「急変事態」の可能性と同一視してきたシナリオが色あせて、韓半島情勢の「不確実性」がかえって減少した面がなくはない。同時に、南の民衆が2013年体制を建設できるか否か、という変数の比重がそれだけ高まったと言える。
基本的に、その比重は南北の国力の違いと無関係ではない。南北は経済力と国際社会における影響力があまりにも違うため、結局南の社会がどういう選択をするかが、一層大きな重みを持つようになったのである。こうした原論的な考察を抜きにしても、この間李明博政権が韓半島情勢をこじれさせるのに、いかに決定的な役割を演じたかを振り返れば、「韓半島問題で韓国政府の主導力」を実感することができる(韓半島平和アカデミー、2011年11月1日講義「2013年体制と包容政策バージョン2.0」を参照)。
 もちろん、北で急変事態が実際に起きるというなら、話は異なる。そして、遠い将来にどんな状況になるのか、誰がわかろうか。とはいえ、中期的にも北の急変事態を防止しようとする中国の意志と能力に大きな変動はないはずだし、今は内部的に比較的秩序整然たる継承作業が進行している模様である。そして、中国のみならず米国、ロシア、日本すべてが、ひょっとして順調な進行が危ぶまれるかと思い、一斉に「安定最優先」を叫びたてている形勢である。その上、李明博政権も特有の無定見と無教養を露呈はしたが、結果的に安定維持を選択したのは明らかである。
 韓国以外の変数を語るなら、むしろ2012年の米国大統領選挙で共和党候補が当選する可能性が心配の種である。共和党の候補指名選挙に出馬した人々の中で穏健派だというマサチューセッツ州のロムニー知事でさえ、極右的な公約を乱発しているからだ。だが、最悪の場合共和党が政権を取ったとしても、2013年体制がほぼ不可能になるだろうとは思えない。ジョージ・W・ブッシュが当選した2000年代の初めとは異なり、現在の米国は国家経済がほとんど破綻し、国際社会での影響力が著しく弱体化した状態である。こうした状況で合理的な国家経営をあえて放棄したような政綱・政策を掲げて当選した大統領が、韓半島と東北アジアでブッシュと同じ腕力を行使するのは難しいだろう。韓国国民が2012年に新たな出発を選択した場合、邪魔をして手を焼かせることはあるにせよ、完全には挫折させえないと思われる。
2013年体制の建設における北朝鮮変数
 あちこちで論議や勉強が進められているようだが、2013年体制は韓国社会の一大転換を期している。87年体制における民主化を新たな段階に躍進させて、この間の激しい格差拡大の傾向を反転させ、国家モデルを生命親和的な福祉社会に変え、正義・連帯・信頼のような基本的徳目を尊重する社会的雰囲気を再生するなどの課題を設定している。その際に核心的議題の一つであり、ある意味では、他の議題の成功を左右するのが、分断体制を克服する作業の画期的な進展である。
 「克服作業の画期的な進展」であって完全な「解消」を注文しないのは、1953年の朝鮮戦争の休戦以来、固定化した分断体制の完全な克服はまだ遠い先だからである。とはいえ、2013年体制成功の一つの前提が、停戦協定を平和協定にとりかえる作業である点だけは明らかである。新政権がそれすらできなければ、87年体制の民主改革作業を妨げてきた勢力を制御するのは難しいだろう。もちろん、平和協定だけでもそう簡単ではなく、北の同意と周辺国、特に米国の同調が必要である。6者協議が再開されて核問題の解決に最小限かなりの進展を見せながら、南北間および米朝間の信頼が築かれてこそ、可能なのである。しかし、このすべては「金正日遺訓」の範囲内にあるもので、北も金正恩時代の安定化のために当然追求するであろうと思われる。
 その反面、南北連合の建設という2013年体制のより大きな目標は、多少次元が異なる。これも金正日委員長の遺産である(2000年)6・15共同宣言に含まれたものであり、実際に(2007年)10・4宣言を通じて、その準備作業は開始されたが、いざ南北連合を受けいれようとすれば、新たな戦略的決断が必要であろう。金正恩体制がそうした意志と実力を持つようになるか否かは、現時点では未知数である。だが、周辺の条件が改善され、特に南の国民が北との和解と協力を確実に選択して賢明に推進する場合、新大統領の任期内における実現は必ずしも不可能ではないと信じる。
 とにかく、李明博政権の残された期間でも対北支援と金剛山観光を再開することが急務である。経済協力を拡大して高官クラスの接触を進め、「北朝鮮変数」を大韓民国の利益と韓半島の大多数住民の念願に合致する方向へ管理しなければならない。そうするなら、政権の不名誉はそれだけ少なくなり、87年体制の克服がそれだけ順調に進むだろう。その反面、それすらできないというなら、政権交代を通じて新体制をスタートさせる必要性が一層高まるだけである。
2013年体制は近づいている
 2013年体制が近づいている兆候は、2011年韓国のあちこちに現れている。何よりも10月のソウル市長補欠選挙の勝利と「安哲秀現象」がそうであり、韓進重工業の巨大クレーンの上で309日間の籠城闘争を貫徹した金鎮淑(女性)が「希望バス」をはじめとする汎社会的な支援を得て勝利できたのも、そうした兆候の一環だろう。変化の中心には、SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)という新しい媒体を通じて今までになく緊密に連結して、意思疎通する大衆がいることは様々な分析家が指摘している。彼ら大衆は、いざとなれば、オフラインでも動き出す態勢ができているという事実が決定的である。これに加え、金正日時代の終焉はともかく変化が不可避であることをあらためて悟らせてくれた。北でも「ジャスミン革命」が近づいたという虚妄な期待ではなく、韓国の守旧勢力が北の事情を正確に把握して分断の現実を賢く管理する能力をほとんどもたないことが再確認され、時代転換に対する韓国民の欲求をさらに刺激しているのだ。
 与党の有力な大統領選挙候補である朴槿恵議員(朴正熙元大統領の長女)が、与党非常対策委の委員長として早めに前面に登場したのも、2013年体制を予感させる兆候ではないかと思う。何しろ、「李明博の継承」を掲げて選挙を行えないのは幼い子供でもわかることで、したがって朴委員長がいつか登場するのは予見された手順だった。しかし、大統領と距離を置きながらもう少し長い間神秘のベールの中に留まっていて、総選挙が迫ったら彗星のように現れるというのが、当初の戦略であったと推測される。だが、急変する世の中はそうした優雅なイメージ政治をもはや許さなかったのである。彼女はソウル市長選で仕方なしに与党のナ・ギョンウォン候補(女性)の支援に関与して傷だけを被り、非常対策委員長としての「早期登板」でさえ紆余曲折を経ざるを得なかった。とにかく、エースの救援登板によって接戦の様相は変わった。今後朴槿恵体制が実際に党内の疎通と問題解決の能力を発揮して4月総選挙を勝利に導くならば、彼女の大統領選挙の展望も一層明るくなるだろう。その反面、そうできなかった場合、大統領選挙の勝利のために与党最大のカードは早々と力を失いかねない。
 野党勢力が分裂によって自ら敗北を招く可能性も厳然と残っている。この間、民主統合党と統合進歩党の結成でそれぞれ部分的な統合を実現し、少なくとも連合対象の政党の「個体数」を減らす成果を確実に収めた。しかしながら、これら両党の追加統合ないし選挙連帯は相変わらず確信できない。国会議員選挙において異なる党が連合するということは、共同政権を前提にして大統領候補を単一化することよりも何倍も難しいからである。その上、どの政党も支持しない有権者の威力を象徴する「安哲秀現象」が追加の変数として残っており、連帯さえできない野党勢力が彼らを引きこむのは難しいはずである。
 関鍵はやはり2013年体制である。顔だけ代えて「李明博との差別化」に成功した旧執権勢力で満足するのか。あるいは、韓国だけではなく南北が共有する画期的な新時代への転換を達成するのか。困難とはいえ、胸高まる冒険の道に向かって多数の国民が情熱と知恵を集めさえすれば、総選挙という最大の難関を突破する現実的な方案を準備できないという法もない。政界の惰性や小さな利益の確保が一段と難しくなると同時に、分断体制の中で暮らしながらあまりにも完璧ですっきりした解決策を期待するのも、また違った惰性であることを冷徹に認識するようになるからだ。
 誰よりも私たち一人一人が2013年体制の到来する兆しに心を開き、信念に満ちた努力を持続することである。英国の詩人シェリーは「冬来たりなば、春遠からじ」と吟じたが(「西風の賦」、1819年)、私たちは表現を少し変えて「春近づきて、いずくんぞ冬長からん」と詠めそうである。
韓国の知性、新しい時代を語る第10回

【掲載にさいして】
 久しぶりに韓国から白楽晴氏の論考が届きました。この「6・15南北共同宣言と2013年体制」はさる6月14日ソウルでひらかれた「6・15南北共同宣言12周年記念式」(ソウル市、金大中平和センター、韓半島平和フォーラム共同主催)での白楽晴氏の講演です。
 「6・15南北共同宣言」にかかわる会合や集会はいくつかひらかれていますが、上記の集会は開会の辞を述べた朴元淳ソウル市長をはじめ林東源元統一部長官、韓明淑前国務総理ら各界からおよそ千人が参加して開催されました。
 今回の論考は4月の総選挙以降、年末の大統領選挙にむかう韓国の政治、社会情勢について述べられているだけでなく、白楽晴氏が提起してきている「2013年体制」にむけて、何にどう立ち向かうべきかを説得力高く語ったものです。
 今回も掲載にあたっては青柳純一氏(仙台コリア文庫)のご尽力をいただきました。
 先月(6月)には青柳氏の翻訳で白楽晴氏の論考を体系的に集めた「韓国民主化 2.0 『二〇一三年体制を構想する』」が岩波書店から刊行されました。青柳氏のご厚意でこの書の「訳者解説」(あとがき)を白楽晴氏の講演に「付録」として掲載します。
 あわせてお読みいただくことで、白氏の講演の意義も一層深く伝わると考えます。

            6・15南北共同宣言と2013年体制     白楽晴(ソウル大名誉教授、韓半島平和フォーラム共同理事長)

 本日私たちは6・15共同宣言12周年を記念するために集まりました。歴史的な事件の記念式ですが、多くの方々が複雑な思いでいることでしょう。6・15共同宣言の署名者で、金大中平和センターの創立者であった金大中元大統領がおられない状態で催す三度目の記念行事である上に、元大統領が最後に出席された9周年行事の時も祝祭の雰囲気とは程遠いものだったと記憶しています。
 当時は盧武鉉前大統領が不幸にも逝去された直後で、結局金元大統領にとっても、それが最後の公開演説になりました。金元大統領は“6・15に戻ろう”というタイトルの記念式で、まるで政治的遺言を残すかのように、「切に心から、血の滲む思い」で“行動する良心”になろうと訴えました。「行動しない良心は悪の仲間」とまで言われました。そして李明博大統領に、「もし李明博大統領と政権が今のような道を進み続けるならば国民も不幸だし、李明博政権も不幸だと確信をもって申し上げ」ると言われました。
 しかし、李大統領は金元大統領のこの忠告と警告をずっと無視してきました。6・15に戻るどころか、2010年には天安艦沈没を口実に、いわゆる5・24措置を発表して6・15以来、いや盧泰愚政権以来、たゆまず続けてきた民族和解の流れを覆して南北交流を完全に遮断しようとしました。結果的に、北の核能力だけが格段に強化されて中国依存度が高まり、むしろ韓国経済に莫大な損失をもたらしました。国際舞台でも韓国の役割はお粗末の極みになりました。民族も不幸に国民も不幸になったのはもちろん、最近の状況を見ると、金元大統領がおっしゃった通り、李明博政権も不幸と言わざるをえません。
 他方、国民は金元大統領の心からの叫びを無視しませんでした。2010年6月の統一地方選挙で、政府の“北風”攻勢にもかかわらず、与党ハンナラ党に敗北をもたらし、南北関係とは直接関連しない2011年10月ソウル市長補選でも、反省することを知らない李明博政権に再度鉄槌を加えました。さらには、今年4月の総選挙の結果は、金元大統領の遺志に反して自分たちの小さな利益に汲々とする野党への信任拒否であり、政府与党の独走を次期国会では容認しないことを鮮明にしたものでした。同時に、野党勢力がきちんと自己を革新して団結すれば、12月大統領選挙に勝利する可能性も開きました。

 要は、今後の私たちのやり方次第なのです。李明博大統領は今さら変わるはずもないし、変わるほどの力もありません。これ以上大きな事故を起こさないよう、最近になって小出しに許容してきた民間接触を多少とも拡大するよう、望むだけです。他方、現与党のセヌリ党で最強の大統領候補・朴槿恵議員は李大統領との差別化を掲げ、6・15共同宣言と10・4宣言に対する原則的承認を語ってもいますが、果たしてどれほどの真剣さと内容があるものか、疑わしいです。彼女を取り巻く人士の顔ぶれも問題ですが、自ら平然と繰り広げる思想攻撃や、独裁時代に私たちがうんざりするほど聞かされた‘国家観’も問題です。結局、私たち国民一人一人が“行動する良心”となって政界と社会全体の刷新を主導し、朝鮮半島の平和と民主主義に対する確信と経綸を備えた指導者を選択しなければなりません。
 その過程で、私たちは最近論議になった“従北(対北追従)主義”の問題も、きちんと整理する必要があります。李明博時代4年余りを経て進行した韓国の大手メディアの低質化は、6・15共同宣言に対する支持自体を“従北”ないしは“親北左派”と攻撃する言説を日常化してきました。これこそ“従北”問題に対する公開的論議と批判をむしろ難しくさせ、少数の従北勢力に安全な隠れ家を提供しました。大韓民国の国益と朝鮮半島全体の住民の安全および暮らしの質の改善のために、北とも疎通して接触しながら必要に応じて協力するという“通北”と、南北対決の状況で北当局の路線に追従する“従北”の違いを曖昧にしてしまったのです。最近、統合進歩党内の問題を契機にして大統領から与党や保守メディアまで口をそろえて従北主義の問題を掲げ、大統領選挙での楽勝を夢見ています。だが、私たちはこの討論を拒むべき理由がありません。
 “従北”と“通北”は当然区別しなければならず、私たちの選択は明確に従北ではなく通北です。ただ、従北主義に対する非難がどういう観点でなされているかが重要です。それは長年来の反共主義や国家主義ではなく、民主主義の原則に立脚しなければなりません。そして、6・15共同宣言の合意通り、朝鮮半島の平和的のみならず漸進的かつ段階的な統一のために、最小限私たち南の国民だけでも“第三の当事者”として、重ねて言えば、北の政権はもちろん、わが政府にも屈従を拒否する主権者たる市民として、屹立する姿勢で臨まねばなりません。
 そうした原則と姿勢にそって野党の整備が達成した時に、初めて大統領選挙の勝利が可能となり、勝利後の新時代の建設に成功することができるでしょう。

 2013年の新政権の発足とともに私たちが切り開こうとする新時代を、私を含めた多くの人々は“2013年体制”と呼びます。1987年6月抗争を通じて出発した韓国現代史の新たな時期をよく“87年体制”と言うように、これに匹敵するレベルの新たな出発を実現しよう、という趣旨です。87年体制は、軍事独裁の終息と経済分野での自由化、南北基本合意書と6・15共同宣言、10・4宣言のような南北関係の発展など数多くの成果を残しました。しかし、国内外の諸事情から跳躍すべき時に次の段階へ跳躍できず、初期の建設的動力が次第に失われていき、社会的混乱を増大させました。その渦中で、“先進社会への跳躍”を掲げた李明博候補が当選しました。しかし、こうして権力を握った李明博政権は、跳躍どころか退行と暴走を繰り返したため、今や民主、民政、正義、平和などすべての面で、総体的危機に直面することになったのです。
 この危機を克服し、真の跳躍を今度こそ達成する2013年体制において、6・15共同宣言は核心的な位置を占めます。単に6・15共同宣言と10・4宣言が切り開いた南北和解と平和・協力の歴史を復元すること以上の意味をもっているのです。2013年体制の南北関係は、この間両宣言を否定してきた勢力に対する国民的膺懲の鉄槌を土台にして進行するでしょうし、それだけ朝鮮半島の平和体制の樹立と南北の漸進的再統合の過程で、“第三の当事者”の役割が増大することを意味するのです。民主主義と南北関係の発展、そして民衆生活の改善において、以前にはなかった順理に適う循環構造が準備されるのです。
 実は、87年体制が帯びていた本質的な限界は、6月抗争が1961年以来の軍事独裁体制を終わらせたとはいえ、軍事独裁の基盤をなした1953年来の停戦協定体制を根本的には変えられなかった、という事実にありました。分断体制を揺り動かすことはできたけど、越えることはできなかったのです。しかし、これを越えて新しい汎朝鮮半島的秩序の建設の道を切り開いたのが6・15南北共同宣言です。その延長線上で停戦協定を平和協定に変えることができるか否かにより、2013年体制の成否がかかっているのです。
 もちろん、6・15共同宣言自体に平和協定に関する言及はありません。当時は朝鮮半島と東北アジアの平和に関して、周辺の関連国の合意がまだなかったからです。6・15共同宣言の発表後、米・朝共同コミュニケが2000年10月に初めて出され、2005年9月北京での第四回六者協議で重要な当事国間に9・19共同声明という包括的な合意が初めてなされました。しかし、米国にブッシュ政権が登場して以来、様々な障害が続出しました。何よりも“第三の当事者”たる私たち南の市民の準備が不足しており、“行動する良心”が不十分でした。その結果、大多数の国民も不幸で民族も不幸で、大統領自身も不幸になりました。そうした今日の状況において、私たちの力で政治を変え、社会を変えるのに成功するならば、2013年体制の到来を妨げる外部勢力はないでしょう。今年の12周年式典が、6・15共同宣言の発表を複雑な思いで記念する最後の席となるよう、心から念じています。ご清聴、ありがとうございました。

(附)白楽晴「二〇一三年体制」論について
「韓国民主化 2.0 『二〇一三年体制を構想する』」 訳者解説  青柳純一

1.はじめに
 本書は本来、著者・白楽晴(ペクナクチョン)の『どこが中道で、どうして変革なのか』(チャンビ、2009年)の翻訳書として2011年中の刊行をめざして準備された。しかし、五月に発表された「『二〇一三年体制』を準備しよう」(本書第11章)以後の著者の旺盛な執筆活動により、2012年初頭には韓国で『二〇一三年体制づくり』という新著が刊行されたため、掲載論文を大幅に変更せざるをえなかった。とはいえ、それは翻訳者にとって大変ではあっても、楽しい「仕事」だった。なぜなら、「二〇一三年体制へ向かう韓国」の成否を左右する2012年4月の総選挙直後に、本書をよりリアルタイムで、より意味深いものとして日本に紹介できるからである。
 結果として、最初に準備した本からの訳文は第二部の論文5本に限られる。そして、新刊書の主要論文4本を第三部にまとめて配し、短文を第一部と終章に挿入した。そうすることで、著者の「二〇一三年体制」論の輪郭を明らかにしただけでなく、後述するような著者の実践活動を通じて、今日の韓国の連合政治の基本となる考え方がかなり詳しく紹介できたと思う。本稿では、第三部を中心にして二〇一三年体制の基本的な内容、背景とともに、2012年の二つの選挙がもつ歴史的意味と著者の立場などを、簡単に解説していきたい。
2.「分断体制論」と2010年二つの大事件
 本書の著者が、「分断体制論」の原型を提示したのは1980年代半ば、まだ全斗煥軍事政権の時代だった。以来25年余り、皮肉にも、金大中、盧武鉉政権後の反動である李明博政権下になってようやく、彼の「分断体制論」の真価が正しく、幅広く理解されるようになってきた。その原因は後述するが、2010年の二つの大事件(天安艦事件と延坪島事件)が大きな転機となり、その理論的発展ともいえる「二〇一三年体制論」が形成されたのである。
 まず、著者が提起した「分断体制論」は朝鮮戦争(1950年6月~53年7月)が終わる時点以後を対象とする。つまり、「(一九)五三年体制」ともいえる「分断体制」は、その後今日まで60年近く続いているが、大きな転機が二度あった。その最初が、1987年6月民主抗争を契機とする韓国内の民主化と、これに前後する米ソ冷戦体制の崩壊であり、この時期を境に分断体制は固着期から動揺期に移行し、それが現在も続いていると著者は言う。次の転機は2000年6月の金大中・金正日による南北首脳会談であり、南北関係に関する限り、これを境に分断体制は解体期を迎える。
 この首脳会談後、開城工業団地などの経済協力を筆頭に、金剛山観光事業などを通じて交流・協力関係は市民レベルでも一気に拡大し、平和的な南北関係は国際社会の支持も得て、韓国経済・社会に対する信用と安定感を増大させた。しかし、守旧勢力はこれに危機感を抱き、金大中、盧武鉉政権の「太陽政策」(=包容政策1.0)を集中的に攻撃し、両政権内部の葛藤もあって政権を奪取した。それが李明博政権の成立(2008年)であるが、その経済政策の根本にある新自由主義的な考え方に加え、リーマン・ショックの影響もあって庶民生活は厳しさを増し、財閥依存の経済政策は世代・階層間の格差拡大を深刻化させた。
 こうした時期に起きたのが、2010年3月の天安艦事件と同11月の延坪島事件に象徴される南北の緊張激化であった。この両事件は、日本国内では「北朝鮮の犯行」と断定的に報じられているが、北が自認する延坪島事件はともかく、「天安艦の沈没に対して政府発表を信頼する」との回答は、韓国内では三分の一程度にすぎない。この事件の経緯を振り返れば、3月末の事件発生直後は大統領自身が極めて慎重な態度をとったのに、選挙前の5月24日大統領談話の形式で対北強硬方針を宣布し、結局6月2日の統一地方選挙で与党は敗北を喫した。この直後に著者は、「長い歴史の流れに位置づけてみると、今回の選挙は韓国の民主主義と朝鮮半島の平和プロセスが谷底に落ちて反転する決定的な契機という評価を受けると思う。私たちの歴史の命運を分かつ決定的事件」になりうるとし、大統領自らが対北強硬方針を鮮明にした与党に対し、民意は逆に、「6・15宣言後の10年間の南北和解の進展」を支持し、それが「生活上の利害と直接結びつくようになった証拠」だと解説する。
 そして、延坪島事件後の論評「常識と教養を回復する2011年を」(第三章)では、両事件の関係について二つの仮説を提示する。以下の著者の論理展開の明快さ、説得力は本書を参照していただくこととし、ここでは触れない。結論的に言えば、著者はこの事件の真相究明が「民主主義と南北関係改善の決定的な環」とみて、ここに今後の重要な課題があると強調する。いずれにせよ、この「事件の背景には累積された南北間の敵対関係がある点は、誰もが認めて」おり、それをどう解きほぐすのか。結局、「政府の政策を変えるか、政府自体を交代できるのは韓国の国民だけである」。
3.2011年:「二〇一三年体制論」と連合政治の進展
 さて2011年3月、金鎮淑(キムジンスク)という女性労働者が釜山・影島(ヨンド)造船所の高層クレーン上で解雇撤回の座り込み闘争を始めた頃、著者は市民平和フォーラムの席上、「二〇一三年体制を準備しよう」という講演を通じて「二〇一三年体制論」を提起した。それは、2012年の二つの選挙で勝利するためにも、「二〇一三年以後」から考えるという「逆の手順を踏む」提案であった。そこで彼は、「市民社会の各分野で日々の問題を解決する作業と、朝鮮半島に平和体制を設計して南北連合を準備する作業を、同時に進めていかねばならない」と訴えた。当日、この提案は「参加者から概ね好意的な共感を得」たため、5月には「内容を修正、補完して」『実践文学』夏号に掲載(第11章)され、「活動家や論客だけでなく政治家の間でも少なからぬ反響を呼び起こした」という。
 同年7月、「二〇一三年体制の建設」という「大願を共有する人士が集」まって、「希望二〇一三・勝利二〇一二円卓会議」が開催され、「二〇一三年以後の新たな民主共和国のビジョンと価値、政策を実現するために、二〇一二年に勝利する方案について、国民とともに民主・進歩勢力が論議し、模索し、準備するのを助けるために最善を尽くそう」(円卓会議・各界および市民団体代表二一人の共同声明文より)と合意した。その記者会見で著者は、2012年の選挙にあたって「有権者の非難と歴史の断罪を避けようとするなら、政治家と市民社会の活動家、一般市民が『希望二〇一三』の大きな夢を共有し、各自の矮小な打算を越えていくことが唯一の道です。政治家にそれができないならば、市民が立ち上がり、そうするように働きかけねばなりません」と言明した。
 翌8月、呉世勲ソウル市長は市内の学校給食を無償化する問題で住民投票を実施し、これに敗北すると辞意を表明したため、突然ソウル市長補欠選挙の実施が決まった。このため9月初め、上記の円卓会議と野党四党の代表が国会内で会合をもち、「『二〇一三年希望の大韓民国』をつくる課題の切実さと厳粛さについて認識を共有」し、「共同努力の一環として野党四党と市民社会の政策力量を集めていく作業を迅速に始め」、「ソウル市長を含めた10・26補欠選挙など今後の選挙」に「共同で対応するという原則を確認」(共同記者会見文)した。席上著者は、「誰が野党側の単一候補になるか以上に候補の選定過程」が重要であり、「土壇場での候補単一化」ではなく、当初から「単一候補」を選ぶ道が望ましいと述べ、野党四党に「国民を恐れる気持」をもつように要望した。
 こうして行われたソウル市長補選などの結果を総括した著者は特に、①野党の連合政治が共同候補を事前に選出して候補者一人を登録するレベルに進化した点、②市民運動出身の無所属候補が野党―市民社会の連合勢力の旗手になった点、③二〇一三年体制の到来を実感させた点、という三つを挙げる。
 実はこの間、前述した金鎮淑氏は300余日間座り込み闘争を続けたが、「残酷な風と石礫のような雨、肌をはがすような日差しと長期間の不安」(金鎮淑ツイッター文)に悩む彼女を支援する動きは、「希望バス」運動と命名されて全国に拡散していった。また、「権力や資本の無慈悲な行動と弱者の疎外状況への憤怒」から「抵抗と連帯」を呼びかけた「文化芸術人の希望バス支持宣言」への反響も大きく、結果的には12月彼女は解雇撤回を勝ちとるが、ここにも「二〇一三年体制」に向けた新たな息吹が感じられる。
4.2012年:二つの選挙と二〇一三年体制づくり
 2月現在、日本の外務省ホームページの「最近の韓国情勢」は、「李明博政権は、急激な物価上昇による庶民生活への圧迫、所得格差の広がり、雇用低迷などにより、昨年五月以降支持率下落」で始まる。ついで、「支持率の推移」を見ると、2011年初めから急速に低下しているのがわかる。私自身も延坪島事件後に訪韓して実感したが、当時韓国への観光客は激減して各種の経済指標も悪化し、物価も急上昇していた。その影響が極めて大きいのではないか。つまり、南北関係の悪化は韓国の経済・社会にも大打撃を与えたのである。
 さて、去る4月の「総選敗北」という結果をどのように受けとめるか、著者の誠実な総括は序文に詳しいが、訳者なりの感想もここに付言したい。
 韓国は大統領制なので、大統領選挙の結果が次の5年間(実質4年)を決定づける。特に南北関係を含む外交関係は、誰が大統領かによって全く異なるので、「二〇一三年体制」の根幹を大きく左右する。それは大統領を支えるスタッフ、つまり大統領府だけでなく内閣全体に及び、国会は行政全般をチェックできるだけと言っても過言ではない。そのため、今年12月の大統領選挙までの約8カ月間に、何をテーマに、どういう大統領が選ばれるか、そのプロセスも含めて「二〇一三年体制」の内実を生み出すことになる。
 そう考えると、今回の総選結果は与野党双方の特色、その強みと弱みが垣間見えるという意味で、実に示唆に富む。まず野党連合(民主統合党と統合進歩党)側は、「連合政治なくして選挙の勝利なし」という現実を実感した。すなわち、同じ「敗北」でも「野党連合」がなければ、ソウル首都圏も含めて惨敗を喫しただろう。少なくともソウル首都圏の選挙区でダブルスコアの差で勝利できたのは「野党連合」の成果であり、大統領選もこれがなしには勝利はない。ただ、現政権の政策批判ばかりで自らの政策を提示できなかったため、「大統領と与党の影が消えた(影を隠した)選挙」で敗北せざるをえなかった。逆に、与党・セヌリ党(朴槿恵)は「強力な野党連合」への危機感、不安感をあおることで保守派の総結集をめざした。そのため、韓国東半部の選挙区、つまり本来の保守派の地盤では圧勝したが、ソウル首都圏など与野党競合地域では、その限界を露呈した。したがって、与野党の勢力圏が農村部の東西分割に加え、都市部での新旧両勢力の葛藤という現状が鮮明に浮かび上がった。
 では、「二〇一三年体制づくり」をめざす野党側が勝利するためには、何をテーマにして、いかなる戦略が必要か。その要点は本書の序文に、また基本的な内容は本書のいたるところに散りばめられているが、翻訳者として一点だけ触れたいことがある。それは、韓国人の「歴史認識の希薄さ」についてである。もちろん、著者のように深い見識や歴史認識に基づく「知識人の省察」は数多いが、これが影響力をもっているとは言い切れない。特に対日政策において、歴史認識がもつ意味の重要性にもかかわらず、金大中大統領以外には、そこに「哲学」が感じられない。もっとも、日本の政治家にそれを求めるのはまさに「天の星をつかむ」状態で、お恥ずかしい限りゆえ、何かを言える立場にないことは、私も深く自覚している。とはいえ、今年末の大統領選挙で「韓国人の歴史認識が問われている」のは確かである。
5.新しい市民社会と知識人の役割
 さて、こうした問題点も含めて、韓国社会とりわけソウル地域は、12二月の大統領選挙を通じて大きく変わろうとしており、新しい市民社会の息吹が感じられる。その過程で中心軸となるテーマは、本書が強調する、南北平和共存への志向と社会・経済システムの民主化を表裏一体とする「二〇一三年体制」づくりであり、そこへの「市民参加」の規模がカギになる。
 かつて小田実は、「新しい価値体系」を「意識的につくり出すことが知識人の責務だろう」(『日本の知識人』、講談社文庫、1980年、340頁)と記した。昨年来発表された、著者・白楽晴の「二〇一三年体制論」に関する論文を読みながら、「新しい価値体系」に基づく社会を「意識的につくり出すことが知識人の責務」であると語りうる時代の到来を予感した。おそらく2~3年たてば、この「新しい価値体系に基づく社会」が本格的に始まるはずだが、ここで著者に関連して最も印象的なことに触れておきたいと思う。
 それは学者・知識人、もしくは人間にとっての「専門性」あるいは「中心的テーマ」がもつ意味である。周知のように、著者は英文学者であって、いわゆる「社会科学者」ではない。そのため、韓国社会において長い年月にわたり、彼の「分断体制」論は正当な評価を受けてきたとは言いがたい。当初は彼自身も、「本来ならば、私の仕事ではない」という意識があったのではなかろうか。だが、皮肉にも、彼がいわゆる「専門家」ではなく、すぐに韓国社会に受け入れられなかったために、彼の「分断体制論」は深められ、より実践的な「二〇一三年体制論」へと進展できたのである。そしてこの点こそ、「分断体制の克服」を自らの「中心的テーマ」「生涯にわたるテーマ」としてきた、知識人たる著者の「真髄」であり、「本願」だと言えるだろう。
 では、その理論化の歩みを支えた原動力は何だったのだろうか。1950年朝鮮戦争中に著者の父親は拉致され、そのまま行方知れずとなった多くの「知識人」の一人であり、戦争の悲惨さと平和の貴重さを身に染みて感じている。また、1960年代以後の民主化闘争の過程で自らも友人も、そして出版社も何度かの弾圧を受けたため、独裁政権の過酷さと民主主義の真価を胸深く刻んでいる。そして、それこそが「分断体制論」と「二〇一三年体制論」を構築する原動力であり、「時代の試練」がむしろ彼を鍛えたのかもしれない。
 あらためて著者個人を評すると、私が接しての印象と周囲の人々の評価を総合すると、「知識の豊富さ」「精神の柔軟さ」は当然として、「道人たる生活態度、生き方」、いま風の言い方をするならば、知識人として最も望ましい「持続可能な生き方」の実践者である。加えて、経済・社会・文化のバランスを考えた「総合的な政治判断」に優れ、20世紀東アジアの歴史認識を踏まえた現実感覚と未来へのビジョンをあわせもつ。そして、彼の「不屈の楽天さ」(それはおそらく韓国現代史、あるいは韓国人への「信頼」からくるもので、本書全体を通底している)こそ、現代知識人の鑑ではないかと思う。
 なお、「時代の試練」といえば、日中戦争と朝鮮戦争という「熱戦」の後に、米ソ「冷戦」の渦中で分裂を強いられた東アジア近・現代史、そこで生みだされた「知恵」の到達点が、南北和解に向けて広範な中間層・中道勢力の結集をめざす「二〇一三年体制」論ではなかろうか。その本質は、対立・対決する両勢力に「共生のための妥協」を迫る、双方から自立した「第三勢力」としての市民勢力が事態を主導する時代の「理論」である。こうした理論の形成こそ、南北対立の間で成長してきた韓国民主化(市民勢力)が、1987年6月民主抗争以来25年にして、ようやく主導権を握る時代の幕開けを意味するのだ。
6.東アジアの平和と日本への影響
 最後に、日本との関連について触れれば、著者は李明博政権下では、①原発を含めて国民から真実を隠し、積極的に嘘をつく体質が蔓延し、②土建国家的体質が強化され、③公職者などの間で短期的な利益追求に没頭する風潮が拡大したというが、これらの特色はほぼ戦後日本の歴代政権とも重なる。つまり、米国との関係も含め、戦後日本を凝縮して体現したのが李明博政権だと言っても過言ではないだろう。
 いずれにせよ、本書を翻訳しながら日本人として痛感したのは、35年間に及んだ日本の植民地支配が今日まで60年近い分断体制の礎となり、今もその分断体制の一翼を担っているという「歴史的責任」の重さである。ただ、この重さを自覚し、それを引き受けてこそ、アジアの人々と和解して日本社会の未来を切り開くという展望も見えてくるだろう。そして、それこそが「未来志向の友好関係」といえるのではないか。
 以下、「二〇一三年体制の韓国(および朝鮮半島)」と向きあいながら進まざるをえない日本社会、日本人を考えていく際に、どうしても必要な座標軸あるいは羅針盤を鍛えてくれる三つの課題を挙げてみたいと思う。
 その第一は、著者が語る「分断体制下の南北」の隣国として、米ソ冷戦体制の下でこそ驚異的な経済成長を達成してきた日本、そしてこの分断・冷戦体制の下でこそ身につけた日本人の思想状況は、近年すでに解体・崩壊過程にある。1990年前後までの日本の経済発展、それ自体が朝鮮半島および東アジアと隔絶した、「分断された社会」の発展だったことを自覚し、早急にこの「分断克服」をめざして努力する必要がある。
 第二に、この「努力」の中で最も必要なことは日本の近現代史を読み直し、これを直視して「平和国家たる戦後日本」の歴史的責任を、東アジアの「平和づくり」に参加することで果たすことである。ある意味では、これが最も難しく、それだけに最も重要であり、また東アジアの人々に最も歓迎されるに違いない。具体的に一例を挙げれば、私の若い友人だった「原爆被害者二世」金亨律さんのような韓国人の原爆被害者の存在に向き合うことである。彼らの存在は、当時の日本社会が単なる「原爆被害者」ではなく、「東電原発事故」とは別の次元とはいえ、「原爆加害者」でもあったことの証左である。彼らの存在を知ることは、「東電原発事故」の教訓を生かす道にもつながると確信する。
 これと関連して第三には、21世紀日本の未来責任として、近代日本が取ってきた「脱亜・経済成長」路線からの決別である。これは「脱原発」への道とも重なるが、「持続可能な社会発展の在り方」を、「二〇一三年体制」の韓国と共同で模索していくことが重要である。この点からも、著者の序文末尾にある日本人へのメッセージに、訳者も全面的に賛同するとともに、その自覚を深めていきたい。思うに、韓国社会の市民参加型変革にあたっては「分断体制の克服」が中心軸となるように、日本社会の同種の変革にあたっては、「脱原発への道」が中心軸になるのではないか。昨年来のフクシマ、いや「東電原発事故」の真相究明と原発の再稼働問題を国民的に、徹底的に論議していく中で、日本人自らの意識変革が迫られているのである。
     *    *    *  
 末筆ながら、昨年5月に論文「二〇一三年体制を準備しよう」の発表以来、同論文の重要性と社会的影響を勘案し、私とともに刊行時期を見守って下さった当時『世界』編集長の岡本さんをはじめとする岩波書店の方々、そして常に様々な面で相談しながら拙訳書の刊行に協力してくれる青柳優子に深く感謝したい。そして、何よりも新刊書の翻訳まで快諾してくださり、拙訳文すべてを丁寧にチェックし、アドバイスして下さった白楽晴先生に心からの謝意を申し上げたい。先生の「本願」といえる「二〇一三年体制」の確立に合わせ、本書が日本での連帯を準備する書になることを願って結びとする。
2012年5・18に寄せて
韓国の知性、新しい時代を語る第11回
 白楽晴氏の論考「2013年体制と変革的中道主義」を掲載します。
 12月に行われる韓国大統領選挙を目前にひかえて、単なる時局・情勢論ではなく韓国の政治、社会の現在を思想的に深めて語る、示唆深い論考となっています。
 今回の掲載にあたっても仲介と翻訳の労をおとりいただいた仙台コリア文庫の青柳純一氏に「解題」をお願いしました。
 なお、「韓国民主化 2.0 『二〇一三年体制を構想する』」(岩波書店刊)については「第10回」の(附)訳者解説もご参照ください。

「解題」に代えて  
 本稿「2013年体制と変革的中道主義」は、昨春に発表された著者の論文「2013年体制を準備する」と並ぶ、極めて重要な論文として、大統領選挙後に高く評価されるはずだと予感しつつ、かつ、そうなることを願っている。
 ここでは、一番印象的な点1つに限って、簡単に論じることで、「解題」の責を果たしたいと思う。
 白楽晴先生(さん)の人となりについては、去る6月に刊行した拙訳書『韓国民主化2.0』(岩波書店)の解説を参考にしていただきたいが、その際に、「思想家・白楽晴」の側面にほとんど触れなかった。
 そのことを痛感したのは、最近この論文とともに、10月15日前後に上海の会議で発表される予定の論文、「南北関係における”第3の道”とそれの近代アジア思想への政治的貢献」(英文、仮題)を読んでからである。
 いずれこの論文も韓国語になったら紹介したいが、「南北分断体制の克服」を自らに課した思想家、という表現が私の脳裏をかすめた。そして、戦後日本で「思想家」といわれる人何人かを思い浮かべ、その違いというか、「落差」に愕然とし、それが現代韓国と日本の「落差」としても痛感させられた。
 それは、よく言われがちな「被害者と加害者の立場の違い」とは異なる、「現実に向きあう思想家の深み」ではないか。
 もちろん、日本の場合、ほとんどが故人であるため、時代や社会の制約は免れなかっただろう。
 でも、それにしても近代日本の植民地支配と、その延長上にある「分断体制」下にある南北朝鮮、その存在が日本社会、少なくとも思想面に与えている影響に向きあわずして「思想家」といえるだろうか。
 また、少なくとも1973年金大中事件以後の日韓関係を不問にして、「戦後日本の思想」が成り立つだろうか。
 こうした問いかけの答えを求める上で、重要な分水嶺が今年末の韓国の大統領選挙だ、と私は見ているが、これを契機に実現する「2013年体制」の韓国とは、「現実が理論に近づく時代」と言えるのではないか。
 本稿を訳しながら、私自身はあらためてその思いを強くしたが、日本の現実は余りにも遠い、と言えよう。
 むしろ「逆行」している現実を踏まえ、どこにその歯止めをかけうるのか、韓国社会の変化に目を凝らしながら、「脱原発」の方向へ日本国憲法を生かしていくことで、必ず「第3の道」が開かれる、と信じている。(2012.10.15.青柳純一)

2013年体制と変革的中道主義         白楽晴
1.『2013年体制づくり』の刊行後
 拙著『2013年体制づくり』(チャンビ、2012年、以下『体制づくり』と略す:邦題『韓国民主化2.0――「2013年体制」を構想する』、岩波書店)が刊行されて半年が過ぎた。ダイナミズムを誇る韓国社会はこの間にも大きく変化したが、特に政治分野での変化が大きかった。4月11日の総選挙では、著者を含む多くの人々の予想に反して与党・セヌリ党が勝利した。総選挙直後に世間の注目を集めた統合進歩党事件は、多くの曲折を経た末の現在、今後の進路が不透明な状況になっている。大統領選挙(以下、大選と略す)の局面も本格化し、セヌリ、民主両党の党内選挙が華々しく展開され、安哲秀教授の出馬がほぼ確実視されるにつれて、政局は新たに揺れ動く気配である。
 私としてはまず、総選挙の結果を間違って予測したまま「2013年体制づくり」を論じた自らへの反省からはじめるのが順序であろう。未来予測に失敗すること自体はいつもあり得る。問題は、その失敗が2013年体制論を通じて警戒していた目前の勝利への過度の執着と、それに伴う安易な楽観に起因し、そのため自ら反省したように、「総選挙で敗北した場合、2013年体制の建設はどうなるのか、に応える設計図がなかった」①という点である。重ねて言えば、2013年体制のためには総選挙の勝利が必須だ、という論議を深く考えずに展開したのである。そこには、次期(第19代)国会を野党側が掌握しないと、政権交代を実現しても次期大統領の国政運営はスムーズにいかないだろう、という判断とともに、総選挙を通じて朴槿恵候補の鋭鋒を挫くことで大選勝利が確保されるだろう、という期待も作用した。その中で、立法府を掌握することの重要性に関する部分は今も有効な判断だが、韓国社会に実在する勢力バランスを次期大統領とその支持勢力がうまくコントロールし、ある意味では活用すべき現実であり、2013年体制自体を不可能にする要因ではない。反面、大選勝利に対する安易な期待は、実際に政権交代を実現しようとすれば、早急に正さねばならない安逸な姿勢であった。
 そうした安逸さは、野党側の連帯に関連しても表れた。総選挙勝利の必要条件たる選挙連帯が辛うじて達成できた時、それが十分条件とはいかに程遠いものかを冷静に評価できなかったのだ。特に野党側の二政党が、双方ともいかに不誠実で、2013年体制の建設準備がいかにできていなかったか、選挙敗北後に実感することになった。とはいえ、そうした選挙連帯なら初めからしない方がマシだという判断には同意できない。それすらなかったら、セヌリ党は前回の総選挙時のハンナラ党に次ぐ圧勝をたやすく収めたし、そういう議会は2013年体制に決定的な障害になっただろう。
 ともあれ、総選挙での野党側の敗北にもかかわらず、2013年以後大きく変貌した世の中、「2013年体制」と呼ぶに値する新時代を熱望する国民は依然として数多い。2013年体制論という言説にしても、新時代に向かう願を大きくたてて、その準備を着実に進めてこそ、2012年の選挙勝利も見通しうるという基本的論旨は、総選挙の敗北後、より断固として堅持する必要を実感する。
 それゆえ、2013年体制論も新たな状況の展開と、それによる省察を土台にして一層進展させるべきなのだ。本稿では、拙著『体制づくり』の初めに強調した「心の勉強」(第1章42頁参照)から出発し、『体制づくり』ではほとんど触れなかった「変革的中道主義」に再度注目してみようと思う。『体制づくり』執筆の際、総選挙を控えて、できるだけ多数の読者を意識して難解な概念用語は最小限にしようと思ったが、その後の教訓を反芻して新たな出発を誓う以上、より根本的な省察が不可避である。結局、「希望2013」を実現して「勝利2012」を確保しようとすれば、概念作業上の労苦は多少伴うにせよ、変革的中道主義の本意と現実的用途を精査するのは省略できないようである。
2.分断体制内の心の勉強・中道の勉強②
 心の勉強について再論するのは、政治問題を倫理問題に還元させるためではない。「改革しようと思えば(……)改革され革新された人がいなければ」ならないが、「こうした準備がなされずに、改革しようとすれば複雑化し、無秩序を招くだけ」(大山・金大擧)③ということを、あらためて実感する現実だからだ。これは2013年体制をつくろうとする場合、各自肝に銘ずべき点であり、「分断体制が怪物であるなら、分断体制内で長い間生きてきた私たちすべてが心の中に怪物を1つずつもっている、という点」④もまた忘れるべきではない。
 変革的中道主義という際の「中道」とは、元来仏教用語である。儒教でも、「中庸の道」の縮約語として使うこともあり、「中庸」の概念とも大きくは異ならないと思う。とにかく、有と無の両極端をあわせて超える空の境地が中道だが、もちろん空自体にも執着しないでこそ、真の中道になる。空を悟ったからといって、何事にも「空」を掲げるような態度は、「空」に対するもう一つの執着であり、真の中道にはなりえない。こうした態度を「唯識仏教」では、「悪取空」と規定し、そうした部類を「悪取空者」と称するという⑤。つまり、中道とは真理が空であることを説破しながらも、自らへの執着はそのまま抱いているの(我有法空)ではなく、私と法がともに空(我法両空)の場として、日常生活で貪・瞋・癡に決別する修行、および現実の中での菩薩的行いをやめた「空打鈴」とは関係ないのだ。
 「空」ではない貪・瞋・癡からの決別を語るにしても、具体的な政治・社会の現実とかけ離れた超歴史的な課題を設定するという疑いは相変わらず残る。実際、欲の深い心と、憤って憎む心、そして愚かな心という三つの毒心はすべての人間、いやすべての衆生が抱いている問題として、これをとり除く勉強はいつの時代であれ、難しい。その点を認めながらも、私たちが属する資本主義世界体制では、それらが体制運営の原理になっている事実を洞察することが重要である。これについては、「統一時代・心の勉強・三同倫理」でも言及したことがあるが(前掲書、294~296頁)、ここで多少敷衍しようと思う。
 貪心といえば、資本主義が人間の貪欲を肯定し、これを社会発展の動力とみなしているのは、誰もが認める。この時、個人的レベルでは貪欲とはみなしにくい企業家はいくらでもいるが、「利潤の無限追求」という体制原理を軽視して成功するケースは少数の例外にとどまるものだ、という点が重要である。いや、個人レベルの禁欲と自己犠牲さえ、「成功」の道具、つまり貪欲さによって体制の運営に服務する方便となる、という体制なのだ。
 瞋心、つまり憤って憎む心についても、絶えず競争者を淘汰してこそ、生き残れるのが資本主義の作動原理である。もちろん殺伐な競争が発展を刺激することもあり、実際資本主義の夥しい成果は、それに起因してもいる。しかし、これは遊びやスポーツ、または学問や芸術のような――もちろん、こうした活動も資本主義の発達とともに、勝者独占の傾向が強まりやすいが――「善意の競争」とは本質的に異なる。個人的な憎しみは全くなくても、他人を負かしてこそだし、自分に入ってくる利益がなければ、負かした相手に関心をもってはならないのが体制の原理なので、許しと分かちあい、世話するような気持の動きは、それ自体が競争勝利の道具にならない限り、例外的にしか存在しない。
 癡心に関連しては、資本主義以外の「対案がない(There Is No Alternative)」という命題こそ、愚かさの極致に該当する。すでに述べたこと(前掲書、295~296頁)だが、イデオロギーによる支配がこのように全面化するのが、資本主義時代の愚かさの核心である。とはいえ、人類史の社会なら、それなりのイデオロギーに支配されない例はなかったし、少なくても科学の発達と知識の普及の面で、資本主義の近代が歴史上最も啓蒙された時代という反論も可能である。しかし、問題は個々人がどれほど賢くなったかではなく、まさに「啓蒙」と「科学」の名により、科学的知識ではない真の悟りの可能性自体が否認されるのが、近代的な知識構造の特徴だという点である。仏教では、知恵の光明から疎外された衆生の境地を「無明」と言うが、こうした「無明の構造化」が科学的な真実までイデオロギーにしてしまうのが、資本主義の時代である。
 資本主義一般のこうした現象は分断体制という媒介を経ると、一層深刻かつ低劣な形で表れる。最も著しいのは、おそらく怒りと憎しみの威力だと思う。分断の相手に対する憎悪がむしろ思想的健全さの担保となり、社会的弱者や少数者に対する配慮さえ排斥の対象になることがよくある。何かあると表出する「親北左派」の呼号がそれである。さらに、不遇な隣人に余分な食糧を分けてやるのは、わが民族伝来の美風だが、北の飢える子供や同胞への人道的支援ですら「バラまき」というレッテルを張り、容赦ない攻撃の対象にするのが常だ。
 こうした状況で、貪心の作動は歯止めがなくなる。資本主義の構造化された貪心への民主的な牽制装置として、先進国では常識といえるものでも社会主義、または共産主義と罵倒されることがよくあり、個人的貪心の赤裸々な発動は「自由民主主義」と「市場経済」の名により擁護される。今日韓国が世界的な経済大国になっても賤民資本主義のレッテルを剥がせない理由でもある。
 同時に、資本主義世界体制より歴史がずっと短く、性格が特殊な分断体制ですら、これ以外には対案がない、まるで自然に与えられた生活環境のように見なす癡心が蔓延している。そして、分断体制はそれなりに持久力があり、一つ誤れば爆発する危険がなお存在する現実にもかかわらず、南の社会の集団的貪欲と憎悪の念を発動させ、休戦ラインを勝手に廃棄できるように思うのもまた、「無明」の威力を示している。
 こうした毒心の威勢は北でも、北特有の貪・瞋・癡が猛威をふるっているので、さらに克服しがたい。分断された双方の相互依存的な敵対関係と、これによる分断体制の自己再生産能力は、まさにそうした点から出てくる。例えば、北当局の敵対的・好戦的発言と時々行われる挑発行為は、南の社会で憎悪の念の威力を絶えずかき立てる。ひどいと、いわゆる挑発行為の証拠が薄弱な場合でも、「北の体制は悪い、だから悪い行動すべてが北の仕業だ」という論理ならざる論理の助けで簡単にやり過ごす。これは、「米帝国主義と南朝鮮の親米事大主義者は悪い、だから、我々の不幸すべては彼らのせいだ」という、北特有の癡心と相互補完の関係にあるのは言うまでもない。
 そのため、心の勉強を順調に進めるためにも、貪・瞋・癡の威勢を保障して育てあげる分断体制をまず打破しなければならない。「変革的中道主義」の変革対象が分断体制であるのも、そのためである。
 ここで不必要な混乱を防ぐために、「中道」「中道主義」「変革的中道主義」などの概念の相互関係を、一応整理してみるのがいいかもしれない。政治路線としてよく標榜される中道主義ないし中道路線・中間路線は、仏教的な中道とは全く異なる次元の概念であり、内容上も距離が遠い。ただ、それが「変革的中道主義」となる場合は、現実政治の路線にもかかわらず、元来の中道に再接近するのだ。中道の「空」が「悪取空」にはなるまいと思えば、今ここでの貪・瞋・癡の克服作業と結合しなければならず、今日の朝鮮半島の場合、そうした心の勉強は分断体制の変革を志向する政治的実践を伴わざるをえないからだ。
3.変革的中道主義をめぐる議論の進展
 では、変革的中道主義の具体的内容は何か?
 この問いへの答え方も『中論』から借りられそうだ。つまり、何が「空」で、「中道」なのか、その内容を直接教えようとするより、何がそうではないのかを悟らせていくことで中道に達する方法である。変革的中道主義も、やはり私たちの周辺でよく見かける理念とどう違うのかを明らかにしていくなら、自然とその道筋が見えるのではないかと思う。
 1)「変革的」中道主義から「変革」が抜けた改革路線ないし中道路線とは異なる。ただ変革は変革でも、その対象は分断体制なので、国内政治における改革路線とはいくらでも両立可能である。ただし分断体制の根本的な変化に無関心な改革主義では、変革的中道主義という「中道」に達しえない。
 2)変革とはいえ、戦争に依存する変革は排除する。「変革」という単語自体は戦争、革命など、あらゆる方式での根本的変化を包括するが、今日の朝鮮半島の現実で、そうした極端な方法は不可能である。だから、変革的「中道主義」なのだ。
 3)変革を目標とするが、北だけの変革を要求するのも変革的中道主義ではない。南も変わる、朝鮮半島全体が一緒に変わらないで、北だけの変化を期待するのは非現実的なだけでなく、南社会の少数層の既得権の擁護に傾いた路線であり、中道主義ではないのだ。
 4)北はどうせ期待できないので、南だけ独自の革命や変革に重きを置こうという路線も変革的中道主義ではない。これは分断体制の存在を無視した非現実的な急進路線であり、時には守旧・保守勢力の反北主義に実質的に同調する結果になることもある。
 5)とはいえ、変革を「民族解放」と単純化する路線も分断体制の克服論とは異なる。これもまた、分断体制と世界体制の実情を無視した非現実的な急進路線であり、守旧勢力の立場を強化するのがオチである。
 6)世界平和、生態親和的な社会への転換など、グローバルなアジェンダを追求して日常的実践も怠らないにしても、グローバルな企画と局地的な実践を媒介する分断体制の克服運動への認識が欠けていたら変革的中道主義とは距離があり⑥、現実的にも少数派の限界を超えるのは難しい。
 前述したように、変革的中道主義の概念は『体制づくり』でほぼ姿を隠した。しかし、私自身の言説では長い間重要な位置を占めていた。私たちの時代の真の進歩は変革的中道主義だと指摘したのは2006年が最初だが⑦、基本的発想は6月民主抗争により「民族文学の新段階」が開かれる状況で、「6月以後」を見る当時の重要な視点3つを批判する必要性を提起する形で発表した⑧。つまり、上に列挙した「変革的中道主義でないもの」の中で、1)に該当する中産層の穏健改革路線と4)と5)に該当する急進運動圏のいわゆる民衆民主(PD)路線と民族解放(NL)路線を乗り越えながら、これらすべてを賢く結合させようというものだった。もちろん、これは87年体制内で一つの主張として残り、今その実現は2013年体制にかけられた形勢である。
 これに呼応する論議も少なくない。『創作と批評』誌上では、李南周「グローバル資本主義と朝鮮半島の変革」(2008年春号)などがこのテーマを扱った⑨。また、金基元の近著『韓国の進歩派を批判する』(チャンビ、2012年)は「変革的中道主義」という概念を採用していないが、「NLとPDの進歩的思想には発展的に継承すべき部分もある。民族問題と階級・階層問題への批判意識である。それを現実にあうように応用するが、古い思考の枠組は果敢に捨てねばならない」(179頁)とか、分断国家である韓国社会では「進歩・改革・平和」の相互補完的な三重課題が存在するという認識(214~222頁)の類は変革的中道主義と親和的な発想である⑩。
 『体制づくり』で「変革的中道主義」という表現をあえて自制したが、4月総選挙後の状況は論議を基本から再開する必要性を教えてくれた。統合進歩党事件にしても、どういうものが本当の進歩なのかを徹底的に討論する必要性を想起させてくれた。私自身も総選挙直後に韓国進歩連帯、統合進歩党、民主労総、汎民連南側本部および韓国女性連帯が共催した招請講演(2012年4月25日、永登浦駅舎3階講堂)で、統合進歩党と進歩団体の組織文化の刷新を注文して、変革的中道主義の主張を再開した⑪。
 統合進歩党の運命がどうなるかは、現在では予測できない。しかし、近づく大選もそうだが、2013年体制を建設する長い途上で、いわゆる進歩改革勢力の幅広い連合政治は依然として必要だろうし、これは総選挙で民主、進歩両党が達成した政策連帯よりもはるかに堅固な価値連合であり、実践的にははるかに伸縮性のある役割分担を許容する性格でなければならない。いや、基本的価値とビジョンを共有する連帯こそ、戦略的な柔軟性をもちうるのだ。これに反し、4月総選挙における政策連帯は、候補単一化という選挙連帯のための一口実に留まるのがせいぜいで、一方では選挙連帯の代価として相手が受容しがたい政策をもちだし、「足を引っ張る」手段として作用した。もちろん、「価値連帯」または「価値連合」という表現が登場してはいた。だが、「政策連帯」をただ体よく包装したにすぎず、時には選挙連帯自体を拒否する名分にも利用された。実際、「李明博政権の審判」という低次元の目標や抽象的な美辞麗句ではない、「共同の価値」は各党内ですら共有されなかったし、真摯な議論もなかった。
 幸い、総選挙後に既存の政策連帯の弱さと不十分さに対する反省とともに、特に統合進歩党の党内葛藤の過程で本格的な路線論争が繰り広げられた。現在の政治地図を一瞥するなら、民主統合党は前掲6項目の1)に近い面はあるが、伝統的に南北関係の発展には積極的で、2)~5)に対する反対の立場が確固たる方であり、より進歩的な勢力との連合政治を準備する過程で変革的中道主義に近づく可能性がある。統合進歩党の場合は、いわば「変革的中道主義左派」としての位置づけが可能な政派と、5)の立場を固守する政派――この場合ももちろん、路線自体の問題と非民主的な方式でもとにかく組織を掌握し、その立場を貫徹しようとする作風の問題は区別すべきだが――の対立として、当面の大選局面では意味ある役割を果たせそうもない状況である。だが、こうした見解の違いが公論化されたこと自体は一つの進展である。一方、朴槿恵候補とセヌリ党は李明博政権下で気勢を上げていた2)と3)(戦争辞さず論と吸収統一論)に該当する勢力を牽制し、1)(穏健改革主義)に近い路線を標榜している。しかし、この集団の体質化された守旧性と、やはり体質化された指導者の権威主義および後向きの歴史認識を脱皮して変革的中道主義に近づいてくるとは期待しがたい。変革的中道主義にとっても、12月大選が決定的な勝負になるしかない理由でもある。
4.大選局面での検証基準たる変革的中道主義
 そうとはいえ、大選局面のスローガンが「変革的中道主義」にはなりえない。変革主義と中道主義という、通常相反する二つの単語の結合が、朝鮮半島特有の現実を反映したこの概念の強みであり⑫、話題を生む魅力とも言える。だが、難解な概念は選挙戦では無用の長物である。「勝利2012」に使えそうなスローガンはやはり「希望2013」であり、概念としては「2013年体制」が限度ではないかと思う。それでも、2013年体制の内容を、変革的中道主義を基準にして検証することは可能であり、また必要でもある。
 例えば、「経済民主化」の場合を考えてみよう。これは与野党双方が核心的な政策目標として打ち出したことで、2013年以後の政府の優先課題に浮上した。ところで、財閥規制、不公正取引の根絶、中小企業の育成、労働権の保護など、経済的民主主義を実現する各党や候補者の具体的な政策構想を点検する上で、変革的中道主義はあまりにも抽象的なレベルが高い概念である。こうした点検は専門性を備えた別途の作業に当然任せねばならない。とはいえ、政策構想と構想者の基本姿勢に対する検証を変革的中道主義の観点から行うことは、それなりに必要である。
 まず、変革的中道主義は分断体制の変革を目標にしているため、分断体制がもたらすあらゆる利権を固守する勢力、あるいはそうした勢力が雲集している政党が経済民主化を実現する適格者であるか否かは、一応疑ってみるべきだ。重ねて言えば、分断体制の克服というのは朝鮮半島南北の漸進的・段階的な再統合過程であると同時に、南北それぞれ内部の改革を通じて反民主的な既得権勢力を弱め、また制圧していく過程である。そのため、経済民主化を標榜する様々な政策が、そうした歴史的課題の他の議題とどれほど緊密に結合しているのかが、経済民主化自体の成敗を分けるのだ。
 特に、政治的民主主義と経済的民主主義は互いに切り離しえない関係にあることを熟知する必要がある。これは、いわゆる進歩陣営でよく聞く、87年体制を通じて韓国社会は政治的民主主義を達成したが、経済的民主主義は達成できなかったという言説が、むしろボカしてきた真実である。6月抗争後、民主政治に必須の手続をかなり勝ち取ったのは事実だが、87年体制の成果というなら、これに加えて経済面では、労組活動の自由を拡大して企業に対する国家の勝手な統制を弱める「経済的民主主義」の成果も少なくなかった。ただ、このように自律権が増した大企業が社会統合を破壊し、国家権力まで脅かすほどに肥大したのが87年体制末期の現実であり、こうなったのは87年体制下で韓国の政治的民主主義もまた、厳然たる限界内に留まったという事実も作用したのだ。
 もちろん、政治民主化の険しい道自体、経済民主化がダメだったせいでもある。ここで私たちは、鶏が先か、卵が先かを論ずるより、各種の経済改革政策が変革的中道主義の核心課題である民主主義に、どれほど忠実であるかを問わねばならない。ある意味で市場経済――市場自体よりも巨大企業法人が支配する今日の資本主義経済――は、民主主義と本質的に相反する面がある。例えば、「一人一票」対「一ウォン一票」の原理上の違いがそれである。経済を一人一票制で運営することはもちろんできない。だが、いわゆる市場経済が国全体を民主主義ならぬ「銭主主義」社会を作るのを防止するため、経済の民主化、つまり経済領域に対する民主政治の介入が必要となる。したがって、公正な言論、検察の改革、反民主的な歴史事実の直視、選挙制度の改善など「政治民主化」の議題に無関心なままで、経済民主化の達成はできなくなるものだ。
 朝鮮半島の平和は、変革的中道主義による検証過程においてもう一つの核心的事案である。経済民主化とは異なり、平和問題が大選政局で大きな争点になる確率は高くない。しかし、政治民主化と経済民主化が緊密に関連しているように、国内の民主主義の問題全体が南北関係と関連しているのは分断体制特有の現実である。したがって、2013年以後の韓国を率いていく大統領と政党が、こうした現実をいかに洞察、認識しており、それを打開するためにどういう腹案をもっているのかは、国の将来を左右する事項である。
 いや、これは南北関係に限定される問題ではない。大韓民国はすでに世界10位圏を往来する経済強国であり、東北アジアの平和体制のみならず、東アジアやアジア全域にわたる地域紐帯を強化していく過程でも、米・中・日・露とはまた違う中枢的な位置を占めている。世界のためにも韓国はどういう大統領になるのか、それほど重要なのである。単に、「誰がやっても李明博のように南北関係をめちゃくちゃにはしないだろう」と簡単に思うべきではない。そのため、南北関係と国際関係で韓国がもつ潜在力を十分に発揮させる大胆なビジョンを提示する候補が現れれば、選挙戦でも爆発的な支持を得る可能性がなくはない。
 多くの人々が2013年体制の課題と考えるもう一つが、社会統合・国民統合である。変革的中道主義の観点では、南北関係の発展と朝鮮半島の漸進的な再統合過程を無視した南の国民だけの統合は望みがたく、特に2012年に統合がすぐにも可能なように考えるのは錯覚か欺瞞であろう。社会統合を根底的に阻害する守旧勢力との一戦は避けられない状況である⑬。だが、この分野でも2013年以後に対する構想と準備は今から進めていかねばならない。
 この問題もまた、変革的中道主義という検証基準に絞って観察してみることにする。先ほど変革的中道主義で「ないもの」を列挙したが、それらが中道主義で「ない」理由の中には、いずれも本当の社会統合の理念にはなり得ないという点が含まれている。現状では、1)(変革ナシの改革路線)がそれでも多くの大衆を確保した方だが、分断時代に分断体制に関する経綸に欠けた散発的な改革は大きな成功を収めがたく、穏健な改革まで拒否する守旧勢力を制圧できない。ただ、南の社会の改革作業に真摯に取り組んでみれば、近視眼的な改革主義を越えて変革的中道主義に合流する可能性が切り開かれる。
 前掲の2)(武力統一)や3)(戦争ナシの吸収統一)のように、守旧勢力なりの変革路線がないわけではない。だが、実現の可能性がまずない、こうした構想が一定の勢力を維持するのは、こういうやり方で南北対決を煽るのが韓国内での既得権を守るのに役立つからである。換言すれば、北の変革は名分にすぎず、実質的には分断体制の変革とそれに必要な韓国内の改革を止めることに貢献しているのだ。
 一方、4)や5)に該当する勢力――一般にPDとNLと呼ばれもする急進勢力――は双方とも少数集団に留まっており、既存の路線に固執する限りは、多数勢力になるのは難しいだろう。いや、数が減っていくだけだろう。それに比べて6)のエコロジー、平和主義などは世界的な市民運動の後押しで、より強固になっていくが、国内政治の現実ではやはり孤立を免れがたい。もちろんエコロジー運動の場合、ドイツでのように現実政治に根を下ろす可能性もある。ただ、そうなるためには変革的中道主義に合流、または少なくともそれとの提携が不可避だろう。ともあれ、4)、5)、6)すべてが中道の勉強と分断体制の勉強を通じて、各自がもつ合理的な問題意識を新たに成立させ、変革的中道主義がより豊かになればと思う。
 こうして実現される2013年体制の統合された社会は画一化とは無縁で、多様性と創造的葛藤があふれる社会になる点を強調したい。政党政治の領域でも、変革的中道主義路線に立脚した巨大政党の類を夢見たりしない。変革的中道主義の理念を共有しながらも、変革と改革に相対的に消極的な保守政党、それより多少積極的な中道改革政党、そして変革的中道主義路線を共有するが、平等、自主、エコロジーなどの価値に並み外れた情熱をもつより急進的な(諸)政党が互いに競争することが望ましい。そして、彼らの並存と選択的提携をスムーズに行う比例代表制の大幅な拡大など、選挙制度の改革も考えてみるべきだ。その一方で、体質的に分断体制の変革を受容できない守旧勢力も、彼らなりの極右政党をもちうるし、平等主義、反帝国主義、またはエコロジーという理念的純潔性を固守する勢力の場合も同様である。ただ現在のように、強力な守旧勢力がかなりの合理的な保守主義者まで包摂して最大政党として君臨する構図は壊すべきなのだ。
5.『安哲秀の考え』へのいくつかの考え――結論に代えて
 2012年の大選政局で当面最大の変数は、安哲秀ソウル大融合科学技術大学院長である。本論の脱稿が間近い8月初め現在、彼はまだ出馬の意志を明らかにしておらず、出馬時にどうなるかもわからない。だが、彼の去就が政局の様相を大きく揺るがす要素であることは間違いない[訳注:9月19日に出馬宣言]。これは他の候補を無視するわけではない。一方の朴槿恵候補は一種の定数たる位置を占めて久しく、他方の民主党候補はまだ数人が候補指名争いの最中にあり、すぐに誰か一人に落着させにくい、という意味だ。
 安教授自身は、最近『安哲秀の考え』(金寧社、2012年:以下、『考え』と略す)という著書を通じ、「私たちが望む大韓民国の未来図」を提示しながら、出馬の可否を依然未定にしている。「私を支持してくださる方々の意を正確に把握してこそ、進路を決定できるでしょう。そして、私にやりきる能力があるか、冷静に判断するのは重要でもあります。まず本書をはしりにして、私の考えを具体的にお知らせしていかねばならないでしょう。私の考えを明らかにして、期待とは異なると思われる方が多くなれば、私には資格がないのだし、私の考えに同意する方が増えたら、前に進んで行かざるをえないでしょう」(52頁)
 出版されるや否や、本は記録的な売上げを達成中であり、テレビの芸能番組への出演とも重なり、世論調査で彼の支持率が急上昇した点からしても、著者は「今後進んで行かざるをえない」状況が作られているわけだ。特にここにきて、彼が「私はとてもやりきる能力がないようです」と急に取り下がるなら、民主党を含む野党側全体に大打撃になる公算が大きい。出馬の直後に、検証に耐えられずに落馬するのでなければ、民主党の公選候補を抑えて野圏単一候補になろうと、単一化選挙での敗北後に相手候補を推戴しようと、支持者の政治参加を積極化させてこそ、時代の責任を果たす形になってしまったようだ。
 もちろん『考え』に対し、すべて同意し、支持しているわけではない。一方では「教科書的な模範解答のつぎはぎ」とか、「ウンザリする正解主義」という批判があるかと思えば、他方では北の核問題に関する安教授の考えは北の立場と同じだ、つまり正解どころか、危険千万な誤答だという指摘もある⑭。また、本の内容に対するより真摯な書評を通じ、「安哲秀は手抜き建築物である」という結論を下した人もいる⑮。『考え』は一種の公約集ないし公約予備集なので、公約としての適切さをめぐって是非を問うのは当然必要である。しかし、文学評論家たる私が指摘したい点は、本書が他の公約集や出馬用の著書とは異なり、一つの「作品」に該当する響きをもったという事実である⑯。あらかじめ進路と戦略を定めておき、それに合わせて内容を開陳する大部分の選挙用の著書とは異なり、著者の安哲秀教授と編集者の諸貞任世明大ジャーナリズム大学院教授がともに心を開いて対話し、模索する過程の真剣さが伝わってくるからだろう。出馬宣言の前に政策構想から提示して読者に支持を訴えることこそ、高度に老獪な戦略だと見る向きもなくはないが、少なくとも読後の実感は能動的な読者の役割を残しておく「作品的」性格に近い⑰。
 しかし、読者がいかに著者の考えに共感したとしても、「私にやりきる能力があるか、冷静に判断する」との一節には参加する道がない。それは安教授だけの役目であり、読者や国民大衆は安教授が一旦判断した後、それが正しかったか間違っていたか、事後判断するしかない。いわば、例えば『考え』は非常に立派な「文書ファイル」だとしても、どういう性能の「実行ファイル」が含まれているのか、文書だけでは判断できず、実行ファイルが開封されてこそわかる。もちろん、初めから完璧な実行プログラムである必要はなく、一応開封して短期間にアップグレード可能なのかが焦点である。それほどのレベルなら、まず実行しながら使用者のフィードバックを受けて「前に進む」追加の共同作業も可能だろうが、読者があらかじめ手伝いうる場面はないのである。
 『考え』に提示された政策構想に対し、ここで詳しく論評するつもりはない。二点だけ言及しようと思うが、まず福祉と経済民主化の分野では(少なくとも私のような非専門家が見ると)、どの専門家にも劣らず、具体的かつ包括的な構想を準備したようだ。特に、大多数の福祉専門家や野党候補に比べて際立って見える点は、経済民主化が革新経済の育成・発展に直結していることを体得している印象を与える点である。こうした経済民主化の構想が、変革的中道主義とどれほど合致するのかは更に検討すべき事案だが、著者が「福祉・正義・平和」という三大議題を提示して、その相互依存性を強調した点は励みになる⑱。
 平和関連は福祉と経済民主化の項目のように詳しくはないが、統一を「事件」ではない「過程」として把握した点や、平和体制構築の緊要性と北の人権問題の重要性を同時に論じたこと(151~159頁)などは、本人の省察が込められた発言と思われる。ただし、天安艦事件[訳注:前掲『韓国民主化2.0』第1章を参照]については、「私は基本的に政府の発表を信じます。ただ、国民に説明する過程がきちんと管理されておらず、問題が拡大したと思います」(159頁)という、一種の「守備型の正解」に留まっている。だが、科学者であり古い体制との果敢な決別を主張する安教授が、この問題に関しても独自の学習と省察を積んでほしいと願う。
 ともあれ、問題はやはり「実行ファイル」である。そうした点で『考え』の内容に国会と政党政治をいかに変えるのかについての論議がないのは、「文書ファイル」としても物足りない点であり、これに関して金大鎬の批判が鋭い。「こうした内容が抜けているのはページ数のためではないようだ。政治家中の政治家である大統領をやろうという人が、政治や政党のシステムに対する理解が低いのは深刻な問題だ」⑲。特に、安教授は「疎通と合意」を何よりも重視して、「常識と非常識(または没常識)」の対立構図を語ってもいる。これは2013年体制が社会統合の時代になるためにも、守旧勢力との激突はまず不可避である、という私自身の考えとも符合するように思われる。常識を基礎にして疎通して合意しようと言っても到底通じないのが、進歩・保守の理念を越えて、ひたすら自分の利得だけを守ろうとする「守旧」の特性ではなかろうか。彼らを選挙勝利と議会関係などの制度政治を通じて制圧し、牽制する方策は「実行ファイル」の必須装置の一つであろう。
 これはまた、12月大選でどういう連合政治が勝利のための最善策なのかに対する「政治工学的」な計算も要求する。だが、問題はやはり「2013年体制」と称すべき画期的な新時代を切り開こうとする多くの人々の熱情であり、国民の不安を煽って再び変化ならぬ変化で世間を惑わそうとする勢力を断固として許さない市民の決起である。意志が確固としていれば、それに見合った計算をする人々は、時が来れば出てくるものなのだ。

<注>
①白楽晴、尹汝雋、李海瓉の鼎談「4・11総選挙以後の韓国政治」、『創作と批評』2012年夏号、183頁。これと似た反省の弁を、総選挙直後(4月19日)に『プレシアン』とのインタビューでもしている(「2013年体制、どういう大統領になるのかがポイント」、『プレシアン』2012年4月23日)
②たとえ心の勉強が重要とはいえ、一般の読者や聴衆が相手の場合、そういう話を長くしないように注意している。そうした中で、去る5月24日曹渓宗禅林院の招きで講義する機会を得たので、「2013年体制と中道の勉強」というタイトルで仏教的中道の勉強について少し詳しく言及した。ここに、その話から相当部分を援用した。
③拙著『どこが中道で、どうして変革なのか』(チャンビ、2009年)の第14章「統一時代・心の勉強・三同倫理」、292頁を参照。この間の私の作業に多少ともなじんでいる読者には、「分断体制」の概念をあらためて説明する必要はないだろう。そうでない読者は、前掲『体制づくり』の第7章「韓国民主主義と朝鮮半島の分断体制」で比較的詳しく紹介したので、参照してほしい。
④拙稿「北の核実験後:南北関係の“第三当事者”たる南の民間社会の役割」、前掲書、141頁。
⑤龍樹菩薩『中論』、金星喆・訳注、経書院、2001年(第3次改訂版)、「訳者後記」を参照。
⑥こうした論旨をエコロジーとの関連で述べたのが、拙稿「近代韓国の二重課題とエコロジー」、李南周編『二重課題論』(チャンビ言説叢書1、チャンビ、2009年)である(特に、第3節「分断体制克服運動という媒介項」を参照)。
⑦『韓半島式統一、現在進行形』(チャンビ2006年)第2章「6・15時代の大韓民国」中、「6・15時代の真の進歩は『変革的中道主義』」(30~31頁)を参照(同部分の邦訳は、拙訳『朝鮮半島の平和と統一』、岩波書店、2008年、第5章104~105頁)。この論旨は同書第4章「分断体制と『参与政府』」の補足で「変革的中道主義と韓国民主主義」として敷衍された(58~61頁)。
⑧拙稿「統一運動と文学」、『創作と批評』1989年春号、拙著『民族文学の新段階』(創作と批評社1990年)、124~129頁参照。
⑨同号には白楽晴、趙孝済対談「87年体制の克服と変革的中道主義」も掲載された。もちろん、私自身このテーマを考え続けてきたが、『どこが中道で、どうして変革なのか』に至って「変革的中道主義」は本全体を貫くメイン・テーマに近づき、序章「市民参与統一過程は大丈夫なのか:中道の勉強、変革の勉強のために」、第7章「変革と中道を再考する時」、第13章「2009年分断現実の一省察」(前掲『韓国民主化2.0』、岩波書店、第7章108~125頁)、第15章「変革的中道主義と少太山の開闢思想」などで集中的に論じた。
⑩ただ、彼が設定したX(進歩⇔保守)、Y(改革⇔守旧)、Z(平和協力⇔緊張対決)という三つの軸が、「韓国社会の理念・政策地形」の分析道具としてどれほど有用かは分からない。この構図の大きな長所は、韓国の社会科学者の現実分析においてしばしば無視される「南北関係」を追加したことで、二次元的な平面図では把えにくい三次元の立体的な認識を求めた点であり、通常の「保守対進歩」の構図は現実の中で「守旧対改革」戦線とは一致しないという点は、金基元の古くからの持論であり卓見である。だが、客観的な分析道具として機能させようとすれば、Y軸とZ軸もX軸のように両極が「善悪ではなく、調和のとれたバランスを達成する関係」(210頁)として設定すべきではないかと思う。これに関する論議は別の機会にゆずる。
⑪当日配布された講演要旨および『統一ニュース』(www.tongilnews.com)2012年4月26日の記事「進歩陣営、閉鎖的な組織文化を刷新しなければ」参照。
⑫「最後に、『変革』と『中道主義』という、一見相反する概念の結合が可能なのは、私たちが朝鮮半島式統一という特有の歴史現場に位置しているからであることを想起しようと思う。南北は6・15共同宣言を通じて、以前のいかなる分断国家も歩めなかった平和的のみならず、漸進的かつ段階的な統合への道に合意した状態であり、この合意の実践に両極端が排除された広範囲の勢力が参加する場合、戦争や革命なしでも漸進的な改革の累積が真の変革に繋がることが可能だろう」(拙稿「変革と中道を再考する時」、『どこが中道であり、どうして変革なのか』、178~179頁)
⑬『2013年体制づくり』第4章「再び2013年体制を考える」内の「本格的な社会統合は2013年体制の宿題に」(73~75頁)を参照(前掲書、第11章)。
⑭7月25日国会外交通商統一委員会全体会議で、セヌリ党金ヨンウ議員の質問に対する柳佑益統一相の答弁。ただ柳統一相は、金議員が安教授の著書であることを明らかにしないまま読んだ特定の部分を指して非核化に関する政府の既存の立場を明らかにしただけだ、という統一部の代弁人の釈明があった(「柳佑益統一相、安哲秀の北核見解に『北と同じ』」、『ハンギョレ』2012年7月26日)。
⑮金大鎬「安哲秀は手抜きの建築物だ――〔寄稿〕『安哲秀の考え』を読んで三回驚いた」、『プレシアン』2012年7月28日。
⑯ その点で『文在寅の運命』(文在寅著、架橋、2011年)も似ているが、やはり選挙用より自分自身を省察して整理する作業に重きを置いた本であるためだろう。
⑰ これはまた既存の政治家と比べての話だが、自分が作り出した「映画」を見せて観客には品評の機会だけを与えるのに比べ、安哲秀現象は個々人が直接参加して内容を作っていく「ゲーム」的性格を帯びているため、若者が熱狂するという陳重権教授の分析(「イシューをすくいあげる男・金ジョンベです」107回「〔全方位トーク〕安哲秀はなぜ?」、2012年6月1日)を想起させる面でもある。
⑱ 金大鎬社会デザイン研究所長は、安教授が「正義に対する錯覚」を犯していると酷評したが、この断定は言い過ぎだ。金大鎬自身はスタートラインでの公平な出発を「公正」、決勝戦での合理的格差ないし不平等を「公平」と規定しながら、安哲秀の書に後者への言及がないと批判する。しかし、安哲秀が公平な出発と公正な競技運営を要求しても、均一な結果を要求しないのは、結果の一定な格差ないし不平等を認めたものであり、次に行われる競走でもスタートラインが公平で競走過程に反則がなく、敗者に再起の機会を与えねばならない、との話には結果の格差が「合理的格差」になるべきだ、という考えが含まれていると思われる。この場合、「合理的格差」の具体的内容がどういうものであり、どのように実現されねばならないか、をめぐる批判はいくらでも可能である。だが、その点に思い至ることを基本概念への錯覚だとして、初心者の間違いと断定するのは生産的な討論に役立たない。
⑲ 金大鎬、前掲書。他方で、総選挙前に第三の政党を建設して韓国政治を刷新しよう、という周辺の一部の人々の提案を安教授が拒絶したのは、「身を投じて政治的新紀元を開こうという責任意識と豪気に欠ける」からだとか、「安哲秀が歴史的機会を逃し、歴史的召命を投げ捨てた」(金大鎬、同前)などの主張は一方的な断定である。むしろ第三の政党の建設が「政治的新紀元」どころか、ハンナラ党=セヌリ党を助けるのに都合がいい、と看破する政治感覚を示したのが、政治的経験のない安教授だったのかもしれない。
韓国の知性、新しい時代を語る第12回
「対話:2012年と2013年」掲載にあたって
 昨年末の韓国大統領選挙で民主統合党の文在寅候補を破り勝利した朴槿恵氏は2013年2月25日に第18代大統領に就任、韓国史上初の女性大統領となった。李明博政権時代の社会の「ひずみ」と向き合うことを余儀なくされた朴政権は、国民生活の建直しを重点課題に位置づけ、福祉重視及び中小企業重視の姿勢を打ち出すとともに、科学技術、情報通信等を基盤とした経済成長路線を掲げたが、内閣の構成をはじめ政権人事に難渋するスタートとなった。その後、5月6~10日にかけて米国を訪れ、7日(日本時間8日未明)にオバマ大統領との首脳会談に臨むとともに、8日には米議会の上下両院合同会議で演説をおこなった。
 また、6月27日から国賓として中国を訪れて首脳会談に臨むことになっている。韓国の大統領が就任後、日本より先に中国を訪れるのは初めてとなることは各メディアが伝えるとおりである。朴政権発足以来、閣僚の靖国参拝問題や「従軍慰安婦」問題など、日韓関係は歴史問題をめぐって深刻な状況に陥っていることは周知のことであるが、あらためて、我々の歴史認識とそこにおける政治の責任が厳しく問われる状況に直面しているといわざるをえない。
 そうした視点をふまえながら、今回の大統領選挙が韓国社会にどのような意味を持つものとなったのかを考察、総括することは極めて重要なテーマといえる。
 今回も、従来からこの欄の記事掲載にお力添えをいただいている仙台コリア文庫主宰の青柳純一氏の協力で、以下の「対話」の掲載が実現した。白楽晴氏をはじめ関係各位そして翻訳の労をおとりいただいた青柳純一氏に心からの感謝を申し上げる。

解題に代えて   訳者・青柳純一
 以下に紹介する文章は、『創作と批評』第159号(2013年春号)に掲載された「対話」の抜粋である。掲載から少し時間を経たが、大部にわたる「対話」の全訳からエッセンスを抜粋した。
 この間の北朝鮮・朝鮮半島をめぐる緊張と4月中旬のケリー国務長官の東アジア三国歴訪、とりわけ中国指導部首脳との会談による情勢の微妙な変化など、今思えば、連日メディアで伝えられた「危機」は何だったのかと思わざるをえない。国際情勢にとどまらず、最近の日本社会の状況を見るにつけ、まさに「分断体制の効果はてきめん」と言える。
 ともあれ、それから約3週間、5月6日~10日には朴槿恵大統領が訪米。韓米同盟の強化が謳われ、その成果が語られる一方で、土壇場で起きた大統領府報道官の「セクハラ事件」に端を発した解任劇。今後この「事件」がどのような形で朴政権と韓国社会に影響を及ぼすのか。当の報道官が、今回掲載の対談時期に話題を集めていた保守強硬派の代表的論客であることが注目される。
 今回の問題はその「本性」が露呈したともいえる一方、いわゆる「セクハラ問題」にとどまらず大統領側近内での権力闘争の感もぬぐえず、今後の対北朝鮮政策とのかかわりも否定できない。
 そうした意味でも、この「対話」を、この間の朝鮮半島情勢と韓国政治の動向をふまえて、行間も含めて読みこんでいただければと考える。

『創作と批評』対話:2012年と2013年――金龍亀・白楽晴・李相敦・李日栄
                                           『創作と批評』第159号(2013年春号)から
「対話」討論者
白楽晴(ペク・ナクチョン):ソウル大学名誉教授、『創作と批評』編集人。最近の著書として『どこが中道で、どうして変革なのか』『文学とは何か、あらためて問う』『2013年体制づくり』などがある。
李日栄(イ・イリョン):韓国神学大学グローバル協力学部教授、経済学。著書として『韓国型ネットワーク国家の模索』『新しい進歩の対案、韓半島経済』『中国の農村改革と経済発展』などがある。
金龍亀(キム・ヨング):未来経営開発研究院長。著書として『韓国企業支配構造の現在と未来』(共著)、報告書として「政府人事の新たなパラダイムとビジョン」「学習国家と国家ビジョン戦略」などがある。
李相敦(イ・サンドン):中央大学法学部教授。2011-12年ハンナラ党非常対策委員、セヌリ党政治刷新特別委員を歴任。著書として『米国の憲法と大統領制』『静かな革命』『危機に処する大韓民国』などがある。

李日栄(司会):本日の対話では、2012年と2013年の意味と性格を推し量りながら、最近「時代交代」という言葉が人々のよく話題にされるように、新しい時代とはどういうものであり、韓国社会はどこへ進まねばならないのか、話しあいたいと思います。また、第18代大統領選挙(以下、大選と略)が終わって2013年になりましたが、その雰囲気は第13代大選(1987年12月)直後の1988年初めと似ているんではないかと思います。一方はほっと安堵し、他方はとても失望しているようです。詩の一句「春来不似春」を借りて、2013年になったのに「まだ来てない」ようだと表現する人もいます。
 また、青少年がつくって流行らせた「メンブン(メンタル崩壊)」のような言葉が、政治・社会の分野でも広く流行しているんではないかと思います。与党側の支持層も選挙には勝利しましたが、それほど欣快な心情ではないようです。最近は経済が極めて厳しいと言い、大企業や金融界では構造調整が迫っているという懸念も広がっています。そうした点から2012年に意味をもたせて解釈することは、2013年を切り開いて希望を生みだしてゆく出発点といえましょう。3人の先生方をお招きし、この点について意味のあるお話を交わす場になれば、と思います。みなさん有名な方なので、私が特に紹介する必要はないようなので、昨年の経験をお話しながら自己紹介もかねていただければと思います。
白楽晴:李日栄先生からカミングアウトしてください(笑)。
2012年の総選挙と大選は私たちにとって何だったのか
李日栄:私の紹介をどのようにすべきかわかりません。私の2012年の状況は多少複雑です。昔の話からすれば、1987年末と88年初めの大選の時期、私は大学院生でした。その当時民主化の熱望は高かったのですが、大選の結果を見て失敗したという思いが広がり、そこで若い研究者仲間でもう少し科学的な態度が必要だと言って研究会を作った記憶があります。その時から経済学の専攻者として今まで政策研究をしてきたといえるでしょう。しかし、昨年4月の総選挙で急に衝撃を受けたような感じがしました。私はふだん、87年体制を越えて新しい秩序に進んでこそ韓国経済が進路を開拓できると主張する側でしたが、4月の総選挙をみて既存の野党の力量では問題があると思いました。そうした状況で新たな勢力による経済革新や政治革新が必要だという論議が広く行われ、その熱望が安哲秀現象として現れたようです。経済学用語でいえば、「デュオポリ(複数独占ないし二者独占)」という独占体制、つまり二者が既得権秩序を形成して絶えず政治的な不安定が現れ、こうしたものが経済を改革して革新的な成長モデルを作りだすのに障害になると考えました。ちょうど安哲秀現象が現れ、その期待が特定の指導者を生みだすべきだという熱望につながりました。もちろん不安もありました。システムが備わっていなかったのです。それで、そうしたものを安定化するのに一助となろうと思い、政務的な介入をしたことはありませんが、安哲秀選対本部の政策をつくるのに参加して力になろうと努めました。それなりに努力しましたが、ある方からはあまりに安易に考えてたてついているのではないかという叱責も受けました。それで、実は、私も自己省察をしなければなりません(笑)。このぐらいにしておきましょう。
金龍亀:私にとって国家経営の観点から2012年は少し特別な年でした。この間李明博政権の限界が明らかになって、何よりも公共性の価値が崩れていく状況でもハンナラ党の支持率は常に野党より高かったですね。こうした現象がよく理解できずに2012年1月になり、私が見るには責任政治のレベルで正常な局面、つまり野党支持率がようやく上がっていくのを見ながら、総選挙と大選が国民の立場では正しいものを正しく見て、間違ったものは間違いと見る選挙になるだろうと期待しました。でも、4・11総選挙の結果は全く異なって現れました。それで、なぜこういう現象が現れるのか分析しながら、これが12月の大選にはどういう影響を与えるのか熟考しました。一般企業や国家の公共組織は大型行事を行ったり、何か問題が生じれば、当然それに対する評価を含んだ報告をするものですが、当時1月まで高い支持率を得ていた民主党が4・11総選挙で失敗したにもかかわらず、まともな報告書を出さずに時間だけが流れていくのを見て、本当に問題が多いと思いました。野党に問題が多ければ与党も影響を受けるという点で、全般的に今回の大選が責任政治のレベルで順調にはいかないだろうと予想しました。そうした観点から大選の進行過程に注目すると、私が以前政党のビジョン樹立と組織設計をコンサルティングしてきた経験もあり、今回の大選で成功できる要素とは何かを一度考えるようになりました。第一に、今回の大選の核心は候補の学習能力だと思いました。第二は、候補を取り巻いている参謀陣の能力です。その能力とは専門性、開放性、拡張性です。とにかく本人の学習能力が高く、傘下に力量のある参謀陣を置いた候補が与野党を問わず当選の可能性がある、と2012年半ば頃に考えるようになりました。
 ところで、民主党に注目すると、候補が決定される過程で情熱的なビジョンやひたむきな姿が見られませんでした。候補が決定した後も、大統領候補ならば党に対する全権をもつため、4月の総選挙に対する評価を含めて、党の革新方向が出るだろうと思いましたが、結局出ませんでした。そうした流れを見るにつけ残念に思いました。反面、ハンナラ党から名前を変えたセヌリ党を見ると、とにかく先ほど申し上げた学習能力が選挙過程に相当反映しているのが確認できました。多くの政治評論家が語っているように、朴槿恵候補が野党の主張を大幅に摂取してアジェンダの多くを本人のものにしたことが、まさに学習能力を示した事例です。選挙の流れを見ると、本人の話に対して顧客である国民がどのように反応するのか、また野党の主張を国民がどのように受け入れるのか、一日に何度も点検したんではないかと思えるほど、敏捷な対応をしていると感じました。野党支持者の立場では、李明博政権が民主共和国の基本を壊して公共性のレベルであまりにも多くの失策をしたため、当然権力が野党に移るだろうと断定していたのですが、そうはなりませんでした。私は今回の選挙を契機に、特に野党が新たに学習すべきだと思います。また、学習する方法自体を学習すべきだと思います。
李日栄:金院長がおられる未来経営開発研究院では、大選候補や政党の力量を評価することもしていますか。
金龍亀:国家経営の成功レベルで、企業や公共組織だけでなく与野を問わず候補や政党の成功要因に関心を持っています。今回の選挙には関与しませんでしたが、2008年2月民主党のビジョン樹立をコンサルティングしたことがあり、その前には党中央の組織設計について諮問したこともありました。
李日栄:では李相敦教授、何しろマスコミによく出演されて最も名前が知られている方です。お話しください。
与党側の辛勝と野党側の挫折、その原因は
李相敦:2012年が天から落ちてきたわけではないですよね。2007年大選と2008年総選挙でも、いわゆる進歩陣営は相当挫折したんじゃないですか。ともすると、今よりもっと無力だったと思います。大選に負けただけでなく、総選挙でもあんなに議席を奪われてしまったので大変な無力感を味わったでしょう。保守の力に乗じて李明博大統領になったわけじゃありません。中道・実用を標榜したのに政権初期にそれこそ困難な状況に陥ったので、保守の力を掲げて克服しようとしたはずみで私たちの社会で陣営の論理が強化されてしまいました。当時、与党側の有力政治家だった朴槿恵ハンナラ党前代表と李明博政権の関係は、韓国政党史で今までなかったものでした。私が知りあいになったのも伝統的な野党側の人士ではないが、政府批判をしてきたためです。そういう人が金鍾仁、尹汝雋、そして私の三人程度でした。検討して見れば、ハンナラ党は李明博政権が失敗しても何とか持ちこたえてきましたが、そこに参加しないプレーヤーがいて、それが種になって今のようになったんじゃないかと思います。また、呉世勲前ソウル市長の愚かな行動も作用しました。実際、呉世勲が党を救ったんです。一等功臣です(笑)。朴槿恵前代表が金鍾仁博士と私を非常対策委員に抜擢し、以前にない試みを行ったのが、2012年の1年間効きめがあったんじゃないかと思います。ハンナラ党が最低線に落ちこんだのが昨年1月初めだったと記憶しています。その後、内部葛藤にもかかわらず刷新を通じて再び誕生し、呼応を得たと思います。反対勢力も多かったです。セヌリ党の再創党過程で克服すべきものは克服し、妥協すべきものは妥協しました。政治とは理想のみを追求するものではありませんから。こうした過程を経て4・11総選挙で善戦し、選挙戦の終盤には運もありました。正統民主党が生まれていくつかで助けられ、金容敏の暴言騒ぎもありました(笑)。結局、大選もその延長線上にあったと思います。
 大勢の人が今回の選挙は進歩と保守の大激突であり、保守がそれに勝利したと言いますが、私はテレビ討論のような場でこれに異議を提起したことがあります。その論理に従えば、こちら側で誰が出てもすべて勝たねばなりませんが、私が見るには、他の候補だったら百戦百敗だったでしょう。朴槿恵という人は朴正熙の娘という点もありますが、李明博政権との距離の置き方と以前にはなかった非常対策委員会で内外のヤマ場を克服し、辛勝したと思います。2012年は単に政党対政党、陣営対陣営だけでは見ることができない要素があると思います。この一年は私にとっても一生一代の経験でした。
<中略>
朴槿恵政権の「時代交代」は果たして成功するか
白楽晴:2012年大選と1987年大選に関する従来の私の発言を修正し、むしろ両者が似ている点を述べましたが、その話をもう少し発展させてみましょう。87年大選の結果、当時の民主化勢力はメンタル崩壊状態に陥りましたが、大きく見れば、?泰愚政権も87年体制の建設を進展させました。公安政局があったし、弾圧事件も多かったし、またハナ会のような軍部内組織が厳存するなど、文民政権とはいえない面もありました。しかし、先ほど李日栄教授が語った三つの面、87年体制の政治、経済、南北関係の三つの面すべてで進展したと思います。特に南北関係の発展でいえば、歴代大統領のうち最も寄与した二人を挙げろというなら、私は金大中大統領と?泰愚大統領を選びます。もちろん、?武鉉大統領の功績も大きいですがね。政治的には弾圧もしましたが、ともかく軍事政権に、全斗煥式の暴政に復帰するのを止めましたから。国民が止めたのですが、?泰愚大統領も寄与したと思います。経済の場合、今日とは反対に、当時は経済的主体に自由を与えることが当面の課題でした。朴正熙、全斗煥時代に国家が統制していたものを自由化することが課題でしたし、これには労働運動の自由も含まれていました。結果的には、巨大な経済主体があまりにも自由化され、財閥をどのように規制してバランスをとるかが今日の課題になりましたが、当時としては経済的な自由化も含め、三分野のすべてで業績があったと思います。
 さて、朴槿恵政権が少なくとも?泰愚政権のレベルに、時代の大きな流れを受け入れて進んでいけるかどうかを、この三つの面から点検してみることができそうです。経済の場合は、いまお話したように、課題が変わって今日は経済民主化、財閥規制などをどれほどやりぬけるか注視すべき問題ですが、引き継ぎ委員会でその担い手がいないという言葉が聞こえるなど、決して楽観できません。政治の場合は、野党が勝利した時のように「民主主義2.0」というか、そういう大々的な市民参加を実現させるのは難しいでしょうが、最小限、李明博政権下で後退していた点を元に戻して、民主政権時代の人権と民主主義のレベル程度に維持できるかが関心事ですが、これもそう簡単ではないようです。当選者自身が民主主義に対して透徹した信念がある政治家のようではない上に、より重要なことは、支持勢力内に今回の勝利に絶対的に寄与したと自負して、新政権の成立を機に、いわゆる従北左派を永遠に放逐しようと気勢を上げる人々がとにかく多いのです。それで、?泰愚大統領が軍部に基盤を置きながらも、軍部が過度に政治に介入したり、復帰するのを牽制した程度に、朴槿恵大統領がやりきれるのか、これは注視すべき課題です。次に、南北関係です。金秉準教授が2013年には難しいといって2018年を語る場合、ちょっと漠然とした話だと私が感じたのは、あまりにも韓国中心の見方だからです。それも政治や行政に集中しすぎた見方だからでもあります。韓半島全体の事情をみた上で、なおかつ東北アジアや世界が変化する情勢をみれば、2018年以前に停戦協定を平和協定にかえなくては、大韓民国全体が多くの面で難しくなると思います。ところで、朴槿恵候補は南北関係の改善を公約しましたが、平和協定については話していないじゃないですか。信頼プロセスを作っていくとは言っていますが、果たしてそこまで進展させることができるかわかりません。しかし、当選者が積極的に南北対決を助長する勢力の肩をもちさえしなければ、私たち市民が立ち上がり、停戦協定を平和協定にかえる方向で相当な成果を上げることができるかもしれません。大きな流れがあるので、朴槿恵政権下で全く不可能なことではないと思います。しかし、やりぬくことができるのか、それも簡単ではないようです。万一こうしたことがすべて実現したなら、少し不十分でも、相当な程度で時代交代したと評価されるでしょう。
李日栄:李教授が一番正確な情報をもっておられるでしょうが、お話しにくい点もあるだろうと思います。現在の引き継ぎ委員会をみると、かなり節制している印象です。こうした点からみると、期待がなくはありません。ただ一方で経済面は、経済民主化の公約を消化するには相当度胸が要るように見えますし、財界や官僚側は当面緊張しているが、長期的にみれば、甘く考えているという話も聞こえます。統一・外交面でも、昨日ある方が辞退した事情(2013年1月12日崔デソク外交・国防・統一分科委員の辞退――編集部)について、憶測が乱舞しています。期待と憂慮が交錯する時点ではないかと思います。
李相敦:今後首相や大統領府の人事があるでしょうが、最も関心を集めるのは、どんな朴槿恵政権になるかという点です。これまでなら大抵予測できましたが、とにかく今回は実際、当選者本人の功績が最も大きいじゃないですか。だから、それだけ自由な面もあるし、選択肢も多いということです。有権者は賢明じゃないですか。2010年6月2日の地方選挙と昨年4月11日の総選挙は、ほぼ似たような投票率を示しましたが、結果は異なりました。先日の大選とともに行われたソウル市教育委員長[韓国では公選制]と慶尚南道知事の選挙では、私たちの候補もよくなかったのですが、野党側の候補がもっと悪かったですね(笑)。キャスティング・ボードを握っている中道層の有権者が、かつての民主労働党出身の候補者に食傷したのは確かです。その代表的な候補者はみんな負けてしまったではないですか。これを保守派の勝利とみてはなりません。万事を進歩と保守の枠内でみますが、実際に李明博政権が不信任されたのは、保守的政策をとったからではないんです。民主主義の法則を黙殺して財政を破綻させたので、審判を受けたじゃないですか。50代の人々が朴槿恵候補を強く支持したのは、公約のためというよりも、野党側が文化的に彼らの世代とあわなかったからです。実は、老年層にとっては文在寅候補の公約の方が良いものがたくさんあったじゃないですか。年100万ウォン以上の無料医療のようなものです。民主党はあまりにも20~30代に依存しすぎたんです。
 朴槿恵政権が成功するか否かは、過去の教訓を生かせるか否かにかかっていると思います。わが国の歴代大統領の政策中、最も支持率が高かったのは金泳三大統領の時に金融実名制を実施し、ハナ会を解体して全斗煥と?泰愚を裁判にかけたことでした。大統領の支持率は政権が正義と真実の側に立つ時、確実に上がるのです。朴槿恵当選者がそうした事例を参考にして政局を運営してこそ、1年半後の統一地方選挙と2016年4月の総選挙という二度の中間評価で支持が得られると思います。私が民主党や野党側の方々と多少異なる点は、南北関係も必ず何とかしなければならない、そのようには思いません。いつまでに何かができなければダメだ、歴史にそういうものはないと私は思います。時代が要求する時点で、自然に進むものでしょ。朴槿恵当選者が語った平和プロセスというのも、「私の任期中に何々を必ずやる」というものではないじゃないですか。プロセスに比重を置き、漸進的に接近していくと思います。財閥改革も同じでしょう。野党側がすることになれば、とにかく急激な変化があるはずだから、中間層の有権者は、それよりは信じられる安定した改革を選んだんじゃないかと思います。政権初期に、繰り越された課題を解決するのは当然だと思います。就任前に、この数年間タブーのようになっていた四大河川問題もでてくるじゃないですか。朴槿恵政権が、いわゆる守旧勢力にそのまま縛られていくとは思いません。当選者は幾度もの選挙を経てきた政治家だからです。
「安哲秀現象」が残した教訓
李日栄:ここまで時代交代の意味と朴槿恵政権の今後について話してきました。2012年に起きたことの中で、特異なのは「安哲秀現象」でした。新しい政治を望む国民の熱望と動きを評価し、整理してみたいと思います。
<中略>
金龍亀:盧武鉉政権期に与党代表が何人変わったかを調べてみたら、およそ12人ほどでした。1人当たりの任期はせいぜい数カ月です。政治活動は予測性を示せねばなりません。その予測性の枠内でリーダーシップが形成されるのであり、リーダーシップで最も重要なのはリーダーが作るビジョンだと思います。誰かがビジョンを提唱して人々がそれを理解し、両者間に一体感が生まれる場合、リーダーシップが形成されるのです。現在、民主党の組織運営はお互いを殺しあう構造です。例えば、集団指導体制からはリーダーシップは生じません。安哲秀教授が政治はやらないと思ったのに、国民が押しあげて出馬させるほど悲劇的なことはありません。歴史に責任をとる姿勢でビジョンを強力に掲げて身を投じる場合、良質のリーダーシップが生まれるのですが、押されて登場するようなリーダーシップはもうダメだと思います。リーダーは自分が望んですべきものであり、その中でできる人たちに希望と勇気、機会を与える政党組織が作られるべきだと思います。私はそうした点から「安哲秀現象」を韓国社会の歴史的資産とみなすべきだと思います。もちろん、最初に申しましたが、重要なのは学習ですから、安哲秀教授が新たに学習して新たなビジョンを作り、政治に身を投じるなら、また違ったリーダーとして野党側でそれなりの役割を果たせるでしょう。
李相敦:今回の大選で野党側は大変な挫折を味わっていますが、実際の投票結果をみれば、30代と40代の教育を十分に受けた階層は野党側にたくさんの票を入れました。これは意味深長なことではないですか。私たちの側で、こうした点を重く受け止めるべきだと思います。昨年初め、私は汝矣島に朝早く出かける機会が多かったんですが、そこに出勤する人々がどんなに多いか。その渦中で、「ああ、ここで私たち側に投票する人が何人いるだろうか」と思い、挫折を感じました(笑)。そして総選挙の時の経験ですが、中央から地域区をみれば明らかです。とても裕福な地域や農村は私たちがトップで、朝出勤する人々が多く暮らす地域はすべて負けました。ベッドタウンでは私たちは完敗でした。実際、韓国の未来は年金で暮らす世代ではなく、そうした人々にあります。今後、朴槿恵当選者とセヌリ党はこうした点を肝に銘じねばなりません。それでも私が希望を抱くのは、セヌリ党内で寡頭体制がなくなったという点です。また、朴槿恵後を考える場合にも有望株がいます。「安哲秀現象」のようなものを受けいれられる潜在的リーダーがセヌリ党で育つ可能性が大きいと思います。今回の選挙に負けたらかなり難しくなったでしょうし、寡頭体制が再び生まれるところでした。
李日栄:政治評論家は一般的に、「安哲秀現象」の核心支持層は中道・革新層、湖南、20~30代だと言います。組織と勢力の絶対的劣勢にもかかわらず、一年以上続いたこうした現象は相当特異なものであり、他の国では見いだしがたいと言っています。しかし結局、路線、組織、リーダーシップ、戦略が全般的に不足して負けたという評価です。
白楽晴:実証的な資料はありませんが、安候補自身も文候補との討論で、ある老人が自分の手をぎゅっと握りながら、今度はちょっと変わったらいい、という話をしたと言いましたが、私は李日栄教授が列挙された集団以外に、韓国にちゃんとした進歩政党があったなら、そこに票を入れたであろう人々も「安哲秀現象」を生みだすのに一助となったのではないかと思います。無党派層といえる若者ではなく、年齢と関わりなく、ハンナラ党と民主党を含む既成の政治から何の恩恵も受けられずに徹底的に無視されてきたが、安哲秀という人が出てきて新風を巻き起こしているというから、そこに漠然とではあれ、期待をかけた人々も多かったんじゃないかと思います。それが事実なら、安哲秀候補が彼らの欲求に果たして応えられたのか、問うてみる必要があります。候補者自身の体質やセンス、また選対本部内の重要人物の感受性に照らすと、選対本部の見方は、本来の安哲秀現象の震源地である20~30代と意志疎通して共感する側に焦点を合わせつづけていたのであり、前述した底辺の庶民と意思疎通するには極めて不十分だったようです。とにかく、安候補は準備がなかったし、組織が不十分でしたからやむを得ない面もありますが、抑圧されてくやしくつらい庶民生活に対する認識や感受性が足りなかったんじゃないかと思います。
 時代交代の問題に関連して、政権交代と時代交代は区別して点検する必要があると思います。通常なら、同じ政党の候補者が大統領になれば、それは選手交代であって政権交代ではありませんが、政権交代に準ずる結果が出ることもあります。四大河川問題もありましたが、李明博政権の様々な失政と不正、真実の歪曲などについて、民主党政権が誕生した場合に劣らず徹底して調査し、是正措置をとるならば、それは選手交代であると同時に、政権交代に匹敵するといえるでしょう。他方で、時代交代と言えば、李日栄教授がおっしゃった通り、2013年体制論は87年体制がこう着状態あるいは末期的な混乱状態に陥っているのを清算して新しい体制を出発させよう、という趣旨でした。87年体制が混乱に陥った重要な理由として、一つは経済面で朴正熙時代以来の財閥依存の経済体制がほぼ統制不能の状態に陥っており、もう一つは韓国の守旧勢力の法的・制度的な土台をなす停戦体制です。停戦体制というのは、国際的に公認された国境がない状況です。そのため常に安保不安が実際に存在し、それで、これを悪用して不当な既得権を守って広げようとする勢力が盛える客観的な土台になるのです。だから、これを平和協定にかえることは、単純に南北関係の問題ではなく、韓国内の政治改革や経済改革、また市民社会の健全な発展にも関鍵となる要素です。ひとえに、南北問題が国内問題よりもっと重要だから停戦協定問題に執着するのではなく、また、これはいつまでにかわらなければ何もできない、というわけではありませんが、この問題を朴槿恵政権がちゃんと解決できないならば、結局はセヌリ党内で守旧勢力を制圧するのも難しくなるということです。事態が順調に解決される場合はいいですが、何かの障壁にぶつかった場合、結局は家ウサギと同じようにならざるをえない状況が来る憂慮があります。
李相敦:私は若干違う考えです。わが国の有権者のうち、停戦協定を重要だと考える人はそう多くないようです。
白楽晴:その通りです。今回の選挙でもあまり重要なイシューではありませんでした。国民が特に関心をもっているイシューだから重視するのではなく、国民が関心をもっている経済民主化とか福祉社会、民主主義、社会の公正性と道徳性の回復のような問題を解く上で、これが隠れた鍵ではないかと申し上げたのです。
李相敦:よく聞く話ですが、不戦協定や平和協定の後、もっと大きな戦争がいつも起きたじゃないかということです。パリ協定とベトナムの事例がそうです。逆に、こうしたことを強調しすぎると、いわゆる守旧勢力をより助けるんではないかと思います。外交と国内政治は別個ではないかと思います。国内改革も別個だと思います。政治家の中でも、外交と内政の方向が相当違っていた場合もたくさんあるじゃないですか。
李日栄:2013年の時点で重要な課題として、白先生は経済や福祉の再編と平和体制がともに考慮されねばならないとお考えで、李相敦教授はそれぞれ固有の領域があるので、時代交代の意味といえば、法治と民主主義の問題により力点を置かねばならないとお考えですね。
真の時代交代の条件と核心課題
<中略>
李日栄:かなり時間が経ちましたので、最後に一言ずつお願いします。
白楽晴:政府の役割が大きいので、そこに関心を寄せて批判し、見守ることも重要ですが、各自が身を置く場で私たち自ら社会の基礎体力を育てていくことに、より力を注がねばならないようです。公共性を含めて市民社会の力量を強化するのも、その一部です。また、専門性を掲げる人々が自分の専門性を強化すると同時に、専門家としての矜持と自尊心を守ることが重要であり、これも李明博政権下で無残に壊されたものの一つだ、と私は思います。こうしたことを一般化して語ることはできませんし、各分野で市民自らが進んでやるべきことでしょう。そうした意味で、停戦協定を平和協定にかえることが重要だからといって、あらゆる人が平和協定の締結運動に立ち上がる必要はなく、当然国政運営においても、李相敦教授がおっしゃる通り、各分野の特性と独自性を尊重しながら、着実に進んでいかねばなりません。
 ただ、私が最後に申し上げたいのは、国政のグランド・デザインを描く立場とか、社会現実を分析する学者の立場では、やはり私たちの国内問題というものが、南北関係といかに深層において連結しているのか、表面に現れてはいなくても、どれほど深く関連しているのか、を洞察することが緊要ではないかと思います。仮に、87年体制の限界を語る場合でも、韓国が分断社会であり、特に1953年以後、戦争がとにもかくにも終わった状態が固まったものとして、それを私は分断体制と呼びますが、反民主的で非自主的な要素がすべてを主導する、一種の体制が成立したという認識が必要なようです。87年の民主化と世界的な東西冷戦の終結により、そうした分断体制が揺らぎはしましたが、今日も依然として厳存し、今回の選挙を通じて、分断体制は本当に力が強いということをあらためて実感することができました。私は変革的中道主義ということも主張してきましたが、その話まで詳しくする時間はありませんが、簡単に言えば、分断体制とは何かがわかる中道主義が変革的中道主義といえます。分断体制とはどんなものであり、どれほど力が強く、それでもどういう部分が脆弱であり、克服の道があるのかということを知って、その弱点を正確に検討しうる中道路線、それが必要だと思います。先ほど、下手に平和協定の話をするのは守旧勢力に力を与えることもありうるとおっしゃいましたが、実際、私たちの社会で進歩を志向するという人々が、そうした逆作用を果たすこともあります。本人の意図とは関わりなく、分断体制をより固めることもありますが、だから、分断体制を克服するには中道がより力が強いと考えるのです。
李相敦:朴槿恵政権の成立を、分断勢力の勝利だとおっしゃっているのかもしれませんね(笑)。今回の選挙は候補者本人の不正がなかったし、現政権が助けるどころか、妨害さえしなければ幸いという状況だった点で、政治史では特異な選挙だったと思います。そこに込められた有権者の意志を、朴槿恵政権は今後抱えていかねばならないと思います。安定的な改革と刷新を通じ、私たちの社会を変えねばならないと思います。野党側におられる方々も、同意できる部分については力を貸してくださればと思います。
金龍亀:私は朴槿恵当選者にぜひ成功してほしいと思います。今回の大選で当選者が活用した現場学習能力、つまり顧客である有権者の要求を把握しようと努めた姿勢を最後まで維持しながら、国民が何を望んでいるかを任期終了まで忘れなければと思います。また、民主党をはじめとする野党側は、2012年二度のチャンスを逃したことを、国民が与える最後の学習機会とみなすように願います。実際、野党が健康でちゃんと運営されてこそ、朴槿恵政権もきちんと役割を果たせるのですから、2012年の経験に基づいて野党も健康になり、正しいリーダーシップを育むのが朴槿恵政権を助けることだと思います。また反対に、朴槿恵政権の成功が野党を一つのビジョンをもとにする中身のある、挑戦的な政党に作るだろうし、今後野党の執権可能性とその後の成功可能性をやはり高めてくれるだろうという自信をもてばと思います。チャンスは常に後姿だけ見せると言いますが、こうした教訓を、野党であれ与党であれ、忘れてはいけないでしょう。特に、民主党は自ら何がわからないかを悟る無知の学習からまともに始めるというなら、「禍転じて福となす」の機会を掴むこともできるでしょう。20~40代がこれほど高い支持率を示すのは、世界的にも多くない未来の資産でしょう。経済的な実利だけではなく価値に基盤を置いた情熱を抱いた人々、青年・中年世代の国家経営に対する高い眼目が、私たちの未来をどうあれ牽引していくだろうと思います。
李日栄:一点だけ、付け加えます。朴槿恵当選者が選挙結果の出た後、支持者にこのようなメールを送ったといいます。「本当に感謝します。今回の選挙で私を支持して下さり、忙しい中でも投票して下さったその志、よくわかっています。民生の苦労、葛藤と分裂の政治、私が一挙に終わらせることはできなくても、少しでも緩和して改善しながら、今日より良い明日を創っていきます。私を支持されなかった方々の意志も謙虚に受け入れ、野党を国政の真のパートナーとして考えます」。このようにしてくださればいいでしょう。そう期待しながら討論を終えます。お疲れ様でした。ありがとうございました。
                                                     (2013年1月15日 セギョ研究所)
韓国の知性、新しい時代を語る第13回
【掲載にあたって】
白楽晴氏の重厚な論考「大いなる積功、大転換のために ―2013年体制論以後」が届きました。
韓国の現在の政治、社会のみならず、言論・思想状況、南北関係にわたる、深い省察と思索にもとづく、示唆に富む論考です。
長編にわたる論考のため、前・後編にわけて掲載します。
今回も、翻訳家で仙台コリア文庫の青柳純一氏のお力添えと韓国「創作と批評」編集部のご理解によって掲載することができました。
冒頭に記して感謝申し上げます。
なお、掲題にある「積功」については訳者、青柳氏によって以下の「訳注」がつけられています。
「積功」とは「功徳の積み重ね」、ここでの「功徳」は仏教的な意味もこめた「現在または未来を資益する善い作業」(諸橋轍次・『大漢和辞典』巻二)で、「道徳・恩徳」より「社会的貢献・成果」に近いと言える。なお、本稿で頻出する『2013年体制づくり』『どこが中道で、どうして変革か』の主要論文は、『韓国民主化2.0』(青柳純一訳・岩波書店、2012年)を参照のこと。
(訳文を一部修正)。

大いなる積功、大転換のために ―2013年体制論以後 (前編)     白楽晴

1.積功と転換:セウォル号以後
 「2013年体制づくり」の企画が失敗に終わった後、私は時局に関する発言をできるだけ自制してきた1)。省察すべきことがあまりに多く、国民の前に立つ面目もなかったし、「2013年体制」の代わりに何を提示するかも漠然としていたからである。だが、去る4月16日のセウォル号惨事を経て、私も黙っているべきではないと思われた。ほぼすべての国民が「セウォル号以前」のようには生きられないという思いを共有する状況で、以前のように考えて発言するのも問題だが、以前のように沈黙するのも難しくなったのだ。
 「2013年体制づくり」に代わるスローガンを提示すべきだという強迫観念自体が古い思考という気もした。必要なスローガンは時が来れば生れるものであり、必ずしも私がそれを提示しなければならない理由もない。まずはセウォル号事件に触発された社会と私自身に対する省察を遂行し、これに基づいて「セウォル号以後」への転換を達成するように努力したいと思う
 実際、事件後に私たちは前のようには暮らさないという共感と決意だけでは現実が変わらないという事実を痛感している。言葉ではみんな変わろうと言いながら、従来のように(既得権を)享有しながらの生を全く変える意志のない者どもが社会の要所を占めており、彼らを批判して審判しようという野党政治家や知識人も相変わらず「セウォル号以前のように」考え、行動しがちである。そうした双方に失望した国民も対策なしに憤怒し、簡単に諦めて、時にはセウォル号以前の「日常」に戻ろうという主張に引きつけられる。
 こうした状況で2012年がそうだったように、私たちは今も韓国社会には時代が要求する大転換を達成させる積功が足りないと痛感する。もちろん、それなりの功徳と功力が積まれているので大韓民国がこれほど民主化され、自力を備えた社会になったとも言えるが、さらなる大転換を達成すべき局面を迎えて一層大いなる積功が切実に求められる。いや、積功と転換は決して2つではない。積功するだけ転換が達成されるし、転換していく過程自体が積功でもあるのだ。
 もしかしたらセウォル号事件の最大の教訓は、時宜に適った転換ができない場合、国が直面する混乱や難関はどういうものかを克明に示したことかもしれない。セウォル号特別法の制定をめぐって長期間続いた膠着状態が、その端的な例である。徹底した真相究明は省察の基本であり、新たな出発の前提なのに、その第一歩を前に政府・与党は破廉恥な引き延ばしに明け暮れ、野党は「セウォル号以後」の変化を読めないまま、「以前のやり方通り」に駆け引きする水準を大きく脱却できず、国民の信頼を失って混乱を増幅させた。そうした中、社会は「大統合」から一層遠ざかり、公論の質は以前になく低劣になった。植民地と独裁時代を通じて権力に服従し、むしろ被害者を蔑視する習性が多くの人に内面化された面は否認できないが、最近ほどそれが実感される時も珍しい。
 とはいえ、「国民が問題だ」「私たち全員の責任だ」と簡単に言うこと自体、真相究明と対策づくりという任務を怠るやり方と言える。みんなが罪人である面がなくはないが、為政者としての是非を明らかにする責任、少なくとも真実を明らかにしようする市民の努力を妨げるべきではない指導者と政界の特別な責任を不問にしてはならない。強大な権限をもった者どもが、彼らなりに積み上げてきた功力と術策をもって誹謗するなら、いくら国民が優れていてもどうにもならない!
 同時に次の瞬間、「本当に優れた国民ならば、当初からこういう政治が可能だったろうか」という問いが浮かぶのも避けられない。これは、「だから次の選挙では指導者をうまく選ばなければ」という決意だけで解決される問題でもない。政治の重要性を認識することは、選挙で選んだ政治家の責任をそれなりに問い、責任を追及していく広い意味の政治活動に各自が日常的に精進する、はるかに難しい積功を必要とする2)。
 次の選挙を視野に入れて、今ここでの積功をどのようにすべきか、いくつかの主題を中心に検討しようというのが本稿の目的である。だが、具体的なアジェンダを詳しく論じようというのではなく、課題に接近する姿勢を考えたいと思う。『つくり』でも強調したように(82頁)、民主・平和・福祉のような主要アジェンダがいかに有機的に結びついた一大課題であるかを認識することが重要である。同時に、空間としては韓国だけでなく韓半島と東アジア、さらに全世界を考えながら、時間上は短期・中期・長期次元の課題を識別し、適切に配合する必要がある。この場合、「識別」に劣らず「配合」が重要である。短・中・長期の課題を分類して短期的課題から1つずつ遂行していくのではなく、その完成の時点がそれぞれ違うことを認識し、どういう方式で同時に推進したら最大の相乗効果が得られるのかを探し出す、まさに積功を要する作業なのである。
 ともあれ、わが社会の混乱は極に達したが、どこまでも混乱、膠着であり、「セウォル号以前」への復帰ではないという点が希望である3)。膠着と混乱自体はもちろん歓迎すべきことではないが、諦めを拒否して「日常」への安易な復帰を拒絶する動きが、あちこちで展開されている。「どれほどたやすいか、わからない。希望がないと語ることは。どうせ、と語ることは。元来世の中はこういうものだから、もはや期待もしないと語ることは。私はすでにこの世界に向けた信頼を失ったと語ることは」4)。ともあれ、このように吐露する小説家・黄貞殷自身を含め、数多くの市民が積功と転換の作業に立ち上がっている。
 私もその隊列に参加しようと思うが、私の場合、2013年体制論に対する自己省察から出発するのが道理であろう。
2.2013年体制論に対する省察
・2013年体制づくりの趣旨
 2013年2月は、新大統領が新政権を発足させる時だった。この時期を前にして、単なる政府交代または政権交代に満足せずに、6月抗争が起こった1987年に匹敵する大転換を求めたのは多くの国民が共感したことだった。野党候補は選挙運動期間に「2013年体制」を直接論じ、与党候補も「単なる政権交代を超える時代交代」を約束して当選した。もちろん、当選者自身の体質から見て、その支持勢力の性格から見て、「時代交代」の約束を履行する可能性は当初から乏しかった5)。だが、意図的な欺瞞策であれ、自己催眠であれ、国民の要望があっての約束だったし、今の私たちは時代交代が達成できなければ、国民が不幸にならざるを得ないことを体験学習中である。
 2013年体制論は87年体制を克服しようとする企画だが、どこまでも87年体制の成果を踏みしめて進もうというものだった6)。従って、抗争を通じて韓国社会が確保した選挙空間を活用するのは当然だったし、6月抗争時のように街頭闘争を主要な手段とすることはなかった。「希望2013」というスローガンに選挙を意識した「勝利2012」という標語がついていたのもそのためであり、同時に「希望2013」に向けた徹底した準備がなければ、「勝利2012」自体期待しがたい点を強調した。さらに、4月総選挙の決定的な重要性に注目しながら、私は野党勢力全体の総選挙勝利が大統領選挙に勝利する前提条件だと明言した(『つくり』第4章第4節、85~87頁)。
 不幸にも、その診断は的中した。総選挙で負けた野党勢力が大統領選挙でも負けたのだ。敗因の具体的な分析は専門家に任せるが、一言で「希望2013」に向けた積功が不足していたと言わざるを得ない。例えば2013年体制論は、87年体制が1961年以来の独裁政権を終息させた後もなお独裁体制と共有した53年体制(停戦協定体制かつ分断体制)という土台を変えてこそ87年体制が克服できる、という主張を重要視していたが(『つくり』79~80頁、162~64頁)、「2013年体制」をスローガンとして採用した人でも、この点は見落とすのが常だった。だが、この主張は分断時代の歴史に対する勉強とともに、韓国社会の現実診断から南を基本的な分析単位とする習性から脱すべきことを要求するものだった。また、それは分断体制さえ最終的な分析単位ではなく、世界体制中心に思考する学問上の転換を要求したものなので、短期間に広く共有されにくかったのは事実である。
・『つくり』とその後続作業の問題点
 2013年体制論があまりに抜本的な省察を要求して共有しにくかったとだけ言えば、他人のせいにする破目に陥るだろう。実際は、『つくり』だけでなく、その後の自己修正の試みさえも論者自ら多くの問題点を露呈させ、企画を失敗させる助けをした点は否定できない。
 選挙の勝利に執着したら選挙にも勝てないというのは、『つくり』が重ねて強調した点だった。だがふり返れば、私自身にもそういう執着があった。例えば、2013年体制論の核心概念に該当する「変革的中道主義」は、『つくり』ではほぼ消失してしまったが(81頁で一度だけ言及)、これは選挙の年である2012年に本を出版するのでわざわざ選択した方式であった。「『変革』と『中道』という一寸見ると衝突する概念の結合」7)が韓半島特有の現実に対する学び心を触発する公案ではあっても、選挙スローガンとしては無用の長物だったからである。
 また、こうした執着の別の面でもあるが、時代的転換に抵抗する既得権勢力の力を過小評価する愚も犯した。端的な例として、大勢の人のように、私もソウル市長補欠選挙で朴元淳候補が当選したことに鼓舞されるあまり、ハンナラ党(後のセヌリ党)の朴槿恵非常対策委員会が発揮する威力を正確に把握できなかった(『つくり』63~64頁参照)。政治の門外漢として間違うこともあるではないか、と慰めてくれる人もいる。だが、門外漢なので口をつぐんで「損はしない」権利はあるが、公開的な発言が間違った場合に責任が伴う点は誰でも同じであり、より重要な点は私も含めた多くの人が韓国社会の強大な守旧・保守同盟に対する認識が十分ではなかった点である。
 ともあれ、「変革的中道主義」を選挙スローガンとして採択しなくとも、できるだけ多くの人がこの趣旨を把握して闘いに臨むことが重要だった。変革的中道主義については後半でもっと論じるが、そこでの「変革」つまり分断体制の克服と、そのための「中道」つまり幅広い改革勢力の形成こそ、「希望2013」の要諦だったからである。
 これはまた、「勝利2012」の前提条件としてあげた連合政治の問題を正しく解いていく指針でもありえた。実際、2012年総選挙における野党勢力の選挙連帯は、後に多くの批判を浴びた。特に、選挙後に暴露された統合進歩党の候補者選びをめぐる内紛と党分裂の事態を通じ、「主体思想派と手を組んだ何でも連帯」が俎上にのった。しかし、総選挙当時の統合進歩党は特定政派一辺倒の党ではなかったので、野党勢力の連帯と候補者一本化は2012年の総選挙でも、2010年地方選挙と同じく、国民多数の至上命令に違いなかった。それにしても、変革的中道主義のような連合政治の哲学が確立できなかったため、その哲学を共有できるすべての政党・政派の統合または連合と、それに達しないレベルの戦術的連帯を区別する明確な原則がなかったし、もっと堂々たる効率的な連合政治を実行できなかったのである。
 とにかく、私は総選挙の敗北を経た後に、変革的中道主義の論議を再開した。「2013年体制と変革的中道主義」(『創作と批評』2012年秋号)という文章だが、それは総選挙に負けたら大統領選挙も負けるだろう、という自らの予測を何とか覆そうという足掻きでもあった。結果はみなさんご存知の通りだが、文章自体の問題点も反芻せざるをえない。
 一つは、時宜性の問題である。2012年初めの時点で、変革的中道主義の論議は選挙に適さないという判断に一理あったなら、大統領選挙の目前ではあまりにも遅かった。もう一つは、最後の節「『(安哲秀の)考え』に対するいくつかの考え――結びに代えて」の件である。もちろん、安哲秀氏がまだ出馬を宣言していない時点で、また出馬後にどういう歩みを見せるかわからない状況で、確実な展望や代案を提出するのは不可能だった。とはいえ、「仮に『(安哲秀の)考え』が非常に立派な文書ファイルだとしても、どういう性能の実行ファイルが含まれているのか、文書だけでは判断できず、実行ファイルを作動させてみるべきだ」(33頁)という指摘は、「評論家的」発言としては無難だが、実践レベルでは不十分なものだった。しかし、その時点で安哲秀氏の能力に手厳しい評価を下して、彼の出馬自体に反対した一角の反応がより適切だったかは疑問である。これまた、「評論家的」発言としての鋭さは誇りうるかもしれないが、安哲秀の出馬を通じて初めて「朴槿恵大勢論」が一挙に崩れ、終盤に野党単一候補の得票率を48%に押し上げる道が開けた点は無視できないからである。
3.2014年の大混乱に至るまで
・「これが国なのか」
 セウォル号惨事を経験し、あちこちから聞こえてきたのが「これが国なのか」という問いである。セウォル号特別法の制定をめぐる葛藤から、狭い意味の「国」、つまり大統領と政府がみせた言行や態度と、セウォル号以後も相次いで起きた事故と当局の変化なき無能・無責任により、この問いはさらに切実になった。
 これを契機に、国家とは一体何であり、国家主義の弊害が何なのかという、根本的な省察を行うことも必要な積功の一部である。だが、国家あるいは国家主義が諸悪の根源という調子の単純論理へと突き進めば、真実味のある積功ではなく、観念の遊戯に陥る危険性が高い。万事を新自由主義のせいにする「新自由主義節」も同じである。国家主義、新自由主義が具体的にいかなる作用をしており、現時点でそういうものが完全な統一国家の不在とか、自由主義よりもっと古い「封建的」要素8)などといかに結合し、作用しているのかを練磨する必要がある。
 「大韓民国、即セウォル号」という図式も安易な単純化である。もちろん、大韓民国がセウォル号にどんなに似ているかに関する「凄絶な」認識は肝要である。例えば、小説家朴珉奎が私たちの立場を「下りられない船」に乗った共同運命と規定し、セウォル号との類似点を指摘したのは何度も噛みしめるに値する。「日本が36年間運行していた船だったし、私たちが自力で購入した船ではなかった。……戦勝国だった米国は軍政を通じて船のバラスト水を調節し、船の管理を引き受けたのは以前から操舵室と機関室で働いてきた船員らだった。彼らは自発的にバラスト・バルブの片方をあえて開けた。バラスト水を減らせば減らすほど、船に載せられる貨物の量は増加した。積み荷、積み荷、積み荷……私たちはそれを奇跡だと考えた」。そして、「傾いた船で生涯暮してきた人間たちには//この傾きは//安定したものだった。きちんと縛られていないコンテナのように、積み上げられた既得権、既得権、既得権の角度もまた、この傾きと角を同じくしていた。……当然、問題は多かったが、根本的な修理は一度もしなかった。ドバーン、ドバーン、ドバーン……そして、ある日//この船にそっくりな一隻の船が沈没した」9)。
 作家のこうした洞察に共感すればするほど、私たちは二隻の船の相似と相違をより精密に分析する必要があり、この国が元来どういう国で、どういう歴史を展開してきたのか、それなりに少しは良くなったのか、いやこれより良かったのに、ある時期から悪くなってこの破目になったのかなど検討すべきである。そうした認識のために、一応87年以後に限ってこれまでの大転換の試みとしてどういうものがあり、どういう軌跡を描いたのかを検討してみよう。
・1987年以後の転換の試み
 朴珉奎の言葉通り、大韓民国という船が「根本的な修理は一度もしなかった」とはいえ、それなりの大修理をして転換を実現したのは1987年6月抗争を通じてだった。先立つ(1960年)4・19革命が未完で終わり、(1980年)5・18抗争が流血鎮圧されたのに比べ、この時の転換は「87年体制」と呼ばれるほどの持続性をもって定着した。
 とにかく大転換の最も確かな証拠は、大統領直選制が復活した後の最初の選挙で第5共和国の核心人物だった盧泰愚候補が当選し、次の選挙では三党合党を通じて与党系に合流した金泳三候補が選ばれたことも、87年体制が出発進行させた事実なのである。これら大統領の個人的体質やその支持勢力の性向にもかかわらず、両政権ともに87年が達成した大転換の波に乗り、時代が要求する変化を相当部分遂行したのだ。この厳然たる事実を無視して金大中と盧武鉉の「民主政府」だけが民主化を遂行したように語るのは、悪い意味での「陣営の論理」である。さらには、盧泰愚・金泳三で代表される「保守の時代」と、李明博以後に民主党政権10年を否定する線を超えて87年以前に戻そうと努める「反動(=逆行)の時代」を識別する基準を自ら放棄する誤りでもある。
 1998年金大中政権の誕生に至り、87年の民心が要求した大転換により一歩近づいたのは事実である。もちろん、この時期を韓国での新自由主義の出発期とみる見解もある。当時としては、IMF(国際通貨基金)管理を脱することが急務だったし、IMFが要求する各種の措置を受け入れたからである。しかしこれは、金大中政権が受容したIMF側の要求には、官治金融の改革のように、実際に必要な旧自由主義的な改革も含まれていたことを看過する論理である。実は、それでも韓国社会の「封建的」な利権経済を清算するには不十分だったために、新自由主義の横暴がむしろ加重した面もある。また、世界的に新自由主義の主な打撃目標である社会福祉が、韓国でそれなりに拡大したのはこの時期だった。もちろん、最小限の福祉は新自由主義の円滑な作動のためにも必要なものだが、金大中政権の福祉拡大は新自由主義に適応した「最小限」というより、朴正熙時代に始まったいくつかの初歩的な措置以外には、全く何もないような状態で出発した結果とみるのが適切だと思う。
 「進歩的」な社会科学者の論議でよく見落とされるもう一つは、金大中政権が経済危機の克服を南北関係の新たな突破口と連結させたという事実である。これは、李明博政権が2008年経済危機に対応した方式とあまりに対照的だが、金大中政権は東独滅亡後の金泳三政権下で膨らんだ吸収統一の虚夢をしぼませ、2000年南北首脳会談と6・15共同宣言を通じて南北の和解と協力の道を切り開き、公安統治の名分と新自由主義の圧力を減らす方式を選んだのである10)。これにより、87年体制の成立とともに揺らいでいた分断体制は、次の段階への転換を見通せる地点まで達した。
 とはいえ、87年体制を超える大転換へと進めなかったのもまた確かである。元来、分断体制は南北関係のみならず、南北それぞれの内部条件、そして韓半島をめぐる国際関係がかみ合う複雑な構造であるために、これらすべての面で進展が(文字通り、同時である必要はないが)総合的に達成できないと克服段階へ入ることはできない。しかし6・15以後、米国のブッシュ政権の登場によって南北関係に足かせがはめられ、国内でもDJP(金大中―金鍾泌)連合の崩壊など守旧勢力の反発は手強かった。それでも、南北関係は紆余曲折を経ながらも前進し続け、これによって守旧・保守同盟の凝集力が弱体化した面もうかがえた。そうした中、国内ではいわゆる四大部門(企業・金融・労働・公共)の改革が推進されたが、執権勢力がこうした改革をもう少し念入りに仕上げる功力を備えていたならば、87年体制の克服に一層近づいただろう。
 このように順調とは言えない改革の成果と旧時代政治の悪習に染まった執権勢力の腐敗事件などで、民主化勢力の再執権はほぼ不可能なように思われた。だが、87年体制の活力をそれなりに保存して拡大した実績があった上に、時代転換に対する国民の熱望が激しかったので、「参与政府」の誕生が可能であった(もちろん盧武鉉候補の大胆な個人技も一要因だった)。そして、いわゆる三金(金大中・金泳三・金鍾泌)時代を清算し、反則と特権のない社会をつくるという新政権のアジェンダの大部分は金大中政権に比べて抜本的な性格だった。ただ、積功という面ではむしろはるかに不足していたのが露呈し、多くの業績にもかかわらず、2006年地方統一選挙の惨敗が象徴するように、期待された大転換に失敗してしまった。
 87年体制の末期局面はこの時に始まった。もちろん、選挙惨敗の根は大統領自身による与党分裂などですでに植えられ、2005年南北関係の画期的な進展と9・19共同声明を成就させた外交成果から生じたエネルギーは、「大連政」という突拍子もない提議により雲散霧消した。その結果、2007年大統領選挙では、1997年金融危機以来、貧困から抜け出したことがない庶民層と、この間政権以外は失ったものがない既得権勢力との一種の「国民連帯」が形成され、李明博候補が圧勝した。これによって87年体制の末期的混乱は加重されたが、「李明博政権が批判されるべき点は、こうした混乱を初めて起こしたという点ではなく、2008年を『先進化元年』にしようという李明博氏の約束が当初から実現性もなく、時代精神にも合わない発想だったので、実際に87年体制の末期局面を長引かせ、その混乱ぶりを『災い』レベルに拡大させたという点」(『つくり』51頁)である。
 国民はそうした両面を直感していたので、一方で李明博政権後の真の転換を渇望しながらも、他方では積功が足りない野党勢力を信任するよりも、もっと力があると思われ、実際に選挙運動の能力が卓越した与党候補の「時代交代」の約束を好んで「安全な選択」をした。結局、これはもう一度「87年体制の末期局面を長引かせ、その混乱ぶりを『災い』レベルに拡大」させる誤判であり、「目がくらんだ者どもの国家」を持続させた「目がくらんだ」選択だったことが時の流れとともに明白になっていくようだ。
・「欠損国家」の略史
 ここで、87年以前に目を向けよう。これは大韓民国が元来どういう国であり、今はどういう国かという問いを反芻する方法でもある。
 分断体制論によれば、大韓民国は(朝鮮民主主義人民共和国もそうだが)分断されない国々とは異なり、分断体制という中間項の媒介を経てこそ、近代世界の「国家間体制」(interstate system)に参加する変則的な単位である。ここで、欠損国家という用語を使うと、大韓民国を否定する非愛国(ないしは従北)行為だと憤慨する人々がいるが、それは1948年大韓民国の成立当時、ある程度普遍化した認識だった11)。いや、今も大韓民国は憲法第3条の領土条項が守られていない(従って、国際的に公認された国境線に重大な空白がある)欠損状態を経験している(『つくり』、第7章「韓国の民主主義と韓半島の分断体制」144~45頁)。
 欠損国家と不良国家は別個の概念である。欠損家庭が必ずしも不良家庭ではないのと同じ理致である。ただ私が見るに、4・19革命以前の大韓民国は欠損国家であると同時に不良国家だった。単に李承晩大統領が独裁をしていたからではなく、その政権が独裁政権としても無能で支離滅裂な政権だったし、この時期の大韓民国自体が国家歳入の主な部分を米国の援助に依存し、国家の運営も米国の顧問官の現場介入に左右されるのが常だったからである。
 その点で、朴正熙時代に対する私の評価は少し異なる12)。(1961年)5・16は民主憲政を破壊した軍事政変であるのは明らかで、朴正熙は1972年の二度目のクーデターを通じて李承晩よりはるかに残酷な独裁へと突き進んだが、無能で腐敗した自由党政権に対する4・19の断罪を、5・16が継承した面もなくはなかった。実際、4・19以前に朴正熙少将自らが反李承晩クーデターを計画したのも知られている。ともあれ、彼は軍隊復帰の約束を覆しはしたが、1963年に憲政が復元された状態で直接選挙を経て大統領になったし、選挙期間に「アカ攻撃」をしかけたのはむしろ尹?善候補だった。もちろん、第3共和国下でも人権弾圧と容共操作など不良政治が横行したが、維新宣布後とは異なるレベルだったし、経済発展と統治体系の整備などで大韓民国は不良国家というお札をある程度外したのは、この時期ではなかったかと思う。朴正熙時代と朴正熙なりのこうした業績を流し去り、むしろ朴正熙と李承晩を一括りして賛美する傾向は、朴正熙時代のイデオロギーではなかったし、李明博と朴槿恵の時代、長く見てもいわゆるニューライトが台頭した時期に特徴的な現象である。
 大韓民国の画期的な改良は、もちろん6月抗争を通じて実現した。その結果、87年体制というひと際良くなった社会が成立した。だがこの時も、欠損国家の欠損状態に対する「根本的な修理」は行われなかった。このように改良はされたが、相変わらず危うい体制が適時に、新たな転換を達成できずに、李明博・朴槿恵政権下で逆走行を重ねながら、不良国家の姿が際立ちはじめたのが今日の現実である。セウォル号惨事の後、「一体これが国なのか」という問いが広まったのは、国民がこれを実感していることを物語る。この問いへの私の答えを要約すれば3つになるだろう。
 第一、元来別に国らしくもなかった国を国民が血と汗を流してひと際生きるにたる国に作り上げた。
 第二、それが近年再び崩れる面が多くなった。
 第三、それでもさらに崩れる余地がまだ十分にある国だ。
 従って、もはや底を打ったと安堵することもなく、救済不能と絶望することもないのである。
4.「三大危機」再論
 李明博政権1年を経て、金大中元大統領は「民主主義の危機、中産層と庶民経済の危機、南北関係の危機」という三大危機を警告した。これを指し、「保守政権」に対する「進歩」側の党派的批判という視角もあろうが、李明博政権が盧泰愚、金泳三政権のような「保守政権」というより、87年体制の大きな流れに逆らう「反動の時代」へ入っていることを看破したと見るのが正しいようだ。不幸にも、彼の警告は的中した。その上、いわゆる「四大河川再生事業」による前代未聞の国土破壊という第四の危機も重なった。朴槿恵政権になってこうした危機がどれほど改善したか、あるいはさらに加重しているかを冷静に把握することこそ、時代が要求する積功の一部だと思われる。そうした現実診断とともに、私たちの対応策として短期・中期・長期課題を配合することに焦点を当てて考察してみたいと思う。
・民主主義の危機と「陣営論理」
 韓国民主主義の危機は朴槿恵政権2年目になってもっと深化した、というのが多くの人の診断である。公正な法執行と国民の基本権尊重などの民主主義の初歩的な原則すら日ごとに破壊されている。朴槿恵大統領と李明博大統領の中、どちらがより多く過ちを犯しているかを検討しようというのではない。朴槿恵政権は李明博政権5年を通じて自由と民主主義の破壊が進んだ結果を踏まえて出発したので、前政権より一層容易に反民主的な言行や態度が横行するようになったのだ。
 ここで、そうした言行や態度を一々列挙する必要はないと思う。それよりも、87年体制が達成した不十分な民主主義でさえあちこちで反転する現実にもかかわらず、どうして「民主対反民主」という構図が韓国政治で作動できないのかを考察してみる。この構図が力を失ってから長い年月が経ち、むしろ野党には「毒薬」になっているという診断が出ている。「民主党が数十年間信奉している『民主対反民主』という信念なり、スローガンは民主党に『毒薬』になっている。こういう二分法の構図で民主側に属した人も、民主党を支持すれば『民主』、反対側を支持すれば『反民主』という図式は時代錯誤という程度を超え、もう“ウンザリ”していると思う」13)。
 康俊晩教授自身も、この対立構図を全面否定するわけではない。この構図が通じる場合でさえ、民主党支持が即「民主」という発想は清算すべきであり、この自己満足的な発想から全く「不作法な軽挙妄動」が生じ、選挙での相次ぐ敗北を自分で招いたというのだ。これは、野党の執権戦略の致命的な弱点を指摘した言葉である。ただ、礼節や「作法」の問題で接近して解決策が生じるかは疑問である。康教授も指摘するように、不作法な軽挙妄動の相当部分は誤った構図から派生するが、それがどのように、どれほど誤った構図であり、どういう対案が可能なのか、より精密に検討する必要がある。
 「民主対反民主」という構図がむしろ選挙の敗北をもたらすなら、少なくとも短期的には誤って設定された構図であるのは明らかである。しかしこれは、与党人士がよく主張するように、私たちはもう民主化を達成したので今後はひたすら「民生」に取りくむことが残ったためではなく、「民主対反民主」の内容が「独裁打倒対独裁維持」から「民主化の新たな進展対民主主義の退行」へ代わったためである。従って、「民主」に該当する勢力も、過去の反独裁運動家や反独裁闘争の伝統の継承者を自任する野党と同一視できないし、「民主」の方法もはるかに多様かつ柔軟であり、「作法」が必要になった。「民主」のそうした再定義と再編(および拡張)がないと、「政争対民生」という欺瞞的な枠組でいつも敗退するはずだ。
 「民主対反民主」という構図への反応が良くないもう一つの理由は、国民が「黒白二分法」または「陣営の論理」に食傷しているためである。まさにこの理由で、反民主的な言行や態度を糾弾する政治家より、何の積功も転換の意志もないのに「社会大統合」、「100%国民統合」などを豪語する政治家が優勢になりやすい。2007年の李明博候補がそうだったし、2012年の朴槿恵候補がそうだった。今後も民主勢力が「反民主」の問題を別の形で提起する方案を見つけない限り、そういうウソの公約で当選して社会分裂を深化させる現象が持続するだろう。こういう場合こそ、短期・中期・長期の課題を正確に識別し、賢く配合することが切実な事例である。
 まず、「100%国民統合」は虚像であるだけでなく、危険な発想である。極めて長期的なビジョンとしては、(大韓民国や韓民族ではない)人類社会の調和ある生、そういう意味で100%ではないが、かなり高いレベルの統合を夢見ることができる。これは色々な条件を勘案した総合的かつ遠大な設計を要するが、政治家も自分なりの遠大な夢をもち、韓国社会の一定の社会統合を提唱することはできる。だが現存の87年体制、特にその末期局面で、それを当面実行する道はないという事実を直視すべきである。韓国社会の統合は、新たな大転換を伴う中期的課題として設定することだけが正直かつ現実的な道である。『つくり』で、社会統合を私たち社会の切実な懸案として提起しながらも、本格的統合はすぐに実現すべき課題というより、「2013年体制の宿題」として残らざるをえないと述べたのもそういう意味である(73~75頁)。しかし、そう言うと社会統合に反対して権力奪取に汲々とする「ケンカ好き」とみなされる困難に直面する。いわば、一種の陣営対決で勝ってこそ統合の宿題を解くことができるが、その闘いは「陣営の論理」どっぷりであってはならず、推進者が「選挙で闘って勝つことだけ考える集団ではなく、統合をうまく達成できる勢力であることをあらかじめ示せなければならないのだ」14)。
 実際、わが社会の「陣営」問題は本当にきちんと検討すべき問題である。今日、陣営の論理が批判されるべき理由は、わが社会に陣営というものがないからだと信じるなら、それこそひどい錯覚である。欠損国家かつ分断体制の一環である韓国社会は「正常な」社会に見られる「保守対進歩」の対立構図が成立する以前の状態にあり、分断体制の守旧的な既得権勢力が相当数の本当の保守主義者まで包摂し、頑強な城砦を構築している特異な現実である。その政治的な集結体であるセヌリ党は、現職大統領と国会議員の過半数など選出職はもちろん、官僚と軍部、検察と裁判所などの非選出の権力機構と経済界、言論界、宗教界、法曹界、学界など社会の有利な高地を大部分占有している。ここで看過すべきではない点は、彼らが単に国内勢力だけではないという事実である。世界資本と直接連携する大企業は言うまでもなく、さらに学界のように客観的な真理の探究を標榜する領域でも、米国の主流学界と彼らが伝播する各種イデオロギーの影響力は圧倒的である。これは研究費や出世の機会にしがみつく学者の良心を売る(決して珍しくない)言行や態度とも異なる問題として、こうした現実への分析と対応も時代が要求する積功・転換の重要部分である。
 ここで、「極右勢力」の問題をしばらく考えてみる必要がある。守旧・保守同盟は、守旧勢力が真性保守主義者まで包摂した巨大なカルテルだという場合、「守旧」は理念上の「極右」と区別されねばならない。大多数の守旧勢力は理念を超越して自らの既得権を守るのに没頭する人であり、極右理念の信奉者は少数だと思わねばならないのだ。ただ、分断が固着化する過程で深刻な理念対立が極右分子に対する既得権層の依存度を高め、87年体制の末期局面に至って守旧勢力が「アカ攻撃」以外は既得権守護の名分が希薄化する状況で、極右にとって「商売になる」時期が再来したのだ。こうした理念的極右以外に、生計型または出世志向型の極右まで猛威を振るうようになった15)。
 では、これに対応する陣営をどこに求めるのか。何よりも肝要なのは、守旧・極右・保守同盟という巨大陣営に対し、1対1の「陣営対立」を構成するほどの陣営がないという点を認識することだ。その強大な城砦に亀裂でも生じるかと、国民が準備した陣地がいくつか点在する程度である。そういう状況で、陣地さえない大衆が広場やSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)に集まり、時おり喚声を上げ、時には個人や社会団体を通じて声を上げている。それでも、野党がまるで自分らも一陣営をもつように組分けし始めると国民は眉をひそめがちで、「陣営の論理を脱して国民統合を達成しよう」という既得権陣営のもっともらしいスローガンに切り崩されるはずだ。もっと悪く見ると。それでも陣地を保有する立場に安住して闘いを避けるとか、いい加減に闘って国民への背信行為をする。「民主党も既得権化した」という言葉が広がるのもそのためであり、新政治民主連合の立場でこうした批判を相殺しうる最大の武器が「民主対反民主」の構図なのだ。ただ野党の「既得権化」をさし、彼らが城砦内で守旧勢力と共同支配していると見るのもまた錯覚である。どこまでも城砦周辺の副次的な既得権集団であり、そうした集団たる些細な既得権をとても大事にする困った人があまりにも多いのだ。
 第1野党ならずとも闘いをきちんとできず――時おり争ってはならない時と場所を選んで争いを仕掛け――むしろ守旧勢力を助ける事例が多い。大企業や公企業労組が零細自営業者や非正規職の生活に無関心なまま、自らの既得権を守る争い(と談合)に熱中するとか、過激な単純論理で武装した一部の「進歩政党」または「進歩論客」が国民から嫌われ、守旧・保守陣営の支配をむしろ手助けするケースがその例だろう16)。ただこの場合も、巨大な陣営を備えた正統な守旧勢力と彼らを同一視すべきではない。彼らがどうして結果的に守旧的な作用をするのか、精巧な分析と適切な対応が要求されるが、この時守旧・保守同盟以外には陣営といえるものがなくなった分断韓国特有の現実に対する科学的な認識が要求される。過激かつ偏狭な進歩派が、逆に保守ヘゲモニーの延長を手助けする事態は、もちろんどこの国にもある。だが、韓半島では共産主義と反共主義をそれぞれ標榜する南北の支配勢力が対決する中、内部の支配力を互いに強化する奇妙な共生関係が作用しており、南では進歩主義が北に対する態度を中心にして分裂し、各自が単純論理に突き進む傾向が発生した。つまり、一方で北の政権も分断体制の一翼という認識が欠けたまま、彼らが標榜する自主統一路線を進歩の最高尺度とみる「民族解放」の論理があるかと思えば、他方で北の現実が同じ分断体制内に生きる私たちにも他人事ではないという認識なしに、その反民主・反民衆的な面を強調して、分断なき先進国の「左派的」アジェンダに没頭する単純論理がはやる。そして双方が、「意図とは異なって」分断体制の既得権勢力を強固にする「守旧的」効果を発揮する。だがこうした洞察は、巨大野党と群小野党、進歩運動などの様々な“自殺ゴール”をのんびり楽しんで、その時々に誘導もする真の保守陣営の存在に対する認識を曇らせてはならない。南の現実把握で世界的な視角とともに韓半島的な視角が重要な理由でもある。
 この闘いで、短期的課題と中期的課題を混同してはならない例として、最近急に話題になった改憲問題を挙げうる。87年憲法を時代の要求にあわせて改定することは、87年体制を克服する重要部分であるのは言うまでもない。だが、これは最低限、2016年総選挙を通じて「87年体制以後」への転換に対する国民的な意志が確認された時に実現可能な課題であり、現状況でただ「帝王的大統領制」を牽制するとの名分で、87年体制で最大の既得権集団の一つである国会議員同士で推進する改憲ならば、既得権者の談合以上にはなりがたい。現行の憲法下でも可能で、憲法を改定すべき時に必ず伴うべき選挙制度の改革を避けたまま、二元執政制または内閣制に改憲をしようという発想がまさしくそうだ。それよりは、勝者独占制の緩和と大統領の任意的人事権の行使の牽制、国会改革、地方分権の強化などすぐにも可能な成果を出すように最善を尽くすべきであり、そうしてより民主的な権力構造に向けた様々な方案を公論化し、2016年総選挙後にきちんと憲法を改定するという中期的目標を立てるのが正道だろう17)。反面、中期的課題としての改憲を今論議することまで大統領が妨害するのも、「帝王的」(または「帝王志望的」)しぐさをまたも示したに外ならない。
 要約すれば、「より良い代議政治」を通じて民主主義を増進して社会統合を追求する作業が中期的目標となり、この間に進行した民主主義の逆転を阻止し、新たな反転を生み出す機会をとらえるのが短期的目標になるはずである。効率的な闘いのために、短期・中期目標の識別と適切な配合が必要であると強調したが、つけ加える点は長期的目標を正しく設定し、これを中期・短期の課題と結合することも、これに劣らず重要である。例えば、理想的な代議民主制が最終的な目標なのか、それよりもっと抜本的な「民の自治」、つまりグローバル次元での全面的な住民自治を志向するのか、熟考すべきだろう。
 これは、切迫した戦場に公然と遠大な話を引き入れる暇なお遊びと映るかもしれない。だが、何を最高の志向点とするかにより、短期的に展開される様々な努力に対する評価も異なってくる。例えば、地方自治の実質化のための各種の草の根運動は、「民の自治」が理想的な代議民主主義の補完財というよりも、人類が共有すべき夢だと思うとさらに力を得るはずだ。密陽の送電塔反対運動や済州島のカンジョン村の住民運動も、国家権力への一部住民の過剰な反発とは全く異なる意味を帯びるようになる。ただ、なぜ「理想的な代議政治」より「民の自治」がもっと望ましいのか、望ましいにしてもいかにして可能なのか、その可能性を切り開く世界体制レベルでどういう変化が進行中なのか、などに対する篤実な練磨に支えられねばならない。そうした場合、「住民参加の相対的な拡大」と「より良い代議政治の具現」という中期的目標との一層着実な結合も可能になるだろう18)。
・民生の危機と「民生フレイム」
 朴槿恵候補が当初から政治的民主主義には特に関心がなかったのに比べて、民生危機の解決と「経済民主化」は彼女の核心的な選挙公約だった。それだけ、金大中元大統領が警告した「中産層と庶民経済の危機」が李明博時代に深刻になったという証であろう。だが就任後、彼女の相次ぐ公約破棄のせいもあるが、とにかく庶民経済が良くなった兆候はなく、李明博式の「大企業フレンドリー」政策への転換にも拘わらず、今は輸出の展望を含めた韓国経済の全体的危機を心配する声さえ聞かれるようになった。この場合も、確かに朴槿恵個人が李明博よりもっと反民生的だというよりも、転換すべき時期に転換できなければ、現状維持ではなく事態を悪化させるという教訓に当たるだろう。
 経済や福祉政策の門外漢である私としては、その問題を詳細に論ずる考えはない。それよりは本稿の論旨通り、民生の危機が他の危機と有機的に連関することを認識し、長・中・短期の目標を配合して韓半島と東アジア地域、そして地球全体を同時に考える姿勢の重要さを強調するのに重きを置きたいと思う。
 朴槿恵政権の経済民主化の放棄が、民主主義全般に対する軽視や逆行と密接に関連するのはあらためて説明する必要もない。民意の民主的手続きを尊重する政府ならば、このように公然かつ一方的に経済政策を変えながら、「信じようと信じまいと」式の言い訳では乗り越えられなかっただろう19)。民生の悪化は南北関係の危機とも直結するが、南北の経済協力とユーラシア大陸への進出という韓国経済に固有の可能性が対北強硬路線(ないし管理能力の不在)に相変わらず妨げられ、(2010年)5・24措置という自害行為の影響が持続している。
 同時に、韓国経済の現況は韓半島だけでなく東アジア地域、さらに世界経済とも直結している。世界経済の波及効果は、政府当局も庶民経済の危機の責任を転嫁するとか、大企業中心の政策を弁護する論理としてよく話題にされる。もちろん、全く根拠のない話ではない。その点も無視したままで万事を政府の責任に転嫁するとか、経済は除いて民主主義ばかり叫ぶと、「民生に顔をそむけた政争」という逆攻勢にあうのがオチだ。従って短期的には、庶民生活の難しさのどこまでが世界的不況のせいなのか、どこまでが例えば中国の成長の鈍化(または技術競争力の強化)のせいで、どこからはそうした世界的・地域的条件下でも政府と企業、その他の経済主体がうまく打開しうることもやらないせいなのか、精密に分析すべきである。さらに、その打開のための中期的戦略をたてながら、長期的にはどういう経済生活、どういうグローバル経済を志向するのかを合わせて練磨する必要がある。これに関連して、私は韓国人の立場で経済成長自体を否定するより、「現存世界体制に対する適応と克服の『二重課題』の遂行が要求する程の適度な成長、そうした意味で攻撃的であるより防御的な成長へとパラダイムを変えるべき」20)だと主張したことがあるが、専門性を備えた方々による真摯な討論を望む。なお、成長のために全力投球しても不十分なのに、初めから「適度な成長」をめざして何ができるのかという反論ならば、ひたすら全力投球するのは長期的に虚妄な戦略であるばかりか、中・短期的に賢明な選択をするのにも不利な点を想起させたいと思う。
 物質的不平等の問題に関連しても、抜本的かつ複合的な視角が要求される。韓国での貧富格差の拡大は、短期的に高い自殺率と失業率など深刻な民生問題を生むだけではなく、内需経済の鈍化など経済成長にも逆効果を生み、各種の社会費用を増大させる実情である。だが、これは韓国だけでなく日本や中国のように割合経済的な成功を収めた地域国家や、相変わらず世界経済の中心である米国でも広がる現象なので、中期的に韓国が国内政策のみならず国際舞台でも新自由主義の大勢に順応する道を選ぶのか否か、深刻に悩まざるを得ない。さらに、資本主義世界体制は一体格差拡大を防ぎうる体制なのか、少なくとも一定程度以上の貧富格差があってこそ作動する体制が、自己崩壊を避けうる線で貧富格差を括りうる能力を保有しているのか21)、万一保有しないなら、私たちはどういう対案社会を志向し、設計するのかなどの長期的課題に突き当たる。
 長期的に見て、均等社会が理想だと語るのはたやすい。だが、完全な平等が実現される社会が果たして可能か、可能だとしても満足しうる文明社会になるのかなどは簡単に答えうる質問ではない。私は、物質的平等こそ完全な民主主義と人間個々人の自己発展に必須だが、同時に「民衆が自ら治める対案的秩序ないし『体系』に対する経綸」22)が作られないと平等のための闘いは成功しがたいと力説したことがある。ここでは、こうした長期の展望と経綸を備えることが中・短期的な課題の遂行にも助けになることを強調したいと思う。遠大なる長期的課題へと進む道の遠く、複雑なことを認識すればするほど、中・短期の闘いでより賢くなることができる。性急に「無条件平等」を叫ぶとか、一国レベルの平等社会の実現を掲げる場合、当面食べて暮らすことに追われる大衆から嫌われ、既得権陣営の「民生フレイム」をむしろ強化させるからである。
・南北関係と自主、平和、統一
 李明博政権が造成した危機を朴槿恵政権が改善できるか、もう少し見守るべき分野が南北関係である。これまでレトリックの豊富さに比べて達成したものは特にない。だが、金大中政権と盧武鉉政権が相対的にうまくやった分野でほぼ急転直下の後退を示し、5・24措置という超憲法的な措置で盧泰愚政権以来20余年の流れを覆したまま、残りの任期2年半を無為に過ごしたのが李明博大統領である。従って後任者は、戦争でも始めない限り、悪化させる余地も多くはなく、これ以上の悪化は周辺の強大国も心配させるに至った。多少の改善がそう難しくはない局面である。
 それでもまだ進展がないのを政府や与党は北側の責任に転嫁しており、また南北関係が悪化すればするほど北側の責任論が世論に受け入れやすくなるのが現実でもある。南で反民主的な政治が威勢を張りながら、唯一南北関係だけが画期的な進展をみせることはないというのが分断体制論の長年の主張である23)。従って、朴槿恵政権が南北関係の画期的な進展どころか、きちんと復元でもしてくれると期待するのは控える方がいい。ただ、北朝鮮叩きで世論の支持率を高める方式もあまり関心を引かず、何よりも南北の経済協力なしには韓国資本主義の未来が暗澹たるという認識が既得権勢力内でも広がっただけに、多少の改善は依然可能かもしれない。
 この場合、国内民主主義とは別途に――民主主義と決して無関係ではないが――もう一つの問題がある。南北問題を国家間の関係として扱おうと、統一を前提にした特殊な関係として接近しようと、問題を自主的に解こうという意志と能力が必要だが、この面で朴槿恵政権は李明博政権よりもっと情けない選択をした。盧武鉉政権が米国と2012年で合意した戦時作戦権の回収を李明博政権は一度延期したが、朴槿恵政権はこれをほぼ無期限に延期する新たな決定を下した。これをさして、公約破棄という非難があるのは当然だが、公約破棄の次元に局限すべき問題では決してない。良かれ悪しかれ、国家がある限りは主権があるべきで、国家の主権には有事の際に自国の軍隊の動きを統制しうる権限が核心的なものだ。そうした軍事主権の回復が予定されていたのを、国会や国民の同意もなく一方的に覆したのは、朝鮮戦争の渦中で李承晩大統領が作戦統制権を丸ごと米国に譲ったことよりもっと深刻な主権の譲渡行為だと言わざるをえない24)。今や韓国は南北間の交渉テーブルや六者会談に臨むのも完全な当局者としての行為が困難になり、より大きな問題は、完全な行為者になる意志さえない軍部に対して文民政治が統制権を発揮できない現実である。
 わが社会で自主性の問題がこれほど深刻なのに、それに対する真摯な論議がとても足りない実情も分断体制と無関係ではない。周知のように、「自主」は北側体制の最大の「自慢の種」であり、「わが民族同士で自主統一」を当面の実行目標に掲げる一部の統一運動勢力の主な関心事でもある。だが、韓半島の分断が外部勢力によって強要されたため分断体制は本質上非自主的な体制である以上、一方は自主のシンボルだが、他方は民族解放を待つ植民地と見るのは、分断体制の複雑さを看過した論理である。朝鮮民主主義人民共和国の場合、軍統帥権を自国の指導者が保有するのはもちろん、外国軍の駐屯もなく外交・軍事政策に対する他国の干渉が通じない点で「自主路線」を誇るだけはある。しかし、自主性の概念を広くとらえ、「個人であれ集団であれ、本当に自ら必要で自らが望むものを他人の干渉なしに成就できる状態が自主だとすれば、朝鮮民主主義人民共和国とその住民こそ、今日(誰かの誤りのためであれ)極めて深刻な自主性の制約を受けていると見るべきである」25)。また、「自主統一」は(1972年)7・4共同声明と6・15共同宣言の第1項で重ねて言明された原則だが、これはどこまでも外部勢力に依存した統一はしないという原則的宣言であり、具体的な統一方案の合意は6・15共同宣言の第2項にある。それでも、宣言的条項を具体的方案であるように振り回すのは、漸進的・段階的な「韓半島式の統一」を推進する意志や経綸の不足と言わざるをえない。そうしてきた結果、自主性自体を「親北的」アジェンダとみる情緒さえ生まれた。とはいえ、南北関係の発展と平和、統一を論じる場合、省略できない主題として蘇らせるべきアジェンダが自主性である。
 実は、統一問題自体が近年の選挙では特別な争点になりえなかった。これは平和統一を念願する勢力が、それを国民の生活問題と密着した懸案として提示できなかったせいもあるが26)、私は、選挙でどのように有権者を説得するかという問題とは別個に、分断体制の克服という中期的目標を正確に設定することの重要性を強調したい。そうした時に、国民は統一に無関心なので「統一」より「平和」で勝負をかけようという、選挙戦略としても「逃げのピッチング」に該当する、理論的にもお粗末な主張の誘惑から免れることができるだろう27)。
 しかし長期的には、やはり統一よりも平和である。単なる戦争不在ではなく、人類が等しく和合し、楽に暮らす状態としての平和であり、その時は国家も今私たちが知る形ではなくなるはずだが、「国家の自主性」も中期・短期的な目標以上にはなりにくいだろう。とはいえ、そこに行く前に韓半島の住民と韓民族は分断体制の克服という中期的課題をまず遂行すべきである28)。このため、すぐに可能な南北関係の改善作業と自主・平和統一過程の進展を図り、長・中・短期課題の適切な配合を達成すべきはもちろんである。『つくり』で「包容政策2.0」を提議するなど、この問題を比較的詳しく論じたので本稿では省略する。

筆者注
※文中の「チャンビ」は季刊「創作と批評」
1)本稿は、第96回細橋フォーラム(2014年9月19日、細橋研究所)で発題した内容を大幅に修正・補完したものである。フォーラムには姜元澤ソウル大学政治学科教授と朴聖珉MINコンサルティング代表が約定討論者として参加し、細橋研究所の会員以外にも金錬鉄、青柳純一、李基政、李泰鎬、鄭鉉栢など様々な方々が参席して討論に加わった。当日参加された方々に感謝する。「2013年体制」企画を集中的に提示した拙著として『2013年体制つくり』(チャンビ、2012年。以下、『つくり』)があるが、それ以外にも様々な発言を通じて主張し、「希望2013、勝利2012円卓会議」(2011年7月~2012年12月)という市民社会各界人士の集まりの名称の一部にも反映された。
2)詩人陳恩英は、セウォル号惨事後の選挙で、「手伝ってください」「助けてください」という与党の訴えがかなり有効だったのに対し、「あらゆる力関係を施恵の関係で表象するような言説が乱舞する瞬間、私たちは施す支配者、弱者が可愛くて涙を流す人情厚い権力者を受け入れるのが最善の選択だと考えるようになる。……もちろん立場の逆転は可能である。私たちは有権者として選挙期間中は優勢でありうる。でも、やっと与えられた優勢さは合理的な選択の場ではなく、施しを受けた者の反対表象、つまり施す場となる」と述べ、「神聖な選挙に政治的意味をもたせうる唯一の道は、選挙にのみ収斂されない政治的活動を活性化することだけだ。私たちは善良さの枠外に出て他の活動の喜びを感じうる可能性を思惟すべきである」と力説する(陳恩英「私たちの念願は正午の影のように短く、私たちの羞恥心は夜中の12時のように長い」『文学トンネ』2014年秋号、420頁、423頁)。
3)この点で、「悲劇はまた別の悲劇の始まりにすぎず」(李大根コラム「私たちはどこまで崩れうるのか」『京郷新聞』2014.9.4.)という断言は、積功と転換の可能性を事前に遮断する速断でありうる、と私は思う。
4)黄貞殷「辛うじて人間」『文学トンネ』2014年秋号、447頁。
5)朴槿恵候補の当選直後も、新政権への期待は少なくなかった。『創作と批評』2013年春号の座談会「2012年と2013年」の出席者(金龍亀、白楽晴、李相敦、李日栄)の間でも期待する雰囲気が歴々だった。私自身は朴候補に反対した者として、就任以前に否定的な予断をするのは理に合わないと判断し、政権の展望に1~2点の留保的コメントに止めたが(37~38頁)、顧みると、当時の憂慮が大部分現実化した感じである。
6)87年体制に関しては、金鍾曄編『87年体制論:民主化後の韓国社会の認識と新たな展望』(チャンビ談論叢書2、チャンビ、2009年)を参照。
7)拙著『どこが中道で、どうして変革か』(チャンビ、2009年)の第7章「変革と中道を再考する」178頁。
8)例えば、朴昌起『革新せよ、韓国経済:利権共和国大韓民国の経済改革プラン』(チャンビ、2012年)の第12章「財閥封建体制論」を参照。
9)朴珉奎「目がくらんだ者どもの国家」『文学トンネ』2014年秋号、438~439頁。
10)1997年と2000年の関係、そして金大中政権と李明博政権の経済危機への対応方式の違いに関しては、『どこが中道で、どうして変革か』の第13章「2009年分断現実の一省察」278~279頁を参照。
11)1948年政府樹立(「建国」とは言わなかった!)の記念行事を主管した「国民祝賀準備委員会」の懸賞募集で、1等なしの2等に選定された標語が「今日は政府樹立、明日は南北統一」だった。洪錫律「大韓民国60年の内と外、そしてアイデンティティ」『創作と批評』2008年春号、53頁(国史編纂委員会刊『資料 大韓民国史』第7巻、1974年、811~39頁を根拠として提示)。
12)これに関し、拙稿「朴正熙時代をどう考えるか」『韓半島式統一、現在進行形』、チャンビ、2006年:および白楽晴・安秉直の対談「韓半島の未来に対する国民統合的な認識は可能か」『時代精神』2010年春号、298~301頁の李承晩と朴正熙に対する比較を参照。
13)康俊晩『不作法な進歩:進歩の最終執権戦略』人物と思想社、2014年、200頁。
14)拙稿「社会統合、不可能なことではない」『チャンビ週刊論評』2013年12月27日(http://weekly.chanbi.com/?p=1609&cat=5)。
15)もちろん生計型、出世志向型は極左にもいる。今は彼らの世の中ではないだけだ。
16)「進歩、意図とは異なって守旧反動、この事実を知らぬが悲劇」金大鎬社会デザイン研究所長へのインタビュー、オーマイニュース2014.10.6.(http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0002039894)を参照。
17)こうした主張の一例として、金南局「改憲はいつ、何のために必要か」(ハンギョレ、2014年11月3日)を参照。
18)敢えて敷延すれば、「短期」「中期」「長期」は相対的な概念である。例えば、当面に達成できうる課題を「短期」と呼び、人類次元の究極的目標を「長期」と呼べば、その中間のすべてが「中期」に該当するが、私たちが数年の積功で達成できるだけのことを「中期」と限定すれば、それ以上の課題は様々に異なる次元の「長期」課題になる。
19)87年体制は「政治的民主主義」を達成したが、「経済・社会的民主主義」の達成に失敗したという一部進歩派論客の主張は、そうした有機的な連関性を看過して「政争より民生」というフレイムをむしろ強化する面がある。87年体制は政治的基本権の伸長に大きく寄与して経済の民主化と持続的発展にも――87年7~8月労働者大闘争と以後一連の状況展開に見るように――画期的な転換点をつくった。
20)『つくり』77頁。「二重課題」に関しては李南周編『二重課題論:近代適応と近代克服の二重課題』(チャンビ談論叢書1、チャンビ2009年)を参照。
21)これに対する賛否の論議を扱った著作として、Immanuel Wallersteinなどの共著 Does Capitalism Have a Future?(Oxford University Press 2013):および否定的な展望を異なる視角から提示した Wolfgang Streeck,“How Will Capitalism End?” New Left Review 87(2014年5-6月号)を参照。
22)拙稿「D.H.ロレンスの民主主義論」『創作と批評』2011年冬号、408頁。
23)それでも、李明博政権初期に私自身が南北経済協力だけは「実用主義者らしく」うまくやるかもしれないという期待を一時抱いたことについて、自己批判したことがある(「2009年分断現実の一省察」『どこが中道で、どうして変革か』267~68頁)。
24)この点でも、朴槿恵政権は朴正熙時代よりむしろ李承晩時代に似ていく面を示している。朴正熙大統領は、たとえ李承晩が譲渡した軍事主権を取り戻せなかったが、その意志は強く、随時公言してもいた。こうした対照については、金鍾求コラム「恥ずかしさを知らない『朴正熙キッズ』の軍首脳部」(ハンギョレ2014年11月4日)が痛烈である。
25)拙稿「分断体制の認識のために」『分断体制変革の勉強の道』、創作と批評社、1994年、19頁。
26)細橋フォーラムで、金錬鉄仁済大学教授と権台仙ハフィントンポスト・コリア代表がともにこの点を指摘した。特に金教授は、兵役年齢人口が急減し、いわゆる「関心兵士」が兵士の大多数を占める展望が優勢な韓国の現実で、募兵制への転換が若者とその父母を同時に動かしうるアジェンダだと説明し、私も概ね共感したが、このように開発しうるアジェンダがもっとあると思う。
27)もちろん、原論的には平和が統一より普遍性が高い概念である。しかし、分断された韓半島で平和を実際に具現しようとする場合、「統一」を絶対視して平和を危険に落とし入れてもダメだが、分断体制克服という課題を避けて平和にのみ没頭しても平和は実現しない。これに関しては、拙稿「韓半島に『一流社会』をつくるために」、『創作と批評』2002年冬号(拙著『韓半島式統一、現在進行形』、チャンビ、2006年、第10章)。徐東晩「6・15時代の韓半島発展構想」『創作と批評』2006年春号、219~22頁:柳在建「歴史的実験としての6・15時代」、同書288頁、および同「南の『平和国家』つくりは可能な議題か」(『チャンビ週刊論評』2006年8月22日)など参照。
28)注18)で述べたように、「中期」は相対的概念である。世界体制の変革より先立つという意味で「中期」としたが、87年体制からの転換を達成して国家連合――中でも現実性がある「低い段階の連合」――へ進む作業を「中期」と設定すれば、分断体制の克服はそこからさらに進まねばならないという意味で、より長期的な目標にならざるをえない。
大いなる積功、大転換のために ――2013年体制論以後 (後編)   白楽晴

5.「より基本的なこと」
・常識、教養、良心、廉恥……そして教育
 「『2013年体制』を準備しよう」でも、私は政治や経済問題よりも「より基本的なこと」に注目した。
 さて、2013年体制の設計には南北連合とか、福祉国家とか、東アジア共同体という壮大なビジョンよりも、はるかに基本的で、ともすれば初歩的ともいえる問題を含めるべきである。人間の社会生活で基本になるものを蘇らせる時代にしなければならないのである。例えば、大統領をはじめとする高位公職者や指導的な政治家はとんでもない嘘をついてはならないということ。もちろん、政治家すべてが聖人君子になれとか、国政の運営を完全に公開しろという話ではない。ただあまりにも頻繁に、あまりにも見えすいた嘘をつくとか、あまりにも簡単に言葉を変えては困るのだ。それでは社会がまともに動かないし、正常な言語生活さえ脅かされる。(同27頁、拙訳『韓国民主化2.0』、岩波書店、2012年、173~74頁)
 大きく見れば、これらすべてが常識と教養および人間的羞恥の回復という問題に立ち戻る。(同31頁、同書177頁)
 朴槿恵候補の当選には、彼女が少なくともこうした基本、つまり個人的正直さと教養をある程度備えた候補というイメージが大きく寄与した。だが、大統領になった後は国民との約束を覆して前言訂正を繰り返す事態が相次ぎ、「ウソをつかない政治家」というイメージが「ウソに明け暮れる商売人」のイメージ以上に、国民をだますのにより効果的だった面もある。その上、よくウソをついて国民を愚弄する高位公職者を側近にしてかばうので、力のある者はそれでもいいという雰囲気を社会全般に拡散させた。この問題は政界だけでは解決できない性質なのは明らかだが29)、大統領がいかなる言行や態度を示し、その治下でいかなる人々が勢力を張るかが莫大な影響を及ぼす点を実感せざるを得ない。セウォル号の遺族を無慈悲に侮辱し、嘲弄する政界内外の多くの言行や態度が実証するように、最近ほど破廉恥な人間が自らの破廉恥ぶりを誇示する時期はなかったと思う。もちろん、独裁時代には非常に強力な物理的打撃と弾圧が横行したが、それでも大多数の人の心の中にはそれは過ちだという情緒があったと記憶する。
 そうだとして、次の大統領選挙をうまくこなすことに今から没頭する政治中毒症、選挙中毒症は、こうした社会風潮を育てる要因になるだけだ。陳恩英が語る「選挙のみに収斂されない政治的活動」の日常化を含め、より根本的かつ多角的な対応を練磨すべきである。この場合、直接的に大きな影響を及ぼす分野として言論や市民運動が考えられるが、長期で見れば、教育と文化芸術を通じて社会の体質を変えることが重要だと思う。
 その中でも、学校教育は国家の莫大な財政が投入される分野で、中学校までは義務教育なので、国家の将来を設計する点において包括的かつ精巧な教育構想が必須である。優れた人材の輩出を最終的に左右するのは優れた大学の存在が決定的だが、「基本的なこと」を考える場なだけに初等・中等教育を中心に考えてみたいと思う。
 この間、与野党ともこれと言うべきビジョンを提出したことがないのが教育分野なので、学校教育正常化の画期的方案が提出される場合、選挙勝利の重大な変数になるかもしれないという期待を2013年体制論でも表明した(『つくり』84~85頁)。もちろん2012年選挙では、どの候補もそうした方案を提出しなかったし、教育が重要な争点にもならなかった。だが、2014年統一地方選挙でいわゆる進歩派教育長が大挙当選したので、今後新たな局面が展開される兆しがある。教育領域では有権者が政界の与野対立とは異なるレベルで接近するという事実が確認されたし、教育こそ草の根の民生問題に当たるという認識が共有されるに至った。また、今後3年余にわたる教育長の実験と業績は教育議題の整理と具体化にまたとない貴重な資料になるだろう。例えば、2008年ロウソクデモを触発した女子生徒の「どうかもう少し食べさせて、もう少し寝かせて」という絶叫が一部の教育庁で反響を呼び始めたが、自分の子がご飯を減らし、睡眠を減らしてでも競争に勝つ姿を見たいという父母をどれだけ説得できるのか、様子を見たい(登校時間の繰り下げの賛否をこのように整理できるわけはなく、教育現場において学生の福祉と多数の父母が代表する現行の教育イデオロギーの間に矛盾が存在するという意味)。ともあれ、各地の教育長と教育庁レベルで可能なこと、よき中央政府とよき教育省トップに可能なこと、そして全社会が力を合わせて長期的に追求すべきことを識別し、一層緻密に追求する作業が可能になった局面である。2017年大統領選挙でこそ、「教育を握る者が大統領を握る」という命題が成立するかもしれない30)。
 教育現場の細部の点検と議題を具体化する作業は経験と識見を備えた人々に任せ、私は議題設定において短期・中期・長期の課題の正確な識別と適切な配合が必要なことを再度強調したいと思う。例えば、全教組(全国教員組合)と一部の進歩的な教育運動団体が提示する「平等教育」の理念も、異なる時間の幅に合わせて検証する必要がある。まずその短期的意義は、しだいに既得権層中心の競争へと引き寄せられる教育現実に反対する名分なのだが、その効果は必ずしも有利な点ばかりではない。理念偏重のわがままという反駁に直面しやすいからだ(実際、先日の教育長選挙で全教組出身の候補者でさえ「平等教育」の代わりに「革新教育」を標榜した)。中期的には、例えばフィンランドのように、韓国よりはるかに平等ながらも学習達成度が高い教育体制を導入しようという主張がありうるし、これは十分に説得力ある主張である。ただ、フィンランドと大きく異なる韓国の現実に合わせて設計された方案を提出する宿題が残される。
 「より基本的なこと」と教育の緊密な関連は、「人性教育」の重要性が最近またぐっと強調される点にもうかがえる。人性教育を口実にして民主市民教育を弱体化させようとする与党一角の動きは、彼らが考える人性の水準を推測させるだけだが、真の人間性の問題が道徳科目の授業や教師による訓話で解決されないのは自明である。そうだとして、人文学者がすぐ強調する人文学の読書も充分な答ではないようだ。伝統的に人格完成の過程で人文学古典の読書を最も重視したのが儒教だが、儒教でも礼と楽をより基本だと考え、古典学習の出発となった『小学』を通じて振舞いを正すのに焦点を当てた。私が思うに、現代の初・中等教育では幼い頃は学校に来て、健康で楽しく飛び跳ねる経験が基礎を成し、ここに学生各自の素質と好みに適う芸術教育、適当な分量の労作教育が加味されるべきだろう。そして、学年が上がるにつれて少しずつ増えていく知識教育が合わさり、現在のように試験の点数を高める固定化した知識の習得よりも、人文的読書が一層大きな比重をもつのが正しい。
 これだけでも、わが社会は大いなる転換を達成し、「基本」を備えた人間の生きる場になるだろう。だが、短期的に可能なことではない。特に、欠損国家を補正する分断体制の克服作業を伴わずに、南でのみ転換が達成できると信ずるなら、これまた「後天性分断認識欠乏症候群」31)の典型例になるだろう。また逆に、分断体制の克服過程自体がこうした積功と転換を要求するとも言える。
 少なくとも長期的には、完全な平等社会内の平等教育を目標とするのが進歩主義者の当然の姿勢だと思われる。だが、前述したように、民衆自らが治める完全な民主社会に、果たしていかなる位階秩序が許容または必要とされるかの問題に従い32)、少なくとも教育の場合、何であれ、よく出来る人から学び、よりできない人を教える垂直的関係の介入が不可避である。しかし、このように学んで教える内容には、一切の物質的または身分的な不平等が排除された社会を建設して維持するために必要な知恵の偏差を認知し、尊重する習性が含められるべきではないか。その点、今のような不平等教育は当然克服されるべきだが、平等自体を最善の長期目標と見なすのか、疑問の余地がある。ともあれ、教育議題の設定でも、そうした様々なレベルの検討と省察をすればと思う。
・「カネより命」
 セウォル号事件を経験して多くの人が共鳴したスローガンが「カネより命」である。ここには様々な種類の欲求が込められており、そのどれか一つだけを絶対化してはスローガンの訴える力が損傷されやすい。
 それは一次的に、身体的な生命の安全性こそ、民主や福祉、統一などを言う以前の「基本」に該当するという自覚であり、絶叫である。この基本さえ守れない社会と国家に対する憤怒の表出でもある。これに対し、政府や政治家は我も我もと「安全な社会」を約束しているが、まだ特に実効性は感知されておらず、実は「安全」のみに没頭するのが正しい答でもない。安全事故は減らすことはできても根絶しがたいし、「命」もまたいくら命の保存が基本だとしても、「冒険」を耐え忍んで命らしくなる面があり、時にはより大きな意味で「永遠の命」のために犠牲になりうることもある。
 まさにそのために「無条件に安全」ではなく、「カネより命」である。つまり、無意味な生命の損失を招く、個人および企業の貪欲に対する拒否である。だが、カネに対する人間の欲望をむやみに罪悪視してはならず、セウォル号惨事の責任をすべて「新自由主義」に転嫁するのも「カネより命」への共感をむしろ弱める道である。セウォル号惨事の場合、企業家の貪欲と新自由主義的な規制緩和、金銭万能の風潮に染まった社会の堕落と責任回避が原因になったのは明らかである。しかし、後に公開されたユン一等兵事件など軍隊内での残酷な事件が新自由主義より長年の軍事主義文化の産物であり、セウォル号問題を避ける大統領の態度がまさに前近代的な権威主義を想起させるように、新自由主義は複雑な現象を分析する時に動員すべき様々な概念の道具の一つに過ぎない。
 新自由主義の比重が一層明確な安全問題として、頻発する労働現場における安全事故やストライキ労働者をいわゆる損賠訴仮押留(損害賠償訴訟による財産仮押留)などで圧迫し、自殺事件を引き起こす事態が挙げられよう33)。また、医療民営化による医療費の値上げも貧しい人々の命と安全に対する深刻な脅威である。だが、これらの場合も「新自由主義反対」だけで効果的な闘争が可能なのか再考すべきだ。生命の損失は正規職、非正規職を問わず悲惨であるが、勤労の現実は正規職か否かによってひどく異なり、あらゆる労働問題を企業の貪欲だけに転嫁するとか、非正規職の根絶を叫ぶだけでは国民多数の共感を得がたい。医療問題も現在の診療慣行と医療体系、さらに現代医学の限界に対する省察を省略したまま、すべての国民にその恵みを享受させるのが医療の公共性だと主張するのでは答が出るはずがない。
 安全と関連して特に留意すべき問題は、すぐに目に入る事件や事故以外に、徐々に臨界点に向かって近づき、一度勃発すれば収拾がほぼ不可能な大型惨事になる原発事故に備える問題である。この間、原発当局および関連業界が示した無責任と不正直さ、「命よりカネ」優先の思想と、それによる積弊は事故の蓋然性を着実に高めており、釜山や蔚山など大都市近隣の原発密集区域で一度事故が勃発すれば、日本のフクシマ惨事が色あせる大惨劇が起きる局面である。この原発問題こそ、短期・中期・長期対策の配合を自然と要求する。短期的には韓国水力原子力会社、原子力安全委員会などの透明性と責任性の確保、老朽化した原発の稼働延長の禁止、三陟市のように住民の反対が明確な所への原発建設の阻止などがあり、もう少し長期にはすべての原発の新規建設を放棄し、次第に原子力発電から脱皮すること、そしてより長期的には人類社会が生態親和的な生へと転換する課題が同時に提示されるのである。
 生態親和的な生への大転換に原則的な合意でも得る必要が切実なのは、例えば気候変化によるグローバルな災いは、原発事故よりさらに遠いことのように感じやすいが、一度臨界点を超えると、人間の能力では全くどうしようもないので即座の行動が急がれる。だがそれだけに、気候変化の実像に対して科学的にわかる限りわかりながら、科学的知識が不足したら不足したなりに、その時々に必要な行動をとる知恵の練磨が要求される。あわせて生命の概念自体も変わらねばならない。たとえ人間には人間の命が優先であり、従って「人間中心的」な各種の行為が不可避でありうるが、人もまた地球上のすべての生命体と共同の運命にある面があり、実際、すべての生命体が同胞であり、人間は無生物のお蔭もあって生存するという思想が切実に必要になる。「カネより命」というスローガンは、結局こうした次元の生命思想、生態運動にまで転換してこそ、その完全な意味が活かせる。
 「カネ」の問題も決して単純ではない。カネに対する欲望が、どこまでが財貨に対する生活者の正当な欲求で、どこからが「貪欲」に当たるのか、区別は容易ではない。もちろん、資本の無限蓄積を基本原理にして稼働する社会体制は、「命よりカネ」という逆転した原理を追求する体制であるのは明らかだが34)、資本主義世界体制内にすでに入れられた人々はその原理を無視して生きていくのは難しい。だから、資本主義近代世界に適応するが、克服のために適応し、克服の努力が適応の努力と合致する、例の「二重課題」が肝要なのである。
・性差別の撤廃と陰陽の調和
 先ほど労働現場に蔓延した事故の危険に言及したが、近年最も切迫した身辺の安全問題中の一つは、女性が安心して街を歩くことさえ難しい現実である。さらに、子どもや小学生すら強姦や性的暴力にいつも曝されており、その過程で殺されてもいる。これは、わが社会で女性差別の問題が深刻なことを示すと同時に35)、性平等問題の特異な性格を暗示する事例である。こういう場合の安全問題は、企業の貪欲や個人の物欲とは直接関連がない場合が多い。
 性差別の内容も多様である。性犯罪被害者の圧倒的多数が女性だという事実以外に、労働者に対する抑圧も女性勤労者への差別が加重されて起きる。その上、性に関連する差別は確かに男女両性の問題だけではない。性的アイデンティティと志向を異にする様々な個人の問題があり、異性愛者の場合も、未婚の母や婚外同居者に対する差別問題がある。こうした様々な問題間の優先順位をどのように定め、どういう方法で解決するかは多くの練磨と積功を要する。
 中・短期的に相当程度の改善が実現したとしても、性平等社会の実現は容易ではない展望である。男女平等は啓蒙主義の重要な遺産であり、自由主義政治思想の一部をなすが、貧富格差を自らの存在条件とする資本主義体制は、その本質上、性別と人種、地域など各種の差異を差別の根拠に転用して貧富格差を維持し、ごまかす体制なので、資本主義下で性差別主義の廃棄は不可能だという視角がある36)。さらに、性差別は資本主義以前の遠い昔から存在したもので、階級の撤廃よりはるか後になって可能なのが性平等だという主張もある。
 私が特に研究もしていないこの課題に言及するのは、私たちの究極的な目標をどこに置くかという「より基本的な」問いを発することが、特に重要なヤマだと信じるからである。先に列挙した各種の差別の撤廃は当然追求すべきだが、階級自体の撤廃を最終目標とする階級運動とは異なり、性平等運動は性別の撤廃を目標にはできない。また、男女の結合なしに別個に生きようという「分離主義」も女性主義運動の一角を超えて普遍化はできない。高等動物の種族保存の過程では雌雄の結合が必要であり(もちろん例外はあるが)、人間世界における幸福な生のためには――この場合、より多くの例外を認めて十分配慮すべきだろうが――男女の調和ある関係が重大な比重を占める。今日、韓国を含めた世界各地の生がそうした調和ある関係に程遠いのは男女間の権利の違い、またこれによる実力差、言い換えれば大部分の場合、女性に対する不当な差別のせいだと認めれば、性平等社会の追求という課題が短期的な懸案を超える大事であるのは明らかだ。ただ、究極的な目標を「性平等」におくのか、「男女の調和ある関係」におくのかは論議の余地があり、その結果によって短期と中期課題の設定と推進方式にも相当な違いが発生しうる。性平等を至上目標とする場合、何が「差別」で、何が「差異」なのかという論争が絶えず起こりがちで、自らの成熟と幸福のためにも女性解放に寄与してしかるべき男性の説得にも不利になりうるのである。
 ここで、「男女」よりも「陰陽」という東アジアの伝統的概念を動員してみればどうかと思う。現実的に存在してきた伝統社会が家父長的秩序だったのとは別に、太極の陰と陽は支配・被支配がない相補関係であり、大体陽が勝るのが男性で、陰が勝るのが女性であるが、双方が各々陰と陽の両面をもち、陰陽の調和を通じてこそ生命が持続されるものと理解する。従って、性平等自体より陰陽の調和が具現される社会を志向する場合、陰陽の調和を阻害する性差別に対する闘いを当然含むし、平等に該当しない場でも平等に固執する憂慮が減り、調和を増進する方案を男女ともに推進する余地も広がるだろう。
 陰陽調和の概念を真面目に導入するなら、人間世界を超えるはるかに大きな問題に行き当たる。ご存じのように、陰陽(または陰陽五行)は人間関係だけでなく、宇宙全体に適用される概念である。従って、質量と運動など量的特性以外に異なる特性を認めない近代科学の宇宙観と矛盾する。この矛盾を私たちはいかに考えるべきか。近代教育を受けた多くの知識人はここで壁にぶつかるが、まさに現代科学の世界ではニュートンからアインシュタインに至る機械的宇宙観が深刻な挑戦に直面し、「世界に再び呪術をかけること」(re-enchantment of the world)が要請されている37)。プリゴジンらのこの概念が、すぐに東アジアの陰陽論を立証してくれるわけではもちろんない。反面、「複雑系の研究」(complexity studies)という彼らの新しい科学も「世界に再び呪術をかけること」の第一歩に過ぎないので、中性的だけではない時空間がいかなる特性をもって運行されるかにつき、今後多くの研究が必要だろう。ともあれ、宇宙観自体が変化して人間と自然の調和ある生が模索されている今日、人間社会における陰陽調和に該当する男女関係の追求が、東アジア的宇宙観の潜在力を引出す努力と合わさると、世界観の転換という人類史的課題に貢献することと同時に、眼前の性差別の撤廃や性平等の具現にも力になりうるのではないかと思う。
6.何が変革で、どうして中道なのか
 結論に代え、変革的中道主義に関して多少付け加えたいと思う。
 「変革的中道主義」は、2009年の拙著『どこが中道で、どうして変革なのか』のキーワードに他ならなかった。だが前述したように、選挙の年に出した『2013年体制づくり』で潜伏させようにしたのは、「変革」と「中道」という一見矛盾した結合が多数の有権者を説得できないものだったからだ。その点は今も事実で、現場の選手が適切な方途を見つけだすべきだが、私たちが大いなる積功、大いなる転換を夢見れば見るほど、グローバルで遠大なビジョンと韓国の現場で当面する課題を連結させる実践路線として、変革的中道主義以外に何があるのか、見通しがつきがたい。
 確かに、「変革」は「中道」と括らなくとも、今日の韓国で容易に受け入れられる言葉ではない。戦争勃発のような急激な変化が警戒の対象であるのはもちろん、南北が共存する中、南だけが革命ないし変革を達成できるという主張も共感しがたいからだ。実際、そういう主張を展開する少数勢力がなくはないが、これは空想に近く、例の「後天性分断認識欠乏症候群」の疑いが濃い。
 このように南北双方の内部問題が韓半島全体を網羅する一種の体制内で作動しており、この媒介項を除いてはグローバルな構想と韓国人の現地実践を連結する道がないという点こそ、分断体制論の要諦である。従って、私たちの積功・転換の過程でこうした韓半島体制の根本的変化、つまり南北の段階的再統合を通じて、分断体制より良い社会を建設する作業が核心的なので「変革」を標榜する38)。そして、このために南だけの性急な変革やグローバル次元の漠然とした変革を主張する単純論理を脱する時、広範な中道勢力を確保する「中道主義」が成立しうるのである。
 実際に、それが可能か。「とてもいいお話ですが、それは可能ですか」という問いは、私が討論会のような場で、際限なく直面する質問である。そういう時、私は「もちろん不可能ですよ。皆さんがそんな問いばかりされるなら」と答えるが、よく考えれば、変革的中道主義は切実に必要なだけでなく、唯一可能な改革と統合の路線である。
 拙稿「2013年体制と変革的中道主義」では、「変革的中道主義でないもの」の例を6種類、番号までつけて列挙したが(『創作と批評』2012年秋号、22~23頁)、そんな調子であれこれ除いたら、どういう勢力が確保できるのかとの反駁を聞いた。ありそうな誤解に弁明すれば、それは排除の論理ではなく、広範な勢力確保を不可能にしてしまい、真摯な改革を達成できない既存の様々な排除の論理に反対し、各立場の合理的核心を生かして改革勢力をまとめあげる統合の論理だった。ただし、変革的中道主義とはこうこうだという定義を正面に掲げるよりは、何が変革的中道主義ではないかを適示することで、各自が自ら気付くようにする仏教『中論』の弁証方式を試してみた。ただ、『中論』の方式に真に忠実であろうとすれば、変革的中道主義者だと自負する人も、自らの考えをたえず省察しながら、自ら固定化したイデオロギーに陥らないように、自己否定の作業を続ける姿勢が必要であろう。
 ここでは、前述の文章を読まれていない方のために、あの1~6番を簡略に紹介しながら、いくらか敷衍したいと思う。
1)分断体制に無関心な改革主義:大体こうした性向をもつ国民は、たとえ改革の内容や推進の意志は千差万別だとしても、全体の大多数だと思う。ここには、(与党の)セヌリ党支持者の相当数も含まれ、いわゆる進歩的な市民団体も多数がこの範疇に属する(もちろん、特定の改革テーゼを採択した活動家がここに集中するとして「後天性分断認識欠乏症候群」患者に追いやりはしない)。ともあれ、1番は社会の多数を占めるだけに自己省察に消極的なので、変革的中道主義の成功のためには彼らを最大限に説得する作業が肝要である。
2)戦争に依存する変革:韓半島の現実で、戦争は南北住民の共滅を意味するため、当然排除される路線である。だが、戦争を辞さずと叫ぶ人も大部分が戦争は起こらないと考えており、自ら韓国軍の作戦権を行使して戦争する気はまるでないことを勘案すれば、2番を実際に追求する人は極少数と見るべきだ。
3)北だけの変革を要求する路線:この部類も「北朝鮮革命」または「北朝鮮人民の救出」を積極的に推進する強硬勢力から、北朝鮮体制の変化を消極的に希望する人までスペクトラムは広い。後者は1番との境界線が曖昧な場合も多い。また、前者の場合も2番と同様に非現実的なので、南の改革を妨げる名分として作用しがちである39)。しかし、変革的中道主義は2番または3番の路線に反対するだけで、現在その追従者たちが路線の偏向性を自覚して「中道」を取りうるという期待を初めから閉ざすことはない。
4)南だけの独自的変革や革命に重きを置く路線:80年代急進運動の隆盛後、影響力は減り続けてきた路線だが、今も追従する政派や政党はなくはないし、特に知識人社会の机上変革主義者の間にかなり人気がある。ともあれ、「これは分断体制の存在を無視した非現実的な急進路線であり、時には守旧・保守勢力の反北主義に実質的に同調する結果になりもする」(同論文、22頁)。反面、世界体制と韓半島の南北双方を変革の対象とし、階級問題の重要性を喚起するという点から、分断体制の変革が核心懸案だと認識さえすれば、中道に合流する余地がある。
5)変革を「民族解放」と単純化する路線:これまた80~90年代の運動圏ではやり、最近は影響力が大幅に減少したが、ただ日帝植民地期には民族解放が当然の時代的要求だったし、光復後も「民族問題」が厳然たる懸案中の一つだったという点で、その根はひときわ強固である。ただ分断体制下で、北の社会が歩んできた退行現象に目を閉ざし、さらには主体思想に追従する一部の勢力が40)進歩勢力の連合政党だった民主労働党と統合進歩党を掌握したが、進歩陣営の分裂へと突き進み、自主と統一という言説全体が弱体化する状況を招いた。しかし、「後天性分断認識欠乏症候群」と根気強く闘ってきた人すべてを一括りで罵倒してはならず、彼らが強調してきた自主性言説を、分断体制に対する円満な認識に基づいて変革的中道主義へ収斂する努力が進歩政党内外で実現されるように望む。
6)「グローバル的企画と局地的実践を媒介する分断体制の克服運動に対する認識」(同論文、23頁)が欠けた平和運動、生態主義などの場合:彼らも各様各色だが、全人類的な課題としての名分と現地実践に対する熱意をもったならば、例の「媒介作用」に対する認識の進展を通じ、変革的中道主義に合流または同調するのはいつでも可能だろう。
 こういう調子の論理展開を『中論』を借りてほのめかしたが、より俗な言い方をすれば、択一型試験で間違った答を消去して正答を「突き当てる」方式と酷似する。実際、現場で各種の極端主義と分派主義に苦しみながら、より良い社会をつくろうという熱情を放棄しない活動家であるほど、変革的中道主義の趣旨を最近わかりかけていると思う。本当に難しい問題は、正答を「突き当てる」ことよりも、正答に適う中道勢力をつくり出すことである。これこそ、各分野の現場の働き手と専門家が練磨し、積功すべき問題であり、ここでは選挙を左右する政党政治の現実に関して1~2の断想を披歴するに留めたいと思う。
 韓国社会の大転換のためには、転換を妨げようとする勢力の力を一応部分的にでも削ぐべきだが、87年体制下で国民の最大の武器は6月抗争で勝ちとった選挙権に違いない。「1円1票」ではない「1人1票」が作動する、珍しい機会だからである41)。それなら既存の野党、特に第1野党である新政治民主連合をいかにすべきか。「まあまあなら」票を入れるんだが、現状では到底入れる気にならん、という人が絶対多数ではないか。
 これに対する答が私にあるはずはなく、変革的中道主義論がそうしたレベルの問いにいちいち答を出す言説でもない。ただ、いくつかの誤答を摘示する基準にはなり得る。例えば、野党の低い支持率を最近の若い世代の「保守化」のせいにする傾向があるが、もちろん社会風土の変化で若い世代が人一倍個人的「成功」に執着し、家庭教育でも社会的な連帯意識を軽視する面がある。その上、87年体制の末期局面が持続して冷笑主義が蔓延し、人々の心性が荒廃化したのは事実である。だが、少数の例外を除いて若者が既成の現実に対し、今のままで生きるに値すると肯定し、政府・与党の古いブザマさをお笑い(または彼らの表現で「笑わせる」)と思わない程、保守化していないと思う。むしろ、今とは異なる世の中に対する渇きが切実だと思われ、さらに彼らは上の世代に比べてはるかに識見が広く、溌剌たる気性をもつ。そうした若者に野党が「民主対反民主」の構図で迫り、自分側に立たないと保守化を云々すれば、ますます嫌われるのは当然である。逆に、変化に対する彼ら自身の欲求に合わせるのを「進歩」の尺度とし、それに適う政策議題を提示すれば、彼らはとても進歩的な反応を示し、むしろ年配世代の適当な牽制が必要になるかもしれない。
 「変革的中道主義ではないもの」に対する説明を援用すれば、野党が1番の路線に安住して「右クリック」を通じて「保守化」した若い有権者を捕えようとすると、与党との比較劣勢が際立つだけである。それなら革新化すると、4~6番のうちどれかに「左クリック」するのも少数勢力にのみ魅力的になるだけだ。多数の国民もそうだろうが、特に若い世代は「変革的中道主義」という文字には無知だが、冷淡などころか、1~6番すべてが合わないという点だけは直感しているのだ。
 こういう認識なしに、新政治民主連合に対して過度な革新化を注文するとか、期待するのは古い惰性でもある。第1野党が自己革新さえすれば、守旧・保守陣営に対抗しうる独自の陣営を実現できるという幻想をもちやすく、民主党(新政治民主連合)が即「民主」の総本山という固定観念に縛られた結果とも言える。第1野党の革新はもちろん必要だが、革新しても守旧・保守カルテルを制圧する力が生じるわけでもなく、短期間に変革的中道主義の政党に生まれ変われる立場でもない。カルテルの巨大な城砦に多少の亀裂を生じさせるのが急務であり、このために生み出すべき広範な連帯勢力の中で最も大きな現実政治の単位が民主党だという認識をもち、その役割を遂行しうるほどの自己整備と革新をやっていこうという謙虚な姿勢が必要である。本格的な変革的中道主義の政党(たち)の形成は、一応選挙勝利を達成した後のことであり42)、選挙勝利のためにも変革的中道主義に対する志向性をある程度共有すべきであり、このために自身より現実的な力が弱い政派や集団の声も変革的中道主義に対する認識がより貫徹するならば、傾聴する姿勢があってしかるべきだろう。
 最後に、変革的中道主義という南単位の実践路線が、仏教的「中道」――または儒教の「中庸」――のような一層高次元の概念と連結していることを想起させたいと思う(上掲論文、第2節「分断体制内の心の勉強、中道の勉強」を参照)。ここで、本稿が動員した様々な概念の間に一種の循環構造が成立する。つまり、近代世界体制の変革のための適応と克服の二重課題を韓半島次元で実現することが分断体制克服の作業であり、その韓国社会における実践路線が変革的中道主義であり、このためには集団的実践とともに各個人の心の勉強・中道の勉強が必須だが、中道自体は近代の二重課題よりひと際高次元の汎人類的な標準でもあり、他の様々な次元の作業を貫通しているのである。敢えてこの点を指摘する理由は、体系の完結性を期してではなく、今ここで私たちに与えられた複雑多岐にわたる積功・転換の課題を、時間帯と空間規模によって識別して結合する作業がむしろ理に適うことを強調したいからである。

筆者注
29)「そして、それが政権交代や政治勢力主導の努力だけではできないのは明白である。何人かの人の無教養と非常識、そして不道徳から問題が生じたというより、国民多数の生命軽視の習性と正義感の欠如、そして歪んだ欲望に根ざしたものだからである。一日や二日で正せるものではなく、世の中と自らを同時に変えていく努力を各自の生活で着実に進める必要があるのだ」(『つくり』31~32頁)。
30)李基政『教育を握る者が大権を握る』、人物と思想社、2011年。同じ著者の『教育大統領のための直言直説』(チャンビ、2012年)も一読に値する。
31)これは「後天性免疫欠乏症候群」(Acquired Immunity Deficiency Syndrome略称AIDS)に引っかけて私が作った造語である。英語で言えばAcquired Division Awareness Deficiency Syndrome略称ADADSになる。拙稿「2009年分断現実の一省察」『どこが中道で、どうして変革なのか』、271~72頁参照。
32)注22)で言及した拙稿「D.H.ロレンスの民主主義論」を参照。
33)「労働者がカネと孤立に抑えられて自ら命を絶つ社会では誰も安全ではない。核事故による前例のない死が恐ろしくもあるが、日常的に徐々に死んでいくのも恐ろしい」(河昇佑「セウォル号惨事後の韓国での安全言説」『実践文学』2014年秋号、98頁)。
34)こうした資本主義自体の問題を「新自由主義」と規定するのは、問題の核心をそらすことになりやすい。もちろん、「資本主義の人間化のための努力が、結局は断片的かつ一時的なものにならざるを得ないのを、もしかして率直に告白しだしたのが新自由主義」という点で、それを「人間の仮面を脱いだ資本主義」と言うこともできる(拙稿「再び知恵の時代のために」、『韓半島式統一、現在進行形』104頁)。ともあれ、勉強の道筋は資本主義で、新自由主義の研究はその一環と位置づけねばならない。
35)特に国家の経済力や国民の教育水準に比し、韓国の女性の地位がとんでもなく劣悪という点は、世界経済フォーラムの2014年度世界男女格差指数(Global Gender Gap Index)で、――これが何か絶対的な尺度ではないが――大韓民国は142か国中117位に上がったという事実でも実感される(http://report.weforum.org/giobal-gender-gap-report-2014/ranking/)。ユネスコ教育統計資料で、韓国の人間開発指数は32位の反面、「性別権限尺度」は73位を記録した1997年の時点で、私はこうした奇形的な事態もまた分断体制と無関係ではないと主張したことがある(「分断体制の克服運動の日常化のために」『揺れる分断体制』、創作と批評社、1998年、45~52頁)。
36)例えば、イマニュエル・ウォーラーステイン『ユートピスチックス:または21世紀の歴史的選択』白英瓊訳、創作と批評社、1999年、37~42頁。「民族主義・人種主義・性差別主義の台頭」(Immanuel Wallerstein, Utopistics : Or, Historical Choices of the Twenty-first Century. The New Press, 1998年、20~25頁)を参照。女性解放も二重課題論の視角で接近する必要性を提起した文章として、金英姫「フェミニズムと近代性」、李南周編『二重課題論』118~37頁を参照。
37)この一句は、Ilya Prigogine and Isabelle Stengers, Order Out of Chaos: Man’s New Dialogue with Nature(Flamingo 1985:原著はLa nouvelle alliance Gallimard 1979)にでており、近代世界体制の変革を率いる新たな学問の定立を強調するウォーラーステインがよく引用する表現である(例えば、イマニュエル・ウォーラーステイン『知識の不確実性:新たな知識パラダイムを求めて』柳熙錫訳、チャンビ、2007年、154頁:Immanuel Wallerstein,The Uncertainties of Knowledge, Temple University Press,2004年、125頁)。
38)「変革的中道主義」や「中道的変革主義」を特別な考えもなく使い始めたが、これは用語のなじみにくさのせいもあったが、変革的中道主義がそれなりの厳密性をもった一つの概念であることを見逃して作ったのである。南の現実における実践路線として、変革的中道主義は変革主義ではなく改革主義だが、南の社会改革が分断体制の克服運動という中期的運動と連係してこそ実効を上げうるという立場なのである。
39)「実現の可能性がほとんどない、こうした構想[2番または3番]が一定の勢力を維持するのは、そういう方式で南北対立を煽ることが南の内部における既得権を維持する上で助けになるからである。つまり、北の変革は名分だけで、実質的には分断体制の変革とそれに必要な南の内部改革を妨げることに寄与しているのだ」(「2013年体制と変革的中道主義」29~30頁)。
40)彼らに「従北」の嫌疑が被せるのもそのためだが、「従北」という曖昧な表現より、「主体思想派」という正確な概念を使用するのが正しいという主張は説得力がある(李承煥「李石基事件と『進歩の再構成』論議にあたり」『創作と批評』2013年秋号、335頁)。
41)細橋フォーラムの討論で朴聖珉代表は、守旧・保守カルテルの「最も弱い環」が選挙であることを強調し、現在野党の人気はあまりにもないが、国民は「そこそこなら」野党に票を入れる準備はできていると主張した。
42)2013年体制が成立しても、変革的中道主義勢力をすべて網羅した単一巨大政党ではなく、基本的な志向を共有する多数の政党の存在が望ましいという点を表明したことがある(同書、30~31頁)。
©21世紀社会動態研究所
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