韓国の知性、新しい時代を語るVol.1 - 21世紀社会動態研究所

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韓国の知性、新しい時代を語る 第1回  

6・15南側委員会による6・15共同宣言10周年記念の辞
                                                                                    6・15時代は継続する                                               白楽晴           2010.8.1

 6・15南北共同宣言の10周年にあたり、北や海外の同胞とともに民族の共同行事を行うことができず、南側委員会だけでこの記念式を挙行するのは残念でなりません。しかも南北交流がほぼ全面的に断絶した事態にあり、残念というより痛嘆の念を禁じえません。さらに、6・15南北共同宣言を長い間無視し、嫌悪してきた現政権が最近ついに交流断絶宣言まで発したことで、こうした事態に至ったという点で痛嘆の念とともに怒りさえ感じます。
 しかし皆さん、結論から申し上げれば、6・15時代は依然続いています。6・15共同宣言が民族の章典であり、朝鮮半島の平和の礎として歴史の道に残されたという、そういう漠然とした話ではありません。「6・15時代」という場合、私は具体的に2000年6月の南北共同宣言によって始まり、あまり遠くない将来に南北が国家連合を宣布することで第1段階の統一が達成される時点までの、特定の時間帯を念頭においています。そうした6・15時代は今まさに進行中なのです。現時点は次の時代の黎明を前にし、暗闇が最も深まる時期です。しかし、一度陽が昇りはじめれば明るい日差しが瞬時に国全体を覆うのです。
 人間は試練を経験してこそその本領が発揮されるように、6・15共同宣言の真価も6・15宣言に対する破壊作用が極に達した時に光を発します。「天安」艦事件の合同調査団の発表についで、5月24日李明博大統領が戦争記念館で発表した特別談話は、6・15宣言はもちろん1988年盧泰愚大統領の七・七宣言以来20年以上進められてきた、南北和解のあらゆる措置を一挙に覆す内容でした。同時に、いわゆる「北風」を起こして6・2統一地方選挙で民主・平和勢力に壊滅的打撃を与え、分断体制の既得権勢力の優位を永久化させる試みでした。
 しかし、民心による判決はいかなるものでしたか。有権者は「北風」に揺らぐことなく当然審判すべき政権を審判し、独裁ではなく民主を、戦争ではなく平和を選択しました。実は、すでに選挙前大統領自らが「戦争辞さず論」から後ずさりしはじめました。民心には鈍感な政権ですが、戦争の危険が経済危機を悪化させる兆しの前では身を縮めざるをえませんでした。
 それはこの10年間、経済を含めた韓国の国民生活が6・15共同宣言によってもたらされた平和と南北協力を基盤にして営まれてきたことを物語っています。この大統領談話直後の交流中断措置が開城工業団地を例外とせざるをえなかった事情もそうです。また今回の地方選挙で、いわゆる「接敵地域」でむしろ野党の進出が際立っていたのは、何を意味するでしょうか。そうした地域であるほど、6・15時代が深く浸透していたのです。実は、6・15時代以前の対決状態では大韓民国の全域が一種の接敵地域でした。そうした中で6・15共同宣言と様々な後続措置を通じ、私たちは朝鮮半島に平和定着の第一歩を踏み出し、そのおかげで民主化と経済発展を続けることができました。6・15共同宣言が当然視された時期には、そのありがたみがわからなかったのです。
 6・15時代は粘り強く持続すると、私が確信する理由がこの点にあります。朝鮮半島を対決の時代へ引き戻そうとする最近の動きは、何ともお粗末な根拠によって始まっています。北が非核化したなら南北交流をしようというのは、たとえ傲慢で現実性もない強情だとしても、少なくとも北が核武装しているという確実な事実を根拠にしていました。ところが、今回の大統領談話の根拠になった「天安」艦事件の魚雷被弾説を、私たちはどれほど信じられるでしょうか。韓国の主な貿易対象国で同伴関係を自慢する国々の政府をはじめ、国内外の専門家と良識ある市民の間で、合同調査団の発表に疑問を提起する人々が、これほど多いのはなぜでしょうか。
 合同調査団の発表に対して提起された疑問点を、ここで列挙するつもりはありません。ほとんどの関連情報と証拠物が公開されていない状態で、「天安」艦沈没の正確な原因究明は、外部の誰であれ、不可能です。万一すべてが公開されたとしても、私自身には明確な判定を下せる専門性はありません。ただ理性ある一人の人間として、そして韓国語の読解に精魂をこめてきた文学評論家として、当局の発表に信頼がおけないのはどうしようもない事実です。そして、こうした手抜き報告――それも政府自らが中間発表に過ぎないと公言する報告――に基づき、南北間のすべての合意を覆して北に対する敵対行為を辞さない、という方針に異議を提起せざるをえません。これは進歩と保守を問わず、理性と常識を尊重する人間の基本的義務であり、教養なのです。
 数日前の監査院による監査結果の発表も、同じ基準で見なければなりません。政府の発表と合同調査団の発表に不満が高まる状況で、軍当局の怠慢と虚偽を指弾して相当数の将軍の懲戒を要求した措置が一種のカタルシスを提供しています。しかし、本質はどこまでも合同調査団の発表内容の真実性の是非です。実物証拠や状況証拠にあれほどそぐわない発表がどうしてなされたのか、万一発表がでっち上げならば、誰がどうしてそういう極めて悪質な行為を犯したのか、監査すべきです。事故の時刻に最高位の将軍がどれほど泥酔していたか、は副次的な問題です。もし泥酔していたのが事実だとしても、当事者への適度な懲戒措置をとればすむことです。
 合同調査団の中間発表が真実であるという大前提に立って監査が進行しているので、監査院の発表は新たな疑惑を生まざるをえません。例えば、当時北側に特異な動きがあったのにないという報告書をでっち上げたといいますが、それなら特異な動きがなかったと発表した米軍当局も監査すべきではないでしょうか。魚雷被弾の事実を国防相は4月4日になって知ったのに、大統領がいつ知ったのかはよくわからない、と監査院長は国会で陳述していますが、こうした手抜き監査をした監査院は一体誰が監査すべきでしょうか。
 監査院の発表についても、提起された疑問点をここですべてとりあげるつもりはありません。重ねて申し上げれば、私自身は基本的な常識と韓国語の若干の読解力以外には、何の専門性もない一人の市民としてお話しています。しかし、この席でこうした問題提起をするのは、6・15時代が私たちの生活の一部として体質化した結果、今は極めて無理な手を打たなければ6・15精神を破壊することはできない、という自負を私たちがもつべきだと思うからです。
 ともあれ、危機に瀕している6・15精神を守り抜き、6・15時代の順調な流れを復元させる任務は、第一に私たち南側の国民にあります。今こそ南の市民社会が朝鮮半島問題を解決する「第三の当事者」だという明確な自己認識をもって南北双方の政府当局に隷属することを拒否し、南側の市民として韓国政府の行動形態を変えていくことに力を傾注すべき時です。
 この過程において6・15共同宣言実践南側委員会は、一面では民族共同委員会の一員という独自の位相と、他面では南側の非政府団体という不可避な限界も合わせもつ特異な存在です。現在は今回の大統領談話の直接的被害者の一人として、6・15共同宣言10周年記念の共同行事すら開催できないほど多くの困難に直面しています。しかし、今日の現実と私たち自身の立つ位置を冷静に直視しながら、6・15共同宣言を実践するための情熱と英知を結集するならば、6・15時代のやりがいに満ちた成果が遠からず得られると確信しています。
韓国の知性、新しい時代を語る 第2回  
今回は、白楽晴さんが2007年の6月抗争20周年にあたって発表した「変革と中道を再考すべき時」を翻訳し、紹介する。この文章の発表当時は大統領選挙を半年後に控え、李明博に代表される保守勢力が政権を奪還する可能性が高まる中、彼はこの文章で、分断体制からの脱却を志向する広範な勢力の結集を呼びかけている。彼はその立場を、この時期に前後して「変革的中道主義」と定式化するが、今年6月の韓国統一地方選において、この立場に近い連合戦線が野党四党および市民団体により結成され、画期的な成果を収めている。その意味では、この文章の主張は3年後の今日、ようやくその真価が問われる段階に達したといえる。
 ところで、韓国における「中道主義」にはそれなりの歴史的変遷があるが、とりあえず南北分断の契機になった1945年解放後の左右対立、そして朝鮮戦争後の南北政権の対立(分断体制)の狭間で抹殺された様々な中間的立場に近い、と私は理解する。ただ、その変遷過程は極めて複雑であり、それ自体が十分な研究対象であるため、現時点では詳しく言及することができない。
 また、日本で「中道主義」といえば、以前は自民党と社会党の中間、あるいは保守と革新の中間、現在は自民党と民主党の中間、あるいは自民党と共産党の中間ということで、例えば公明党などをイメージしやすい。そのため、「変革的中道主義」という概念の理解は極めて難しく、個人的見解としては「変革的リベラリズム」もしくは「南北分断体制の克服を志向する立場」という程度の理解にとどまっており、今後の検討課題である。
(翻訳者・青柳純一)
変革と中道を再考すべき時――韓国社会の未来論争にあたり

 1987年6月民主抗争(以下、6月抗争)は、一言でいえば、韓国社会の成功した市民革命だった。もちろんその成果には限界があり、これに対する真摯な検討は必要である。しかし、6月抗争は4・19革命(1960年)を皮切りに釜馬抗争(1979年10月)、光州民主抗争(1980年5月)へと続いた韓国の独裁打倒運動が、ついに確かな実を結んだ画期的な出来事だった。全国的な民衆参加の規模でも4・19を凌駕し、何よりも5・16や5・17のような軍事独裁へと反転しない「民主化20年」の新たな歴史を出発させた意味は大きい。
 6月抗争、またはその結果として成立したいわゆる(19)87年体制の限界が何であれ、この基本的事実に対する認識と自負、そしてこれに由来する使命感を無にしてはならない。ところが、この6月抗争を貶める態度は進歩を自任する人々の間で、むしろよく見かける。手続上の民主主義と実質的民主主義を機械的に区分し、1987年以後前者が達成されただけで後者はむしろ後退し、6・29宣言という欺瞞的な術策のために、ほぼ掌中にした民衆の勝利を逸してしまったという類いの主張である。
 他方、6月抗争にもう少し積極的な意味付けをする場合でも、87年体制の進歩性は97年IMF(国際通貨基金)金融危機によって消滅し、今日は新自由主義による民衆弾圧が主流の「97年体制」に該当するという解釈もある。
 こうした主張がそれぞれ一面の真実を表しており、87年体制の限界は厳然と存在する。また、この体制が20年を経た今日も順調に進行していると信じる人はほとんどいない。何か再度の突破口を経て、次の段階へと跳躍させる必要を多くの人が切実に感じているのだ。
 要は、87年体制の成果と失敗をより正確に、総合的に把握する道を見つける
ことである。文頭で私は、6月抗争を韓国社会の成功した市民革命と規定したが、この時「韓国社会」が分断国家であることによる特性と限界に対する認識が伴われるべきだと思う。この点は、文字通りの全国的抗争だった3・1運動(1919年)と比較すれば、すぐに実感できるだろう。
 したがって、6月抗争が1953年休戦協定後に本格化した朝鮮半島の分断体制を揺るがしはじめたのは事実だが、87年体制は53年体制と交代したというより、その大枠の中での新段階を開いただけだという限界を直視すべきである。この事実を指摘するのは、万事を分断のせいにする「分断還元論」でもなく、統一さえしたらすべての問題が解決されるという「統一至上主義」でもない。資本主義世界体制の新自由主義的局面というグローバル次元の現実を勘案するのはもちろんである。また、統一という朝鮮半島的課題も、南における6月抗争と87年体制が達成した成果を踏み固め、その問題点は問題点なりに着実に解いていく過程と結合してこそ解決できるし、分断体制の克服という内容を具備しうる点を、特に強調したいと思う。
 こうした意味での朝鮮半島的視角は、韓国社会の分析において必須的条件であるにもかかわらず、わが学界の論議では案外見落とされてきた。そのせいか、「先進化」を強調する人々は、南北対決が持続する状況でも韓国だけの先進化が可能という幻想に浸り、南北の和解・協力をムダな親北行為と罵倒する傾向がある。また、「平和」や「平等」を掲げる進歩勢力の一角では、南北の再統合過程を賢く推進し、管理しなくても朝鮮半島には平和が可能であり、両極化の解消が可能であるなど、様々な非現実的な主張と単純論理を噴出させている。ひどい場合は、分断国家韓国に正常な政党政治がすでに確立されたかのように考え、与党が過ちを犯したので野党が執権するのは当然だという「原則論」を主張したりする。
 本当に重要なことは、先進化、平和、民主主義と平等のような、いずれも貴重な価値を、分断された朝鮮半島の現実の中に具現することではなかろうか。そのためには、南北を問わずこれらの目標の実現にとって決定的な制約となる分断体制を「変革」するという目的意識を堅持しながら、分断体制の実像とはかけ離れた単純論理によって分裂している各勢力が新たに力を結集し、真の「中道」をめざす必要がある。こうした意味での「変革的中道主義」は、得票戦略を重視した政界の「中道統合」論と区別されるのはもちろんである。同時に、分断体制の変革作業を抜かしたまま、直ちに世界体制を変えて市場論理を克服することを夢見る急進路線とは異なるし、南北それぞれの内部的変化と改革を怠ったまま一挙に統一国家を建設しようとする立場とも異なる。
 ところで、2007年韓国政治は、この間53年体制に安住しながら87年体制に唯一不満を抱き、今年の大統領選挙を通じて「先進化」体制を新たに成立させようとする勢力が、急進勢力や穏健勢力よりも優勢な実情である。彼らが選挙に勝つとしても、(一部の強硬論者が豪語するように)この10年間の改革の成果を完全に覆すとか、6・15共同宣言を廃棄するだろう、とは心配していない。それより、87年体制を克服するどころか、その残った命を延長させ、南々葛藤と南北対決をますます煽る危険が大きいと思う。
 真の「進歩論争」というなら、まさにこうした現実的危機から出発し、その原因を探り出して対応策を思案すべきである。ところが、初めから政権の失敗か、改革勢力の失敗かと詰問調で問いただすのは、誰を喜ばす論争なのか、わからない。
 最後に、「変革」と「中道」というしばしば衝突する概念の結合が可能なのは、私たちが朝鮮半島式統一という、特有の歴史のど真ん中に位置しているからである。南北は6・15共同宣言を通じ、従来のどんな分断国家も行いえなかった平和的であると同時に、漸進的で段階的な統合の道に合意している状態である。それゆえ、この合意の実践に両極端を排除した広範な勢力が結集する場合、戦争や革命ではなしに、漸進的な改革の累積が本当の変革へと続く道が可能になるだろう。6月抗争の20周年にあたる韓国社会に、こうした改革と変革のための大統合が実現されることを期待する。
韓国の知性、新しい時代を語る第3回
 韓国を代表する知性、白 楽晴氏の論考をはじめとする韓国の新しい時代を語る論稿を紹介するこのページに、白 楽晴氏との仲介と原稿の翻訳を担当してくださっている青柳純一氏から「主要な政策決定者の中にも北朝鮮崩壊論者がいる」が届きました。
 今回は白 楽晴氏ご自身の論稿ではなく、白氏をはじめとする「朝鮮半島平和フォーラム」の最新の動きを伝える『プレシアン』掲載の記事です。
 本編の「解題」として同じく『プレシアン』の、朝鮮半島平和フォーラム創立1周年出版記念会開催の「予告記事」をまず掲載します。

朝鮮半島平和フォーラムの創立1周年にあたり(『プレシアン』2010年10月20日から)
 朝鮮半島平和フォーラムが来る10月22日、『再び、朝鮮半島の道を問う』の出版記念会を開く。
 朝鮮半島平和フォーラムとは、北朝鮮に対する包容政策を推進、支持してきた元官僚、学者、社会団体関係者などの専門家が集まり、南北関係と朝鮮半島の平和への道を模索するために、昨年創立した団体である。
 去る9月7日に創立1周年を迎えたこの団体は、最近「フォーラムを社団法人へと転換し、本格的な活動を展開しようと思う」と表明した。
 朝鮮半島平和フォーラムが1周年を迎えて企画した『再び、朝鮮半島の道を問う』は今月20日に出版されるが、これはフォーラムの理事長である白楽晴6・15共同宣言実践南側委員会名誉代表と林東源元統一相など、36名が共同で執筆した本である。
 同書は序文で、「道は途絶え、対話は消え、交流は難しくなるなど、心をこめて積み上げた希望と平和の塔が一瞬にして崩れた」と述べ、「いま再び道を問う。朝鮮半島はどこへ進むべきなのか?」という問いを投じている。「各界の専門家が経験を踏まえ、意見を交換しながら朝鮮半島の未来を模索しようとした」というのが、同書発刊の趣旨である。
 出版記念会は、来る22日(金)午後5時から延世大学同窓会館で開かれる予定である。

 この記事で以下の本編で語られる内容の今日的位置づけと重要性がおわかりいただけると思います。
 この「予告記事」にあるように、出版記念会は10月22日(金)、ソウル・新村にある延世大学同窓会館で盛会裏に開催されました。
 白 楽晴氏をはじめ元統一相、林 東源氏らの取り組みに敬意を表するとともに、翻訳を担当してくださった青柳純一氏に感謝申し上げます。

主要な政策決定者の中にも北朝鮮崩壊論者がいる

 南北の和解・協力と平和定着を支持する元官僚、専門家、社会団体の代表などが集まって結成した朝鮮半島平和フォーラムが創立1周年を迎えた。
 22日、朝鮮半島平和フォーラムは1周年を記念して発刊した『再び、朝鮮半島の道を問う』の出版記念会を開き、新たなる出発を確認した。
 この日の午後、延世大学同窓会館で開かれた行事には、金大中平和センターの李姫鎬理事長と孫鶴圭民主党代表をはじめ李ヘチャン元総理、李在禎国民参与党代表など、北朝鮮に対する和解政策を主張する人々が総結集した。ハンナラ党からも元喜龍事務総長が参席し、李明博政権で最初の統一相だった金河中氏も姿を見せた。
 記念会に参席した人々は、金大中、ノ・ムヒョン政権の10年間に推進してきた対北政策を否定し、対話を断絶した李明博政権の政策に対して声をそろえて批判し、転換期を迎えた東北アジアにおける韓国の位相が墜落する現状況を憂慮した。
 「朝鮮半島平和フォーラム」の林東源理事長は記念辞で、「李明博政権になってまさかそこまでやるか、と思ったことが現実になった」と述べ、「全同胞の汗と誠意で築いた和解と交流・協力の努力の結晶が壊れて平和統一の道が塞がれた」という所感を表明した。
 林理事長は、「このままいけば北を失ってしまうこともある」と述べ、「それは南北関係も、統一の未来も、朝鮮半島の平和もすべて失うこともありうるという意味」だと語った。彼は「東北アジアの状況が急速に変化しているために、手遅れになる前に最悪の状況を防がねばならない」と述べ、「今までの考え方や尺度では、これ以上未来を正しく設計することは難しくなった」と強調した。
 白楽晴理事長は“天安”艦事件の真相究明を強調した。彼は、「最近の情勢悪化をもたらした契機は、何といっても“天安”艦事件」であり、「理念ではなしに、科学と常識にそった真実に立脚した解決をしないで南北関係と国内問題に対応するならば、本当に重要な問題に蓋をしたままでひんしゅくを買うばかりだろう」と語った。
 白理事長は、「“天安”艦事件に対する政府の発表が極めて無理な手法だったのは明らかだ」とし、「“天安”艦事件によってノ・テウ政権から続いた南北和解の努力を反転させようとした政府の試みは、地方選挙における国民の力でひとまず鋭鋒が削がれた」と語った。
 孫鶴圭民主党代表は、「政府は“非核・開放3000”を語りながら、核兵器をなくせという条件を押しつけ、今度は“天安”艦事件に対して謝罪しろというなど、絶えず条件をつけて平和への道を妨げている」と述べ、李明博政権の政策は「条件ばかりが先立つ」非現実的な政策だと語った。
 孫代表はまた、「太陽政策はできもしない条件を押し付けるより、できる道をまず選び、悪条件は後で解決しようという精神だった」とし、「李明博政権は北朝鮮の住民が飢えて人権が蹂躙されるなら、“改善しろ”という条件をつけずに、どうすれば北の住民が食べていけるか、人間的な生活を営む条件を作れるかを考えて行動しなければならない」と強調した。
 李ヘチャン元総理は、「李明博政権の対北政策は、クーデタを起こしたノ・テウ政権の対北政策よりはるかに後退した」と強く批判した。李元総理は「転換期をどのように迎えるかによって運命が変わる」と述べ、「李政権は冷戦のパラダイム変化と中国によるパワーシフトを全く認識できずにいる」と指摘した。
 元喜龍ハンナラ党事務総長は挨拶の中で、「北朝鮮を封鎖して崩壊させるとか、崩壊を待とうと封鎖したまま放置しようと考える人々が、かなり重要な政策決定者の位置についているようだ」と述べ、注目された。
 元事務総長は、「しかし、(崩壊のための封鎖は)長期的にみれば望ましくもないし、中国ゆえに現実性もなく、崩壊するとしてもこちらの望み通りになる保障もない。反対に進むこともある」と語った。
 彼は、「結局、共存の中で接触を通じた経験、認識の変化、協力と小さな統一が積み上げられて、互いに望ましい変化を作り出すことができる未来志向的な共存ができるようにすべきである」と強調した。
 さらに彼は、「包容政策と平和・繁栄政策を立案した方々を、わざわざ北の肩を持つ節操のない一部のグループと同一視するのは、極めて意図的な誹謗」だと述べ、「彼らは尊重されるべきであり、ともに討論し、経験を蓄積させて発展させるべき民族の資産」であると語った。
 特に彼は、「条件付きで出した“非核・開放3000”政策は、条件付きでは続けられないという内部的な共鳴者がいると思われる」と述べ、「“天安”艦事件が北の仕業というのが政府の立場であり、結論であるが、それに対する怒りを表わす期間はほぼ終わりにきていると思う」と語った。
韓国の知性、新しい時代を語る第4回
 韓国で発行されている「京郷新聞」の白楽晴氏のインタビューをもとにした「プレシアン」の記事(2010年10月20日)を掲載するにあたって、まず翻訳者の青柳純一氏の「解題」をお読みいただきます。これによって白楽晴氏のインタビューに示された氏の論考についての意義と位置づけがおわかりいただけると思います。
 また、青柳氏が白楽晴氏と話し合って、日本の読者のために、元の「京郷新聞」のインタビューから補足すべき内容を訳出してくださいました。「福祉」あるいは「福祉国家」ということを論点、争点とする際に「南北関係の発展いかんが韓国社会の福祉と直結しているという認識」の重要性について語っていることはきわめて示唆深いものがあると感じます。
青柳氏の「解題」と本編の記事、そして補足記事を一体のものとして読み込んでいただければ幸いです。

 白楽晴氏のインタビューにかかわる記事の翻訳にあたり   青柳純一
 去る10月20日、「朝鮮半島平和フォーラム」創立1周年の記念出版会を前にして発表された、『プレシアン』の次の記事は白楽晴さんの現状認識をうかがわせる内容で極めて興味深いが、その翻訳・紹介にあったては、多少のコメントが必要なように思われる。
 まず最近の韓国では、進歩政党を自負する民主労働党が北朝鮮に代表団を送り、その際に「(北朝鮮の)権力世襲について批判しなかった」ことを、これも進歩派といわれる『京郷新聞』が批判した。この論争に保守派の新聞も加わって泥仕合の様相を帯びはじめると、白楽晴さんは『京郷新聞』と民主労働党の双方に自制を促しながら、今後の展望に関連づけて直面する課題の核心を端的に提示しており、ここで紹介する記事にその一端がうかがえる。(この記事は『京郷新聞』10月19日付のインタビューを基に執筆されている)。
 すなわち、直面する最大の課題は「2012年総選挙と大統領選挙」であり、その際に諸野党のみならず市民運動、市民団体を含む「民主改革勢力」の連合をいかに幅広く、いかに豊かな内容で実現させるかが核心だと、彼は指摘する。そして、その連合を実現させる過程で討論は必要不可欠だが、その討論をへて連合を生みだす過程で過去の失敗を繰り返してはならず、「市民社会の関与」が決定的に重要な意味をもつと考える。
 過去の失敗例として、1980年代の学生運動で激論が交わされたNL(民族解放)―PD(民衆民主)論争、結局これは相手の打倒を自己目的化した「内ゲバ」(権力闘争あるいは泥仕合)に堕した(日本よりはるかに前の段階で収束した)。その再来、あるいはそのミニ版を民主労働党と『京郷新聞』の論争にも直感したのではないか。
 また、北朝鮮の権力世襲や人権問題を批判する人々に対しては、その批判が正しいか否かではなく、どうしたらそれを改善できるのか、という現実的な方策を提示する。
 その方策こそ2000年6・15南北共同宣言であり、そこにこめられた「分断体制」克服への(南北の)共同精神であり、「現状変革」への共同作業であるというべきだ。
 そう見る時、現段階の韓国において求められる「民主改革勢力の連合」とは、1997年大統領選挙でのDJP(金大中―金鍾泌)連合や2002年ノ・ムヒョン―鄭夢準連合という野党政治家の連合(野合)のレベルではなく、むしろ市民運動、市民団体などの「市民社会」が主導する「大連合」である。
 その「大連合」が成立する際の基軸として、6・15南北共同宣言への評価が決定的であることを白楽晴さんは示唆しているが、それに加えて「歴史観」「歴史認識」が重要であることを、私たち日本人読者は読みとっていきたいと思う。そして、私たち日本社会に生きる者なりの、「分断体制」克服への共同精神、「現状変革」への共同作業について考えていきたいと思う。
 なお、この記事のタイトルに関連し、白楽晴さんとしては『京郷新聞』への批判という面よりも「民主改革勢力の連合」という面に重点をおきたいという。また、いくつかの質疑応答が省略されているが、その中で特に重要と思われる項目について、元の『京郷新聞』における応答を最後に補充した。

『京郷新聞』は保守派マスコミのように忠誠を強要するのか 『プレシアン』2010年10月20日から

 白楽晴ソウル大学名誉教授は、最近民主労働党を声高に批判している『京郷新聞』に対し、「保守派マスコミのように思想を検証し、忠誠を強要するのは問題」だと苦言を呈した。それも、『京郷新聞』とのインタビューにおいて。
 白楽晴教授は20日、朝鮮半島平和フォーラムの創立1周年にあたって行われた同紙とのインタビューで、「(北の三代世襲は)私たちの国民情緒に合わないだけでなく、民主主義の一般的常識にも合わないという点は明らかだが、短答式の原則表明で何とかなるものではない」と述べ、次のように語った。
 白楽晴教授は、「民主労働党に対する京郷新聞の問題提起は、趣旨は異なるとはいえ、何か久しぶりに時流に一致する自信があるのか、どこか高圧的な姿勢を感じた」と述べ、「世襲がいいか、悪いかで区分する次元ではなく、社会的な討論の対象にする必要がある」と主張した。
 白教授は、「かつてのNL(民族解放)―PD(民衆・民主主義)路線争いの延長上で、一方は北に対する問題提起をするだけで平和を脅かす行為だと責めたて、他方は民族和解や朝鮮半島の究極的統合に対するビジョンも、関心もなしに相手を親北と罵倒する傾向があった」と述べ、「今日はもう一歩前進しうるほど進歩陣営や社会全体が成熟した」と強調した。
 白教授は、「北の三代世襲を批判する時、どんな基準を適応するのか、検討してみるべき」だとし、「経済権力の世襲はかまわないが、政治権力の世襲はダメだという“韓国式標準”を適応するのか、そうではなく“グローバル・スタンダード”を適応すれば、権座の世襲は無条件にダメだという世界標準があるのか、問わなければならない」と語った。
 彼はまた、「世界標準は民主主義とか、人権、生存権などであり、世襲問題はその標準を適用して判断すべき一つの事例だと考える」と述べ、「しかし、分断体制が解消されないので韓国が自由で民主的な社会を建設するにも限界があり、北が正常な社会主義国家になるのはそれ以上に不可能だ、というのが私の持論であり、北の世襲体制が世界標準に反するのは当然だと思う」と主張した。
 次いで彼は、「同時に、それを突然気がついたように騒ぎ立てることにも共感しがたい」とつけ加えた。
 北の人権問題についても、彼は「北の人権問題の解決策として、北の現体制を早く打倒するのが最善と主張する方々がいるが、韓国とアメリカが倒れろといっても倒れないだろうし、倒れたとしても人権状況が自動的によくなるものでもない」と語った。
 彼は「一方で、とにかく北を助けて交流するならば、中国やベトナムのように改革・開放に進むだろうと期待するのも安易だ」と述べ、「解法は6・15共同宣言の中にある」と強調した。彼は、「恒久的な分断状態に留まりながら交流・協力するのでもなく、すぐに統一するのでもない、国家連合という中間段階を経ながら漸進的に再統合し、それに見合った内部変化を進めようというの」が、「たやすくはないが、北の人権改善の最も確実な道」だと主張した。
 2012年総選挙と大統領選挙における野党系の連帯について、彼は「一応あらゆる討論をするが、自分と他人の立場を不当に誹謗することは避けねばならない」と述べ、「来年の初め頃に、大筋がつかめればと思う」と語った。
 彼はまた、「韓国の民主改革勢力が執権する時はDJP連合、ノ・ムヒョン―鄭夢準連合など、いつも連合した」と述べ、「だが、市民社会が関与した連合政治が多少とも実現したのは今年6月の統一地方選挙が初めてであり、2012年には市民社会の力がもっと別の水準に至るはず」だと展望している。
<『京郷新聞』インタビュー記事の補充>
問:去る6月2日の統一地方選挙を契機に、与野党を問わず福祉関連の論議が広がりましたが、福祉国家が進歩派にとっての対案になりうるでしょうか。
答:福祉関連の論議が全面化されたのは歴史的に一歩前進ですが、進歩派にとって対案になるかどうかは簡単ではありません。与党候補が福祉はやらないと言い、進歩派の側でしようと言うなら話は簡単ですが、(与党の有力候補である)朴槿恵氏も福祉国家に向かおうと言っているので、福祉をより全面的に行おうという側が必ず勝てるかは疑問です。福祉を主張する進歩的な人々は、大抵南北関係の発展いかんが韓国社会の福祉と直結しているという認識が足りません。福祉を行おうとすれば財源が必要であり、推進する動力がなければなりません。このいずれもが、南北関係がうまくいってこそ可能です。さらに、福祉社会の建設とは、福祉の実現にその受恵者である市民の能動的な参加を拡大させる民主主義のアジェンダが伴わなければ、“建設族”に続いて“福祉族”を量産する憂慮があります。
韓国の知性、新しい時代を語る第5回
 白 楽晴氏の論考を翻訳し掲載のための労をとってくださっている青柳純一氏から、本論稿の掲載にあたり、この間、論稿の掲載が間遠になったことについてのコメントとあわせ「解題」が届きました。
 昨年の「天安艦事件」から一年になります。この「事件」をどうとらえるのか、この間、韓国国内にとどまらず世界的に議論、論争が重ねられてきました。「天安艦事件」が朝鮮半島の南北関係のみならず米朝、中朝関係をはじめ北東アジア情勢に大きな影響を及ぼしたことは言うまでもありませんが、ここに掲載する白 楽晴氏の論考は「天安艦事件」を見据える際にきわめて深い示唆と問題提起を含む重要な論文だと考えます。
 翻訳のみならず、Web掲載について、「世界」編集部をはじめ関係する皆さんへの調整も含め、すべては青柳氏のご尽力に負うものであることを記してこころからの感謝を表します。

 「韓国の知性、新しい時代を語る」第5回掲載にあたって                     青柳純一
 諸般の事情から本欄をしばらく休んでいたが、第5回「2010年の試練を踏まえ、常識と教養の回復を」掲載にあたって新たな思いを書きとめておきたいと思う。
 まず到達目標として、今回のような途中休載があろうとも8年後の2019年3・1独立運動100周年をめざしたい。 そのためには、自分自身の健康もさることながら、このホームページ運営者の木村知義さん、白楽晴先生(以下、敬意を込めながら「さん」付けとする)、そして連れあいの青柳優子が健康であることが条件になるだろう。その上で、8年後に今よりは多少なりともマシな東北アジア、あの3・1独立運動の理念が概ね実現化している、平和共存する東北アジアの姿を見たいと思う。つまり、「南北コリアの分断体制」の克服とともに、その「南北コリアと日本との分断体制」の克服(少なくとも8年後には、先日の「前原外相の辞任騒動」に見られる、差別意識の噴出という愚行が批判される日本社会にしたい)が核心的な課題である。
 こうした思いは以前からあったが、昨年の「韓国併合100年」を契機とした日韓市民交流の一方で、3月の天安艦沈没事件と11月の延坪島砲撃事件が起きたことで、その思いは一層強まったといえる。
 そこで、3月から4月にかけて4回にわたって白楽晴さんの論文2本とインタビューをやや変則的な形で翻訳、紹介したい。
 その理由の一つは、論文2本が『世界』2011年3月号と別冊号「新冷戦ではなく、共存共生の東アジアを」に紹介されていることに加え、それへの「追記」も含めて紹介したいからである。
 関心のある方は、ぜひ『世界』3月号と別冊号を参照していただきたい(なお、原文は『チャンビ週刊論評』2010年12月30日号と『創作と批評』2011年春号である)。
 もう一つの理由は、最初に紹介する文章が「天安艦事件」と「延坪島事件」の関連について集中的に考察しているからである。そして、この文章を読みながら、「延坪島事件」の勃発以来、私の中で発酵していた疑問が整理され、「天安艦事件」に対して6:4で「A説」(本文参照)中心の意見だった私自身が、今は8:2でB説を支持するまでに変わったと自覚している。それほど、私にとって説得力ある文章だったので、まずはこの文章から「追記」も含めて紹介していきたいと思う。
 
         2010年の試練を踏まえ、常識と教養の回復を        白楽晴(『創作と批評』編集人、ソウル大学名誉教授)

1.はじめに
 韓国社会にとって2010年は、とりわけ試練に満ちた年だったと感じられる。去る11月23日に朝鮮半島の西海で勃発した延坪(ヨンピョン)島砲撃事件から1カ月余りの間、悲しみ、憤怒し、不安を感じることが続いたために、特にそう思うのかもしれない。
 延坪島事件自体、その理由と経緯はどうあれ、南の領土に対する北の意図的な砲撃であり、衝撃と憤怒を抱かせるものだった。さらに、南の初期対応が余りにもお粗末なことに不安を感じ、遅ればせに「全面戦も辞さない」と叫んで危機を煽るやり方はむしろ不安をつのらせ、憤怒までもかきたてた。
 ところで、12月8日には国会で与党ハンナラ党の議員が安保危機の隙に乗じて予算案などの強行採決を敢行した。三権分立と法治主義が完全に踏みにじられ、民主主義の危機という言葉があらためて実感させられた。強行採決の最大の動機は、4大河川事業といわゆる「親水区域法」(注1)という関連悪法の推進だったようだ。これによって自然破壊はもちろん、法治と民主主義の破壊も加速化する展望である。そうかと思えば、政府が誇る迅速な経済回復は、それ自体を疑問視する一部の専門家の見解はさておき、庶民生活の不安解消と雇用拡大を実現できなかった。それどころか、それなりの仕事についている層でも、子どもの養育費や塾などにかかる経費の負担に耐えられず、若者の「出産スト」が続いているあり様だ。
 南北関係では、11月29日の談話で李明博大統領自身が、北朝鮮の自発的な核放棄の可能性を排除したため、「非核・開放・3000」(注2)政策の実質的な破綻を自ら認めたことになる。今や、残された道は戦争か、あるいは日常的に危険を感じつつ北朝鮮が倒れてくれるのを待つしかない。
2.「天安艦」という転換点、そして「延坪島」との関数関係
 延坪島攻撃の背景には累積された南北間の敵対関係があるという点は、誰もが認めている。李明博政権の発足後、緊張状態は時おり起伏を繰り返しながら続いてきた。ところが、その「緊張」が「敵対」へと転換したのは、去る3月の天安(チョナン)艦事件(注3)だった。したがって、今日の状況を正しく判断するためにも、その転換点に戻って冷静に再検討してみる必要がある。正しい対応は、正確な状況認識によってのみ可能だからである。
 延坪島事件後、天安艦への攻撃も北の仕業だろう、という大衆的な情緒が拡散している。同時に、政府発表に疑問を提起する人々が「親北左派」と追及される可能性もひときわ高まった。だが、天安艦の真実自体は大衆の情緒や政治論理によって決定されるものではないはずだ。それはどこまでも事実の領域にあり、理性と論理にしたがって識別されるべき問題なのである。
 天安艦沈没の真相に関しては、不幸にも、未だに科学と理性の検証を経て合意に達した結論は出ていない。いわゆる民間・軍合同調査団の発表は科学界の検証をパスすることができず、他方で外部にいる科学者は資料に対する接近が制約された状態にあって独自の真相究明は不可能だった。したがって、「延坪島」と「天安艦」の関数関係もまだ正解を得ることは不可能である。ただ複数の仮説を立てて、それにそった結論が推定できるだけである。
 分かりやすく、次の2つの仮説を想定してみよう。
 仮説A:たとえ民間・軍合同調査団の発表が矛盾に満ちたものだとしても、北朝鮮の攻撃によって天安艦が沈没したのは確かであるという説。
 仮説B:真相の全貌はともあれ、北朝鮮による天安艦への攻撃はなかったという説。
 仮説Aの場合、延坪島事件は何を物語るのか。まず、天安艦を撃沈した北朝鮮軍が、今回また延坪島を砲撃したのなら、これはまさしく我慢ならない挑発行為である。その上、砲撃によって海軍兵士2名を殺し、何軒かの民家を焼いて、あれほどまでに意気揚々としている連中だから、神出鬼没の手法で天安艦を撃沈し、海軍兵士46名を海の藻屑にする輝かしい戦果をあげたと自慢してもいいはずである。それなのに、絶対やっていないと白を切るとは、そんな政権はほとんど精神異常レベルの犯罪者集団と言わざるをえない。
 また、仮説Aが正しい場合、わが軍の対応も単に安直かつ無能という域を越えてほとんど犯罪的である。北の攻撃によって天安艦を失い、多くの人命が犠牲となって国中、そして国際社会が大騒ぎしたというのに、延坪島攻撃計画を8月に無線傍受しながら、いつものたわごとだろうと無防備なままでやられてしまったというのなら、一体こんな軍隊がどこにあると言うのか。国防相の更迭程度で済まされる問題ではなく、軍首脳部の大々的な改編が行われてしかるべき事態である。
 逆に、仮説Bの場合、韓国軍の対応は多少とも理解できないわけではない。北が天安艦を攻撃しなかったという事実を、少なくとも政府の核心メンバーと軍首脳部は知っていたので、8月に無線傍受した内容を聞いても常習的な脅しに過ぎないと判断したと考えられる。もちろん、そうだとしても重大な判断ミスであることは明らかであり、事件発生当時の無気力な対応に対する責任を問わねばならないが、「こんなの軍隊じゃない」という汚名を被るほどではない。
 仮説Bの場合、北の政権についても、仮説Aの場合とはかなり異なる認識にいたる。南の領土に対する砲撃が、停戦協定と南北基本合意書の違反であり、容認できない挑発である点は変わらないが、彼らなりの緻密な計算を遂行した結果である確率が高まる。南北首脳会談の話まで持ちあがっていた状況が、天安艦の沈没を機に一挙に敵対関係に変わり、国際社会で犯罪者の烙印を押される危機に直面し、各種の大規模な米韓軍事訓練が続く中で、ついに彼らなりの計算された勝負手を打ってきたのである。その結果も一方的な損失ばかりではない。南の国民の人心を失ったことは何よりも大きな損失だが、そうした長期的な考慮は、元来北朝鮮当局の目算では大した比重を占めていない。それよりも内部の結束を強化すると同時に、西海地域を明確な紛争地域として国際社会に刻印するのに成功し、対米交渉において――韓国軍の武力デモンストレーションへの対応自制と平壌に来たリチャードソン知事(ニューメキシコ州)との合意も合わせ――新たな契機をつくったという点を自賛している可能性が高い。
3.2011年、常識と教養の回復を始める年に
 上記の二つの推論のうち、どちらがより妥当とみるかは、各自の所信と良識にしたがって判断すべき問題である。しかし、忘れてならないことは、それがどこまでもAとBという、両立不可能な前提から出発した推理であり、二つのうちどちらの前提が正しいかは、徹頭徹尾事実の次元の問題だという点である。
 もちろん、世の中万事を科学に任せることはできない。例えば、真実究明後の状況にどう対処するかは、科学のみでは決定できないし、科学的真実が無視される状況をどのように突破するかも自然科学以上の教養と実力が求められる。だが、科学の領域を超えてやるべきことはやるにせよ、科学の領域に属する事案において科学の権威を認めることこそ人文的教養であり、自らの生き方の主人たろうとする民主市民が備えてしかるべき要件なのである。
 とまれ、天安艦沈没の原因が魚雷攻撃だったのか、座礁だったのか、機雷爆発だったのか、あるいは座礁後の機雷爆発だったのか、という問い自体はひとえに物理学、化学などの自然科学によって究明されるべきことである。そこには左も右も、進歩も保守もないのである。それでも、この問題が政治論理と思想レベルの攻防戦に巻きこまれたのは、2010年に韓国が経た骨身にしみる挫折の一つであったし、政府や国会、メディアのみならず、私たちインテリ層全般にわたる薄っぺらな教養を露呈させた事件であった。
 しかし同時に、2010年の韓国社会が無教養と没常識で一貫していたわけではなかった。一身上の不利益をも顧みず、真相究明に勇敢に立ち上がった諸個人の献身があったし、彼らに呼応した大勢のネティズン(インターネット利用者)や匿名の科学者がいた。何よりも6・2統一地方選(注4)で、この地の平凡な市民たちは意図的に助長された「北風」(北朝鮮脅威論と、それに基づく対北強硬姿勢)を鎮め、李明博政権に厳重な警告を発したのである。
 ところで、本当に難しいのは天安艦沈没の真実が明らかになった時ではないか。仮説AとBのうち、どちらが真実であっても、私たちが普通考えている以上に、事態はずっと深刻である。Aであっても戦争はダメだという命題は依然として有効だが、犯罪的であるばかりか、予測不能の北朝鮮政府が核兵器まで保有した、この危険千万な事態をどのように管理するのかは、難題中の難題である。反対にBの場合のように、北朝鮮からの攻撃はなかったのに、韓国政府自らがそうした途方もない歪曲と情報操作まで犯したならば、これまたあまりにも困り果てた、危険千万な事態である。事態をとり繕うためのまた別の強引な手段も排除できないし、私たちの手で選んだ政府があまりにも早く、あまりにも深刻なレイムダック現象に陥ることも決して望ましいことではない。一般市民の健全な常識と、保守・進歩の古い枠組を超えた合理的な力量を結合させることによって危機的な局面を収拾し、新たな跳躍を成し遂げるべき時である。
 1987年に民主化を達成して以来の韓国社会は、選挙による政権交代の可能性が開かれた社会であるだけに、2012年の総選挙および大統領選挙との関連を抜きにした「新たな跳躍」は現実性に乏しい。とはいえ、2011年に各界各層において常識と教養の回復を始めながら国政全般の改編を準備することなしには、2012年にも大きな成果を期待することは難しいだろう。何よりも、連合政治[最近の韓国では、政治的協力を意味する政治連合と区別してcoalition politicsの意味で使う]の大切さを確認した統一地方選の教訓を、異なる条件に合わせて生かす知恵が必要であり、そこにはこの間選挙とは無縁に韓国社会のあちこちで成熟してきた新たな気運を必ずや反映させなければならない。4大河川事業に抵抗する宗教界と市民社会の頑張りはまだ政府の方針を変えるには至っていないが、韓国社会の体質を変えてきている。底辺民衆の生存権のための闘いとして、起隆電子の労働者やKTXの女性乗務員(注5)の貴重な勝利が記録されたことも、その外形的な規模だけで判断すべきではない。
 そうしてみると、2010年は挫折も多かったが、成果もまた無視できない一年だった。私自身は、昨年の挫折と成果を踏まえ、新年はいかなる年にも劣らぬ進展があるだろうと夢を膨らませている。
4.追記
 2010年に南北関係が悪化した経緯を顧みると、決定的な契機は3月の天安艦事件だった。その前にも緊張はしていたが、戦争の危険を感じるほどではなく、むしろ南北首脳会談の話が広まるほどの雰囲気だった。私自身も2010年初めの朝鮮半島情勢をして、「紆余曲折を経ながらも対話局面に入っており、朝鮮半島は包容政策が再稼動する時期を迎えた状況にある。李明博大統領でさえ、自らが今年中に南北首脳会談の実現を公然と予想する局面である」(注6)と、多分に楽観的な展望を発表した。これは、執権集団の真剣さの不足や無能さを十分に勘案できなかった軽率な発言だったが、天安艦事件がなければ、「今年中に南北首脳会談」云々が突出発言で終わったにせよ、公然たる敵対関係への転換にはなりにくかっただろう。
 ともあれ、そうした相対的な宥和局面で、北側が天安艦に対する魚雷攻撃を敢行するとか、反対に、南側が初めからこの事件を操作した自作劇を演じたならば、それはどちらの場合であれ、私のような人間は自らの安易な現実認識に対し、極めて悲痛な自己反省をすべきである。しかし、1964年ベトナム戦争拡大の契機になったトンキン湾事件のような緻密な自作劇ではなく、ある種の事件・事故を収拾する過程に様々な要因が複合的に作用し、国防省の調査が真相とは異なる方向へ走りだしたのならば(注7)、これは分断体制に内在する危険性を反芻する理由にはなっても、天安艦の沈没がなくても、2010年の南北関係は必然的に破綻する運命にあったと断定することはできない。
 いずれにせよ、天安艦問題がどのように解決されるかによって、国内政治と南北関係、さらに東アジア全体の情勢は大きく異なってくるだろう。ここでも、「第三当事者」(である韓国の民間社会)の役割が期待され、実際にその役割なしには真相の究明は期待しがたい実情である。
 天安艦事件の真相はどうかによって、延坪島事件に対する理解と対応する姿勢も全く異なってくる。これに関連して私は昨年末、天安艦事件は「北朝鮮の仕業である」(A説)と「北朝鮮の仕業ではない」(B説)という、二つの仮設を立て、どちらが正しいかによって、北の政権の形態や、韓国軍の対応に関して、それぞれいかなる結論が導きだされるかを検討したことがある(注8)。もちろん、A説とB説のどちらが真実に合致するかは、ひとえに科学的に究明すべきことであり、そこに政治的考慮や折衷案が入りこむ余地はない。だが、いまだに科学界が合意した結論がない状態で、二つの可能性をともに検討してみることは意味のある作業である。要約すれば、どちらの仮説が正しいかによって、北の政権が単純に好戦的なのにとどまらず、天安艦の攻撃で延坪島よりはるかに戦果を挙げた時には白を切るのに汲々とする理解不能な政権なのか、あるいは延坪島では明らかに停戦協定に違反した危険な政権だが、それなりに予測可能な分別をもった集団なのか、によって異なってくる。また、韓国政府と軍の場合も、天安艦への攻撃を経ながらも延坪島への砲撃に無防備状態でまたやられた呆れはてた集団なのか、あるいは初動対応は不十分だったが、北の砲撃計画に対する8月の無線傍受による報告(注9)を黙殺したこと自体は起こりうるレベルのミスだったのか、によって全く異なる判断が出るだろう。
 こうした推論を朝鮮半島問題の他の主体についても適応してみよう。例えば米国政府の場合、初めは天安艦沈没と北の関連を否認したが、ある時点から仮説Aの強力な支持者に変わった。これが何か確固たる情報を握ったためなのか、あるいは中国を牽制して韓国や日本から具体的な実利を得るために韓国政府の調査結果に眼をつぶって強硬姿勢に転じたのか、を分かつ根拠になる。
 中国の場合も、天安艦の沈没が北の仕業であることを知りながらも、無条件同盟国をかばうのならば国際社会の非難を浴びても仕方ないが、北の仕業でないならば、その事実を中国もまた知らないはずはなく、韓国政府がそんな中国に対し、「責任ある大国」らしく行動せよと、訓戒調で発言する場合、中国政府としてはどんなに笑止千万だろうか。当面は「冷静と自制」を勧めて大様に対しながらも、別の機会に(同年12月の中国人の不法漁労取締まり事件が起きた場合)はるかに強力に反撃しても驚くことではないし、延坪島砲撃のような北側の明白な挑発行為に対する韓・米の糾弾、ないし憂慮表明の要求さえ、耳の裏で聞く素振りをしたのだろう(注10)。これは当面の韓中関係問題だけではない。朝鮮半島の非核化を進めようとすれば、とにかく中国の適切な対北圧力を含めた「責任ある強国」らしい役割が必須である。だがこれは、(2005年)9・19共同声明当時にも見たように、韓国が米国だけでなく北朝鮮および中国とも信頼関係を結んで能動的な寄与をする場合、中国が北にあまり圧力を加えなくてもいい仲裁者の役割を担うことで可能になる。韓国が米国をカサにして中国に「北朝鮮を強く圧迫してあれこれさせるようにしろ」と責めたてて中国が素直に応じると信じるのは、虚妄な夢に過ぎない。
 ともあれ、「天安艦に加えて延坪島まで」という当局側の仮説は、南北双方で国家主義の威勢を遺憾なく高めてしまった。北は当初から「先軍政治」を標榜してきたのでそうだとしても、天安艦事件以後の南の国防当局や主流社会の行動形態は、国家主義と軍事文化の大々的な強化を生んでいる。我々も先軍政治をすれば、という欲望の噴出ではないかと疑うほどの形勢である。ともあれ、分断体制こそが国家主義、それも悪性の分断国家主義の絶えざる源泉であり、分断体制の解消や少なくとも緩和なしには、韓国社会が後進性と野蛮性を脱皮できないことを実感させられる。

<注>
①「4大河川事業」とは、李明博政権が2008年下半期から韓国内の4つの主要河川で洪水予防と水不足の解消、水質の改善を目的として推進中の大型土木事業である。生態系の破壊を憂慮する[反対運動の理由には、この憂慮に加えて政府が掲げる目標の達成は不可能との判断も含まれる]地方自治体と野党勢力、学界、環境団体、宗教界などの国民的な反対にもかかわらず、工事を強行している。「親水区域法」とは、12月8日国会本会議で与党ハンナラ党が単独で通過させた法案で、4大河川の周辺にレジャー・観光施設を開発するというのが、その要旨[国会の予算審議を避けるため、工事の主要部分を韓国水資源公社に一任し、その莫大な財政負担を補完するため同公社に特恵的な開発権を付与]である。野党勢力と市民団体は、4大河川事業の莫大な費用を回収する狙いがあると反発している。
②「非核・開放・3000」とは、李明博政権の対北政策の核心的基調であり、北朝鮮が核を放棄して開放する場合、10年以内に一人当たりの国民所得が3000ドルになる程度は支援するというものだが、北の核放棄を大前提に掲げ、南北関係を実質的に中断させた非現実的な構想という批判を浴びてきた。
③天安艦事件とは、3月26日に朝鮮半島の西海上のペンニョン島近海で韓国海軍の哨戒艦「天安艦」が沈没したことを指す。この事件によって韓国海軍の兵士40名が死亡し、6名が行方不明になった。李明博政権は民間・軍合同調査団を構成して調査を行い、5月20日天安艦が北朝鮮の魚雷攻撃によって沈没したと発表し、この事件を国連安全保障理事会に回付して対北糾弾決議案を引き出そうとした。だが、中国とロシアの反対により、7月9日北朝鮮の責任を明示しない議長声明の採択にとどまった。
④2010年6月2日の統一地方選挙は、政権後半期を迎えた李明博政権に対する中間評価という政治的意味を帯びた。この選挙で野党勢力は広範な連合政治を形成し、与党ハンナラ党に対して全国的な勝利を収めた。
⑤起隆電子と韓国鉄道公社(KORAIL)のKTX(韓国の新幹線)の女性乗務員は非正規雇用をめぐる問題の代表的な事例であり、最近4~5年間にわたる法廷闘争を含む争議闘争を通じて正社員への格上げを要求してきた。その結果、会社との合意が成立したが、その適応は最後まで残った少数の人に限られた。
⑥拙稿「“包容政策2.0”に向けて」『創作と批評』2010年春号、75頁。
⑦こうした可能性を考慮せざるをえなくする様々な論拠については姜泰浩編『天安艦を問う』[チャンビ、2010年]に数多く提示されている。中でも、3月26日事件発生から5月20日中間発表にいたる間の真相調査の流れを細かく時期別に分析した文章として鄭鉉坤「天安艦事件の流れと反転」を参照。
⑧「2010年の試練を踏まえ、常識と教養の回復を」『チャンビ週刊論評』(weekly.changbi.com)、2010.12.30.この文章の英訳は、The Asia-Pacific Journal: Japan Focusに2011年1月10日付けで掲載された (Reflections on Korea in 2010: Trials and Prospects of Recovery of Common Sense in 2011. http://japanfocus.org/-Paik-Nak_chung/3466)。日本語訳は『世界』2011年3月号に掲載された。
⑨「北の挑発の徴候、3カ月前から傍受さる」『毎日経済』2010年12月2日。「国家情報院をはじめとする情報当局は、北の延坪島への武力挑発の3カ月前の去る8月から無線傍受を通じて西海五島に対する北の挑発の徴候を把握していたものと1日発表した。元世勲国家情報院長はこの日の国会情報委の全体会議に出席し、『去る8月、無線傍受を通じて西海五島に対する大規模な攻撃計画を確認しなかったのか』という一部議員の質問に対し、『そうした分析をした』と答えたと情報委の幹事である民主党の崔ジェソン議員が伝えた」。
⑩中国共産党の機関紙『人民日報』の国際専門誌『環球時報』は12月23日の社説を通じ、延坪島事件以後の韓国が繰り返す軍事訓練を批判しながら、「中国はこの間穏便に韓国に諭してきたが、韓国が思い通りに行動して朝鮮半島の平和と安定を脅かすならば、中国は相応する行動を示すべきである」と主張した(『Views and News』2010.12.24. www.viewsnnews.com /article /viewjsp?seq=70477)
韓国の知性、新しい時代を語る第6回
「“2013年体制”を準備しよう」掲載に当たって
 この「韓国の知性、新しい時代を語る」のページに掲載する論稿の選択から筆者との折衝そして訳出まで、本当に労を惜しまず力添えをしてくださる青柳純一氏から白楽晴氏の論稿 「“2013年体制”を準備しよう」が届きました。2万字をこえる論考のボリュームのみならず、そこで語られる示唆深い内容と込められた”熱”にまさに圧倒される思いがします。
 初出は『実践文学』2011年夏号(102号)に掲載されたものですが、翻訳されて、白楽晴氏が編集人を務める季刊「創作と批評」の日本語サイトに掲載されました。この日本語サイトは「創作と批評」の発刊40周年の2006年に「創作と批評」インターネット日本語版として開設されたものです。韓国の知性と良心のよりどころとして、韓国・朝鮮半島のみならず東アジア、世界に目を向け、時代と対峙し、ひるがえって韓国社会を鋭く見つめる営為の結晶というべき季刊誌「創作と批評」のすべての論稿、文学作品が翻訳されているわけではありませんが、同じ東アジアに生きる私たちにとって触発されるところ大だと感じます。
 以下に「日本語版発刊の辞」のページのサイトを記します。
  http://jp.changbi.com/notice/19
 ここから各論稿のページに進めます。ぜひ一度この日本語サイトを訪れていただければと思います。
 重ねて、今回の論稿の転載をご快諾くださった白楽晴氏と訳出から折衝にあたってくださった青柳純一氏に心からの感謝を申し上げます。
 なお、本文中 1)など、)付の数字は原注、①など、◯付数字は日本の読者のための翻訳者注です。 

【解題に代えて】       訳者 青柳純一
 朝鮮半島のみならず、東北アジアの未来を左右する2012年12月の韓国大統領選挙はすでに始まっている。というのは、来年4月に総選挙(国会議員選挙)があり、その結果が年末の大統領選挙に大きく影響するからであり、もう一つには与党ハンナラ党の候補者は朴槿恵元代表(1979年に暗殺された朴正熙大統領の娘)にほぼ確定したといえるからである。この選挙の歴史的意味については今後徐々に明らかになるはずだが、本論文のタイトルを見た瞬間、私にはピンとくるものがあった。一読してやはり、この選挙を未来像の提示=政策論争へと導く「記念碑的文献」と確信したので、ここに紹介したいと思う。
 この論文は、来年の選挙を通じて「平和体制の構築と南北連合の建設」を核心議題とする”2013年体制”を準備しよう、と主張する。つまり、来年末の大統領選挙に勝利するためには未来構想の基本を明確にして、選挙の過程でその構想を実現する体制を確立していこうというのである。この発想転換が社会を、時代をリードする時、「政権交代」は現実化する。
 ところで、約40年前の日本では四半世紀を経た戦後社会の進むべき道をめぐって知識人の社会的役割が問われていたにもかかわらず、その真意を理解した知識人、そして市民はほとんどいなかった。また、分断体制下の南北、そして米ソの冷戦体制下では、東北アジアという概念すら成立しがたかった。それに比べて今、韓国の知識人の眼前には、1987年民主抗争の勝利(あれから四半世紀)と米ソ冷戦体制の崩壊により誕生した東北アジアがある。「老大国」の日本とアメリカに代わって民主化青年期を迎えた韓国、そして中国は「近代」を克服できるのか、あるいは埋没するのか。
 この論文は、白楽晴氏という現代韓国を代表する知性が「近代への適応と克服」という二重課題にむけ、社会を動かすという意味で、本格的に立ち向かう論考のはしりである。私の予測だが、2013年までにこれに続く数本の論文を通じて社会を、時代を動かしうるのか。その意味で、彼を代表とする韓国知識人の挑戦が本格的に始まったといえる。無関心こそ、社会と未来、そして人生の墓場である、とある人はいう。韓国の“2013年体制”がどうなるのかに関心を寄せつづけ、日本の未来にどう取り入れていくのか。私たち日本の市民も“2013年体制”の受け皿を準備していく必要がある。10年前の準備不足=認識不足を繰り返してはならない。
              “2013年体制”を準備しよう        白楽晴(『創作と批評』編集人、ソウル大学名誉教授)
1.はじめに
 本稿は、去る3月10日江原道にある「韓国DMZ①平和・生命の園」において、市民平和フォーラム(共同代表:李承煥・李庸セン:王へんに宣・鄭鉉栢)の主催で開かれた「2011年平和と統一のための市民活動家大会」の基調報告として作成された1)。「平和を考えてみよ、市民運動が大きく変わって見えるはず!」というテーマで開かれた同大会が異色だったのは、平和運動家や統一運動家だけではない「市民活動家」の多数が平和と統一をテーマにして集まったという点である。それは朝鮮半島の住民の当面する時代的課題が「分断体制の克服」であり、これを実現する朝鮮半島式の統一過程は「市民参加型」になるだろう②と主張してきた私としては極めて歓迎すべきことだった。
 分断体制論の概念がすべて自明なわけではないので、本稿でも若干の説明を時々加えるが、単なる分断克服ではなく分断体制の克服である。つまり、いかなる統一であってもとにかく統一してみようというのではなく、市民が積極的に参加して南北双方の私たちの暮らしを圧迫している現存の分断体制下よりもはるかに良い暮らしを実現しようというのが基本的趣旨である。そのため、各分野の市民運動が即平和運動となり、統一運動となる必要が切実に求められている。また逆に、平和運動や統一運動も市民運動を兼ねざるをえなくなったと言える。韓国市民社会および市民運動のこうした進化は「変革的中道主義」、すなわち分断体制の変革のために幅広い勢力が中道に結集する路線の成否を左右するだろう2)。
 本来、大会の基調報告を準備した際のタイトルは「2011年の朝鮮半島情勢と2012年韓国の選択」であった。しかしその後、2011年と12年の話をする前に2013年以後を描いてみる手順を踏むことにして「2013年体制の準備」を本稿のテーマにした。今日、私たちに何よりも必要なのは“願”③を大きくたてることだと信じているので、目前の現実よりも一歩先の話から始めようと思う。たとえ2012年の選択が重要とはいえ、その年の二大選挙(総選挙と大統領選挙)にあまりにも論議が集中して私たちが目標とする選挙後の生活に関する思考が制約され、時期尚早の政治工学的な論議に埋没しては厄介だからである。
 李明博政権3年余りにして、国民はすっかり疲れ果ててしまった。それで、今より少しでも楽になればという気持がかなり広がっている。李明博でさえなければ誰でもいいとか、野党が政権を奪還して少しは安心して暮らせたらという巷の声も聞こえてくる。人情の常とはいえ、そんな“小願”では再度の狼狽を味わいかねない。実際、李明博政権の登場自体、私たちの“願”があまりに小さく、“願”とは言いかねたがゆえに起きたのではないか。正義や倫理、民主主義、統一などには関心を示さず、もう少しカネを稼ぐとか、韓国だけで豊かな国に追いつけたら満足だと多くの人々が考え、それが即、人生の「成功」であるかのように浮ついていたのだ。その結果、その“小願”ですら達成できない失敗が大多数の国民の生活の現実となった。
 当然の話だが、2013年について語るとはいえ、2011年と12年に私たちがなすべき事を疎かにしようというわけでは決してない。“大願”をたてるということは、壮大な設計図だけを提示して今なすべきことをいい加減にするという態度ではない。大きな“誓願”④をたてた人であればあるほど、「小を以って大を成す」ことに心血を注ぐものである。今年と来年、私たちの実践が誠意にあふれて、賢い選択をするためにも「2013年以後」から考えてくるという逆の手順を踏むのも、そうした意味である。
 本稿の校正を終える頃、ちょうど4月27日の補欠選挙⑤を通じて民心の動向をある程度確認することができた。選挙結果については後にあらためて言及するが、“2013年体制”が決して空虚な構想ではなく、それを準備する作業も一層切実に必要だという点が明白になったのである。

2.なぜ2013年“体制”なのか
 いずれにせよ、李明博大統領は2013年2月に退場する。たとえ後任がハンナラ党から選ばれるにしても、「ポスト李明博」時代が始まる。まして野党が勝利すれば、再度の政権交代が実現する。だが、そうなっても単に「失われた5年」を飛び越え、それ以前の状態に戻っていくことで満足はできないのである。

・87年体制克服のために国民の底力を発揮すべき時期
 2013年に“体制”という用語をあえて付け加える理由がそこにある。1987年の6月抗争によって韓国社会が一大転換を成し遂げたことを“87年体制”という概念で表現するように、2013年以後の世の中もまた別個の“体制”と呼べるほど、もう一度大きく変えてみようというのだ。この場合の“体制”とは、英語のsystemよりは体系性が劣るregimeに該当するはずで、“2013年体制”という呼称は他のものに代えられるかもしれない。例えば、そうした転換を可能にした2012年の二大選挙を重視して“2012年体制”と呼ぶこともできるし、2013年以後の変化が短時日でより画期的な事件を生みだす場合、その事件に基づいて名前がつくられるかもしれない。タイトルの“2013年体制”にクォーテーション・マークをつけたのは、そうした可変性を念頭においたからである。
 今日私たちが生きている時代を“97年体制”と規定する立場もあるにはある。1997年IMF(金融)危機を契機にして、87年体制が新自由主義の支配する新たな体制に転換したというのだ。その論争に本格的に介入するつもりはない。ただ、私自身はいくつかの理由で97年体制論に同意しないことを表明し、先に進もうと思う3)。何よりも私は、「新自由主義」はこの30年間韓国を含めた現代世界の性格を規定してきたキーワードの一つではあるが、1997年IMF危機後の韓国の現実を糾明する場合ですら不十分な点が多い概念だと考える。「新自由主義の本格化」と言うならば、1998年以後に準備されていた各種の福祉政策が後退し、市場万能主義のイデオロギーが民主主義の言説すら圧倒するようになった2008年以後により適した表現である。とはいえ、その李明博時代の韓国でさえ、新自由主義の全面的な支配よりはあらゆる反自由主義的な旧態が共に復活している特異な社会というべきである。したがって、反民主的かつ反自由主義的であり、南北対決的だった軍事独裁政権を崩壊させた87年体制が、初期の建設的なエネルギーを使い果たしたまま、その末期的局面にまだケリをつけられずにいるというのが、より妥当な解釈だと思う。そして、1987年に6月抗争と7~8月労働者大闘争⑥を展開し、IMF危機という国家的な危機にもかかわらず、2000年の南北首脳会談を通じて韓国経済と民主主義の持続的発展を確保した、韓国民の底力がもう一度発揮される時が到来したと信じている4)。

・南北が共有する“2013年体制”の可能性
 さらに、“2013年体制”は87年体制とも異なるレベルの成果を達成できる。つまり、1953年停戦体制の成立後初めて南北が共有する時代区分を実現する可能性を有しているのだ。休戦後の韓国現代史に大きな画をなした4・19と5・16⑦、10月維新⑧、5・18民主抗争⑨、6月抗争、そしてIMF危機などは、すべて韓国社会に局限された事件であった5)。もちろん、いずれも南北関係や朝鮮半島の情勢に大きな影響を及ぼしはしたが、そのために北朝鮮社会の時代区分まで変わってしまうほどではなかった。他方、2000年の6・15南北共同宣言は南北を通じて“6・15時代”を切り開いたといえる素地が充分にある。しかし、それは多分に宣言的な意味であり、今後実現すべき課題を負わせたという意味であり、南北双方で大多数の住民の生活の現実が一挙に変わったわけではない。双方が共有する時代区分法と、南北それぞれの内部の現実に適した区分法の間にある隙間は依然として残されたのである。
 しかし今や、6・15時代の宿題をこれ以上先延ばしすることはできなくなった。6・15共同宣言を無視して生きてきたわずか3年余りの間に、朝鮮半島は人が暮らすにはあまりにも危険な空間になり、韓国の民主主義は無残にも後退した。かなり好調だと豪語する韓国の経済も、庶民の犠牲の上に一部の大企業を肥やしながら、厚顔無恥な環境破壊と公営企業および家計の負債増大によって支えられているのだ。こうした現状を打開するためにも、6・15時代の宿題の実行如何が、2013年体制の成立に必須となる。6・15共同宣言後に私たちが追求してきたし、2005年北京での9・19共同声明⑩と2007年10・4南北首脳宣言⑪によって見え始めてきた朝鮮半島に平和体制をつくることが、2013年以後の核心的な課題になるのである。
 単に、朝鮮半島で戦争の危険性を取り除くだけではない。いずれの国の国民であれ、戦争は残酷で平和は貴重であるが、分断体制下では平和は特別な意味がある。双方の既得権層が相手を敵視しながらも、その敵対関係による緊張と戦争の脅威によって自らの反民主的な特権を維持する名分が絶えず供給される体制、それが分断体制なのである。まさしくそのために、韓国市民の民主的力量が1987年の6月抗争や1998年の水平的な政権交代⑫で噴出するたびに分断体制の全体が揺さぶられ、平和に向けた積極的な努力が不可避となった。そして、6・15共同宣言によって南北の和解と協力の道が大きく開かれた時、韓国内の守旧勢力は必死の反撃を試みたのだ。不幸にも、彼らの反撃は2007年大統領選挙と2008年総選挙⑬を通じて、分断体制の克服運動に甚大な打撃を与えることに成功した。だが、分断体制を再び安定化させることはできず、“先進化体制”を成立させることもできなかった6)。とにかく、守旧勢力は2012年にも大衆を幻惑して選挙に勝利し、国家的な混乱が加重しても自らの私益を図り続けるためにあらゆる手段を動員するだろう。
 これに対して、私たちはスローガンや理想としての平和ではなく、朝鮮半島の現実が切実に要求する平和体制の樹立を設計して国民を説得できなければならない。この時に留意すべき点は、朝鮮半島における平和は漸進的・段階的な統一過程の進展と直結しているという事実である。換言すれば、あまりに急速で全面的な統一を追求しても平和の脅威になるが、統一を考えずに平和だけを語っても平和は達成できないのである。
 しばしば平和体制の構成要素として、朝鮮戦争の当事者による平和協定、そして米・朝、日・朝の国交樹立があげられる。また、これに先行あるいは随伴する条件として朝鮮半島の非核化が指摘される。だが、平和体制の成立に決定的に重要な非核化という、この難題を平和協定の締結と経済支援だけでは解決できない、朝鮮半島特有の事情を見逃してはならない。つまり、「北が完全な非核化に同意しようとすれば、いわゆる体制保障に対する北の要求がある程度満たされなければならない。だが、平和協定の締結と米・朝の国交回復、そして大規模な経済援助が行われたとしても、韓国の存在自体が脅威として残らざるを得ない事情」があるからだ。そのため、「朝鮮半島の再統合過程を比較的安定的に管理する国家連合という装置が準備されていく時、北の政権としては初めて非核化の決断を下し、自己改革の冒険を敢行すべき――たとえ完全に安心できないにしても――それなりの条件が満たされるはず」7)である。
 2013年以後の朝鮮半島が、6・15時代の再稼動を起点にして9・19共同声明の履行と南北連合の建設過程に入って行くなら、南北が共有する2013年体制の成立も可能になるだろう8)。もちろん南北連合は終着点ではない。ただ、分断体制の克服過程が不退転の境地に立ち至ったという点で決定的である。その後も相変わらず不確実性に満ちた冒険の過程になるだろうが、今のように主に庶民が圧迫されて苦しむ代わりに、南北双方の支配層が民衆のエネルギーに適応するためにハラハラする時代になるだろう。

3.平和体制、福祉国家、公正・公平社会
 平和体制の構築と南北連合の建設が“2013年体制”の核心議題になるだろうという点は、最近韓国政治のホットな争点として浮上した福祉問題との相関性を考えても実感できる。福祉問題が争点化されたのは、私たちの社会がそれなりに発展した証拠として歓迎すべきことである。そして、全面的ないし普遍的な福祉を主張する人々が、大体その本格的な実現が始まる時期を2013年とみる点で、福祉が2013年体制の主要な議題として設定された情勢である。
 福祉論議に本格的に介入することは本稿の目標ではない。2013年以後を設計する基本姿勢を検討しようというだけなので、福祉国家論が南北連合の建設を通じた朝鮮半島全体の問題解決を避ける場合、机上の空論に陥りやすい点を強調したいと思う。分断の現実を忘れた福祉国家論は、李明博政権の先進化論や北朝鮮の強盛大国進入論⑭と同じく、分断体制の維持論へと帰着しがちなので、それらの言説と同様、成功の可能性は乏しいとみなければならない。

・平和など他の主要議題と結合した福祉論議を
 福祉言説の現実性を高めるために平和言説と結合すべき必要性を、多くの人々は認めている。しかし、そうした認識は財政調達のために相当なレベルの国防費の縮減が必要だろうという計算を超え、戦争の危険が常存してこれを口実に守旧勢力が優勢な状況では、福祉拡大のための政治的エネルギーは生まれにくいという事実にまで達しなければならない。南北対決の状況下では、社会民主主義者でさえ「親北左派」と攻撃されるのがオチで、福祉社会を推進すべき人々や集団が様々な分野で似たような攻勢に悩まされる中では、勢力の効果的な結集が不可能だからである。実際に福祉の拡大は逆に分断体制の克服のための市民の力量の増大をもたらすので、守旧勢力の攻撃は一層激しくなって多角的に展開されることになる。分断の現実に対する冷徹な認識が欠如した福祉国家論は、その闘いで勝利するのは難しい。そうでなくとも、社会のあらゆる有利な高地を先占しているのが守旧勢力であり、分断の現実を悪用することに熟達した彼らに、「後天性分断認識欠乏症候群」⑮にかかった福祉言説で対峙する場合、どちらに勝算があるかは言うまでもない。
 一部では、昨年6・2地方選挙⑯で有権者の多数が全面的な無償給食を選択したことを普遍的な福祉を支持する民心だと解釈している。だが、2010年の無償給食論争はもう少し綿密に分析する必要がある。第一に、「四大河川事業を中断するだけで小・中学校の無償給食の費用が出せる」という認識のおかげで、財政調達の問題は大きな争点にはならなかった。第二に、無償給食は学校給食という特定分野では「全面」福祉に当たるが、社会全体では「選別的」福祉に当たる面もなくはなかった。つまり、全面福祉対選別福祉と鮮明な線が引かれたわけではなかった。さらに重要な点は――これが第三に検討すべき事項だが――、タダ飯は貧乏人の子どもにだけ食わせればいいという反対派の論理が、かえって「貧乏な家の子どもだからと、他人の顔色をうかがいながら食べなければならないのか」という怒りを刺激した面がある。食事、それも子どもたちが食べるご飯でケチくさいことを言う、という共感帯が刺激されたのである。その上、「無償給食」は厳密に言えば「親環境の無償給食」であり、義務教育の当然の一部という論理まで加勢した。つまり、6・2選挙時の無償給食論争は他の様々な争点とうまく結合して必勝カードになったのだ。そうした配合もなしに、全面福祉自体が今後も同じ威力を発揮するかどうかは未知数である。
 したがって、福祉を2013年体制の重要な内容とはするが、その実現のためには財政、経済成長、公正・公平、効率など多様な問題とうまく結合した設計が必要である。中でも、財政問題は福祉論議に必ずついて回るものであり、次の政権は現政権が急激に増大させた国家および公企業の負債を背負い込む運命にあるため、冷徹な計算が一層切実である。対北戦略強化を名分にして外国から高価な武器を購入する費用を含めて国防費を大幅に減らす特段の措置も必要であろうし、適正な経済成長を通じて税収や国富を増やす戦略も伴わなければならないだろう。

・福祉国家モデルに含めるべきこと
 福祉国家論の基本的趣旨が、すぐに福祉を全面化することよりも国家モデルを「福祉国家型」へと転換しようというものなら、一層他の国家的・社会的目標と結合した福祉モデルを設計しなければならない。例えば、既存の生産と消費の方式を生態親和的に転換する「親環境福祉国家」モデルでなければならず、同時に「性平等を志向する福祉国家」モデルにならねばならない。また、福祉国家であるが国家の役割を最小化して協同組合や市民団体、そして福祉の受恵者個々人の能動的参加が極大化する「民主的福祉社会」を志向すべきだろう。
 さらに、2013年以後進展する南北関係とどのように調和させるのかに関し、「汎朝鮮半島的な設計」が緊要である。例えば、スウェーデン・モデルが韓国に適合するという点を説得しようとする場合、韓国がスウェーデン・モデルを志向する時、南北連合の同伴者となる北朝鮮はどういうモデルを目指すべきかを提示できなければならない。南北がともにスウェーデン式(あるいは他のある先進国型)福祉国家になりうるというのは、国家連合段階を経ずにすぐに統一できるという話と同様、幻想的に聞こえる。その代案として、韓国はスウェーデン・モデルを志向し、北朝鮮は中国またはベトナム式の改革・開放へ進めばいいという主張もある9)。しかし、これもその程度は若干落ちるとはいえ、幻想的な二つのシナリオが同時に実現するという、また別の幻想ではなかろうか。反面、北がどうなろうと私たちは関係ないし、韓国だけで福祉国家をつくることが可能だという考えが「後天性分断認識欠乏症候群」の表現であり、すでに指摘した通り、それもまた別の幻想である。
 南北連合において、それぞれがどんな性格の福祉制度をもつのかについては、私もその答はない。だが、段階的に分断体制を克服するという世界史に類例のない実験の一部であるため、福祉制度もまたいかなる前例とも区別される創意的なものにならねばならず、またそうなるしかないだろう。南北が異なる内容ながらも互いに参照して調節し、朝鮮半島の実情にあう混合型モデルを作っていかねばならないのである。そのために、2013年体制に緊要な福祉問題に福祉根本主義で接近してはならず、与えられた現実と現実の変化を絶えず注視しながら、精巧な設計を持続的に整えていかねばならない。
 これは朝鮮半島的な視角だけでなく、東アジア的な視角にまで拡大する能力が要求されることでもある。南北がともに進む2013年体制ならば、当然6・15共同宣言とともに9・19共同声明の復元状態を意味するし、これは経済の低迷により相互依存と交流・協力が着実に増大している東アジアの地域協力を一層緊密で円滑なものにするだろう。この間、李明博政権が米・韓同盟に一方的に、それもあらゆる無理を重ねて依存したため、東アジアの連帯形成の過程で韓国政府の能動的役割はほぼ消えてしまった。2013年体制の形成はそうした役割――および民間レベルの画期的な交流拡大――を当然伴うだろうし、朝鮮半島の国家モデルを転換する作業もまた、そうした地域連帯を形成する脈絡の中で進められるだろう。

・より基本的なことと公正・公平問題
 さて、2013年体制の設計には南北連合とか、福祉国家とか、東アジア共同体という壮大なビジョンよりも、はるかに基本的で、ともすれば初歩的ともいえる問題を含めるべきである。人間の社会生活で基本になるものを蘇らせる時代にしなければならないのである。例えば、大統領をはじめとする高位公職者や指導的な政治家はとんでもない嘘をついてはならないということ。もちろん、政治家すべてが聖人君子になれとか、国政の運営を完全に公開しろという話ではない。ただあまりにも頻繁に、あまりにも見えすいた嘘をつくとか、あまりにも簡単に言葉を変えては困るのだ。それでは社会がまともに動かないし、正常な言語生活さえ脅かされる10)。ともあれよく考えれば、それは福祉の毀損であり、政治的・経済的効率の墜落であり、平和と安定を阻害する要因でもある。その上、「四大河川の蘇生」とか「公正な人事」などは言葉で終わる話ではない。実際、常識を超えた反則と私益追求の行為が大々的に行われているのである。
 こうした「基本的なことの回復」を2013年体制においてどのように具現するかは、現実に対する正確な分析と大衆の情緒を勘案した戦略的な選択を必要とする。その本格的な探求は私よりも準備が充分な人々に任せ、まずは思い浮かぶことを簡単に指摘すれば、国政目標レベルでは、前述した福祉問題との結合を提議した「公正・公平」という議題が、その中でも浮上するのではないかと思う。李明博政権の公正社会論⑰も、結果的には特有の国語の混乱現象の一部になってしまったから問題であって、それ自体は韓国社会に切実に必要であり、国民が望むことに迎合したのは明らかである。これに対して金大鎬社会デザイン研究所所長は、「『格差の解消』に劣らず、いや、それ以上に重要な時代的イシューながらも、言説世界ではまともな待遇を受けられなかった『公正』という価値を、大統領の口からとはいえ政治・社会的イシューとしたのは幸いなことである」と一応評価した上で、「『公正』と『公平』を汚染させたのではないかと心配になる」と述べた11)。彼は「公正性(機会、条件、出発点の平等)」と「公平性(競争結果の合理的な不平等、特権・特恵の適正化)」を区別し、両者を同時に追求するが、特に進歩勢力が疎かにしてきた後者を強調すべきことを主張してきた。この公正と公平の正確な概念に関しては多様な見解が可能だろう。だが、大衆運動と現実政治のスローガンとしては、公正・公平・正直・正義などをすべて包括する一つの表現を選択する必要があるだろう。たとえ汚染したとはいえ、大統領のおかげで広く伝播した「公正社会」を専有しつづけるのか、あるいは「公平社会」とか他の用語を代案として使うのか、これもまた「選手」が衆智を集めて決定すべきことである。
 要は、福祉言説だけではまともに受容しがたい時代的な課題を検討しなければならないという点である。例えば、ノ武鉉大統領が力説した「原則と常識が通じる社会、特権と反則が通じない社会」は今も、いや、李明博政権を経た今こそ一層国民的な渇望の対象である。ただこの場合も、「競争社会の止揚」とか、「非正規雇用の根絶」のような観念的なスローガンではなく、韓国社会の具体的な不公正・不公平・不透明の構造に対応する精巧な処方箋が必要だろう12)。検察をはじめとする放送通信委員会、国家人権委員会、中央選挙管理委員会など、政権からの独立が生命である国家機関の公共性を回復することも、公正・公平の名の下で実現すべき課題である13)。

・環境問題の様々なレベル
 平和体制、福祉国家、公正・公平な社会などで、2013年体制のすべての主要課題を網羅することはできない。ただ、政治および運動のスローガンは限定された数でこそ威力があるために取捨選択が不可避であり、何を掲げるかは討論すべき事案である。例えば、教育問題は幅広い意味の福祉に含めることもできるが、2013年体制の中の教育に関する別途の具体的な設計が何らかの形であれ、提示されねばならないだろう。また、性差別の撤廃は平和と福祉、公平の言説とすべてつながるが、それ自体を「三大課題」あるいは「四大課題」の一つに浮上させるべきだという論理も可能である。
 環境問題も同様である。私自身は、既存の生活様式を親環境的で生命尊重的なものに変える「生態転換」こそが、私たちの未来の設計で核心を成しており、前述した「基本的なこと」に直結すると考えている。だが、2013年体制の主要スローガンとして掲げるにはあまりにも長期的であり、汎人類的な目標ではないかと思う。ただ、それは遠大な課業であると同時に、今すぐ節約・節制し、配慮する生活態度から始めるべき性格のものであるため、平和や福祉、公正・公平などのあらゆる懸案にそうした認識が含まれねばならず、環境問題が政党の政綱・政策で占める比重は画期的に拡大されるべきであろう。
 環境問題が短期・中期・長期にわたる様々な課題と結合していることを実感させてくれたのが、去る3月11日、日本の東北地方の大地震と津波による福島第一原子力発電所の事故である。日本政府の公式判定でもチェルノブイリと同じくレベル7の事故に該当する、この惨事から日本人と韓国人、そして世界がいかなる教訓を実際に得るのかを見守る必要がある。だが、今日の人類が後世の安寧には知らん顔して目前の便利さを追求し、無謀かつ無責任に生きていることを、気候変動よりもはるかに衝撃的に示したのが今回の原発事故である。同時に気候変動に対処する場合と同じく、今すぐ腕まくりしても解決には長久な時間がかかる問題である。何よりもそれは、私たち人間がいかに生きるかに関して近代の世界体制が提示し、陰に陽に強要してきたものとは異なる解答を探すことである。同時に、エネルギーの節約と親環境エネルギーへの政策優先順位の変更など、各種の中・短期事業をすぐに始めることが求められてもいる。
 目前の課題としては原発の安全性の問題がある。これは技術的な能力だけでなく、関係機関の信頼性と責任性、そして情報の透明な公開など、民主主義および公正・公平原則に直結する問題である。その上、韓国では平和の議題との連結が格別であり、北との対決追求が様々な面から見て危険千万であり、狭い国土に多くの原子力発電所を建てながら、軍事力がちょっと優勢だと「一戦辞さず」を叫ぶ人々の無謀さは呆れてモノも言えない。
 大きく見れば、これら全てが常識と教養および人間的羞恥の回復という問題に立ち戻る。そして、それが政権交代や政治主導の努力だけではできないことは明白である。問題は、数人の人々の無教養と非常識、そして不道徳でのみ起きることではなく、国民多数の生命軽視の習性と正義感の不足、そして歪んだ欲望に根ざしている点にある。一日や二日で正せることではなく、世の中と自らを同時に変えていく努力を各自の生活で着実に進める必要がある。とはいえ、社会の雰囲気が一新されて初めて多くの人々がきちんと始められることなので、とにかく2013年(または2012年)の決定的転換を夢見ざるを得ない。幸いにも、そうした転換に必要な骨身にしみる反省をする機会がこの3年間あまりにも多かった。その点で、私たちは李明博時代に感謝すべきかもしれない。

4.2010年末~11年初の朝鮮半島情勢
 2011・12年に関する論議を後回しにしたが、実は、今年の朝鮮半島情勢と韓国の現実について、すでに直接・間接的に色々な話をしてきたわけである。朝鮮半島の平和体制を含む新たな現実に対する渇望が一層切実さを増したのも、昨年来の南北関係が休戦後最悪になり、それによって韓国の守旧勢力の非常識が極に達したからである。最近は朝鮮半島の緊張緩和のための米・中・北などの先制的な試みに韓国政府は徐々に引きずられている情勢ではあるが、2013年以前に画期的転換が起こるのは難しいという認識が依然不可避なようである。

・分断体制の末期的局面にある南北
 昨今の朝鮮半島情勢に対する詳細な診断は省略する。ただ重ねて強調すべき点は、南北対決が先鋭化して戦争再発の気運さえ漂うにせよ、分断体制が再び固定化し、安定化する現実ではない。それとは反対に、分断体制は今や正しい克服の道が求められない限り、誰も安全には管理できない末期的局面に至っている。これはまた、単に南北関係の悪化のみならず、南北双方の内部でそれぞれ退化現象を生んでいると言える。
 統一に冷淡な人々は、「統一しなくても俺たちだけでいい暮らしができればいいんであって、無理に統一しようと苦労する必要などあるのか」とよく言う。もっともらしい話である。いい暮らしというのがどういうものかは分からないが、統一しなくてもいい暮らしができるというならわざわざ統一問題で心を痛める必要はなかろう。問題はそれが可能か、ということだ。統一もせず、統一問題でまじめに悩むことなく生きようとしたら私たちの生活はどういうものになるのか、それをはっきりと示したのが2008年以来の歳月ではないのか。もちろん、この期間にいつの時代よりもいい暮らしができたと自慢する人もいる。だが、大多数の民衆は韓国社会が分断体制の克服過程から脱線し、逆走するたびに、まさに今のように日々切迫していき、殺伐として落ち着かず、憤りが爆発する生活をしていかねばならないと悟ったのである。
 北朝鮮社会もまた分断体制の末期現象が表れているようだ。核兵器の開発だけとっても、北の当局は米国の敵対政策をその名分に掲げており、またそれは安保論理では全く理智に合わないとは言えず、大きく見れば、揺らぐ分断体制の枠内で政権と体制を守ろうとする必死の勝負手に当たる。ただ問題は、軍事強国化では隆盛な国をつくれないという点である。むしろ、民生と人権の改善をより困難にしがちである。北が誇る自主性のレベルでも、中国依存が深まったこの2~3年間は後退と規定せざるを得ない。権力の継承方式として、三代世襲を選んだのもその社会の危機意識を反映していると言えよう。ただ、それは韓国社会が非難の声を強めるほど何か突然の堕落現象ではない。分断体制下で正常な社会主義国家としての発展が難しいという点は以前から予見されたことであり、北の「王朝的」性格が次第に強まってきた現実が三代世襲構図の公開で劇的に表出したのである。それ自体だけみれば、こうした性格の社会で最高指導者が年老いて健康に不安がある場合、後継者を決定して党の態勢を整備するのは、それなりに分断現実の管理に有利な面もあるだろう。少なくても現実の安全な管理を最優先の目標とする場合、そうした可能性に対するまじめで、実用的な検討を省略できないだろう。

・天安艦事件と分断体制特有の責任転嫁
 実は、分断体制が極めて厄介な理由の一つは南北それぞれが相手(北の場合は主に米国)に責任転嫁して自己省察・批判を封じる仕組みを内在している点である。その事例は南北それぞれ無数にあるが、昨年3月南で起きた天安艦事件はその典型である⑱。当局と大手マスコミは批判者がはじめから北朝鮮擁護に回っていると責めたてるのはいつもの手だが、そこまではいかなくても、批判者が天安艦沈没の「真相」を明らかにしないで「疑惑の提起」ばかりしているというのだ。しかし、政府によるデタラメ・歪曲・虚偽の発表と各種の国民を欺瞞する行為の真相は、既に明らかになっただけでも無数にある。それに対する責任をきちんと問い、法治を正しく立てさえするだけでも残りの真相が明らかになる確率は何倍も増すのである。実際、こうした法治毀損と国家機構の紊乱こそ、真の保守主義者ならば先頭に立って糾弾してしかるべきである。
 それでもこうしたことがきちんと問題にされないのはなぜか?政府が「やれるもんならやってみろ」とふんばるのが最も大きな理由であり、韓国の自称保守主義者の中に真に合理的で原則のある保守主義者が稀なのがもう一つの理由である。だが、国民はとにかく北の体制が悪い体制であり、北の当局は韓国政府よりはるかに悪い集団であるという認識をもっているためである。しかし、その認識が妥当だとしても、南で起こるすべての悪いことを北の仕業と断ずるのはとんでもない論理の飛躍である。こうしたデタラメな論理に囚われている限り、私たちに向上はない14)。韓国がそれでも北朝鮮よりいい社会になったのは、私たちがそうした論理に囚われずに向上しようと思っていたからである。責任転嫁が習性化した分断体制の中でも、私たち南の悪い点から正そうとした市民が4・19と5・18、6月抗争を起こして血を流して戦ったおかげである。
 分断体制とは、南北が互いに敵対的で断絶した社会でありながらも同一の“体制”と言えるほど双方の既得権勢力が共生関係にあり、双方が悪い点を互いに似たものにしながら再生産される構造である。同時に、厳密な意味での社会体制ではなく、世界体制が朝鮮半島を中心に作動する局地的現実に該当するものであり、当初から南北分断を主導した現存の世界体制の覇権国を含めた数多くの外国勢力が介入して引き回してきた、多少緩やかな意味の“体制”である15)。それゆえ、朝鮮半島で起こった色々な不幸な事態に対し、分断体制の様々な主体がそれぞれどの程度ずつ責任を負わねばならないかを正確により分けることは難しい。とはいえ、北の人民の惨状に対して北の当局が第一次的な責任を負わねばならないように、私たち南の市民は李明博政権の成立以来、6・15共同宣言と10・4宣言など最高責任者の合意を実質的に否定し、南北関係を後退させた韓国政府の重大な責任に目をつぶることはできない。天安艦事件に対する政府の発表が信じられないものであるなら一層そうである。同時に、こういう政府を生み出し、こういう事態を防げなかった南の国民の責任もまた軽くない。私自身は朝鮮半島の問題解決にあたり、南の民間社会が南北当局に対して「第三当事者」として参加すべきだと主張してきた16)。そうした自負心を守ろうとするなら、2012年韓国の選択を私たちの緊要な課題としないわけにはいかない。

5.2012年韓国の選択と2011年の課題
 2012年が特別なのは、国会議員の総選挙と大統領選挙が相次いで行われる年だからである。まして、大統領選挙にわずか8カ月先立って総選挙が行われる。したがって、総選挙の勝利が大統領選挙の勝利のためにも決定的に重要だろうという分析を既に大勢の人が行っている17)。かつて一度の選挙敗北が国民の牽制心理を刺激し、次の選挙では逆に有利に働くことも少なくなかったが、二つの選挙の間が短い場合――2007年大統領選挙直後の2008年総選挙がそうであったように――、牽制よりは安定した国政運営に民心が傾くのが普通である。その上、李明博政権とハンナラ党支配の国会4年を経ても、総選挙で彼らを懲らしめられない野党ならば、唯一大統領だけは自分の側から選んでほしいと国民に訴える面目はつぶれるのではなかろうか。実際に、2010年6・2地方選挙から今年4・27補欠選挙への流れを見れば、野党がやり方によっては次の総選挙での圧勝も望める状況が近づいている。

・人物を変えただけの「ポスト李明博」への期待は再度の「あまりに“小願”」
 さて、第18代大統領選挙は李明博大統領の退任を前提にした選挙である。そこで、李明博政権の初期から大統領と一定の距離を置いて時には衝突もして世論の高い支持率を維持してきた朴槿恵前代表が、ハンナラ党の候補となる公算が大である。彼女の人気は単に先代[両親である朴正熙と陸英修]の後光のおかげだとか、李明博大統領の教養不足と政治的信用のなさからくる反射利益に過ぎないという一部の評価も全面的には首肯しがたい。むしろ並外れたセンスと経験豊富な政治家という見方が有力であり、早くから福祉国家を主張してきたので全面的福祉をめぐる与野党間の論争をわき目に最大の受恵者になる可能性がなくはない。「亡国的ポピュリズム」でも「反福祉主義者」でもない中道的な福祉論者として、その上少なくても約束した範囲の福祉だけは確実に実行する「原則と信頼の政治家」として自らを印象づけうるのである。
 しかし、たとえ様々な美徳や長所をもっているにしても、私たち国民が朴槿恵政権を李明博政権の代案として選ぶなら、2007年に次いで再び「あまりに“小願”」をかけた格好となるだろう。本当に2013年に世の中を大きく変えるというならば、李明博政権との単純な距離の維持ではなく、その暴走に対する骨身にしみる省察と憤怒を表出すべきであり、南北が共有する2013年体制を自らの既得権に対する最大の脅威とみなす勢力を制御できなければならない。また、「いい暮らしをしよう」というスローガンの下で人間らしい生の試みがあちこちで踏みにじられた時代とその延長線上での施しの福祉を超え、質的に異なる「いい人生」に対する設計がなければならない。単に、「李某などよりは朴某がはるかにいい」という調子では、一時は部分的な改善があるにせよ、結局は現体制の混乱がさらに続くほかないだろう。
 問題は野党勢力であり、そうした“誓願”とビジョンがあるのかという点である。その上、大統領選挙の性格上ビジョンだけでなく人物がいるのかという問いが続くわけである。とはいえ、人物不在論は一方で冷静な現実認識の表現ではあっても、他方では相変わらず“小願”にとどまる――全泰壱烈士の表現を借りれば、「希望するものが少ない」人々に共通する弱点を脱皮できない18)――惰性的な発想である。各自が最大限の情熱と勉強によって世の中を変える事業を起こすよりは、誰か「人物」が登場して解決してくれるのを望む心情が作用しているのである。
 2008年のロウソク・デモ⑲や最近のエジプトの市民革命に見られるように、今はむしろ指導者に縛られることなく大衆自らが力を発揮する時代である。そして、こうした事件を可能にした「ソーシャル・ネットワーク・サービス」は、今後一年ないし一年半の間にもう一度見違えるように発達して広がるだろう。もちろん大衆デモとは異なり、選挙では候補者が必須である。だが、2012年がいかなる選挙とも異なって世の中を大きく変える転換点に当たるというならば、重要な点は多くの市民が志を立てて覇気を奮い立たせることであり、候補には新しい人物が出ることもあるし、既成の人物が成長してなることもある。

・4・27補欠選挙と連合政冶の未来
 そうした点で、2012年に大統領選挙よりも総選挙が先にあるというのは野党にとって幸運といえば幸運である。野党勢力全体を率いる人物が総選前に浮上すればより望ましいが、そうならない状態でも総選候補が連帯と連合の力で、そして“2013年体制”に向けた共通の政策構想を掲げて勝負する貴重な機会をもつだろうからだ。
 同じ論理で、今年4月の補欠選挙は総選勝利に備える価値ある機会だった。共同政権の構成というテコが作動する大統領選挙よりも、国会議員を一人ずつ選ぶ総選挙の場合に連合政冶はより難しく、数議席にもならない補欠選挙ではさらに難しいのが定説である。だから、補欠選挙における連合はあえて断念して単一統合政党の結成に尽力すべきだという論理も出たが、小さな隙間でも最大限埋めていこうとする誠心誠意の大切さを確認できたのが今回の野党勢力の勝利である。選挙を通じて李明博政権の審判を可能にする「一対一の対決構図」を求める民心はいつの時よりも明白であり、同時に有権者が単一化の過程なり、選ばれた候補の人物も冷厳に判断していることが示された。
 したがって、連合政冶も一層の進化なしには1年後の総選挙をうまく勝利できないだろう。その最善の経路が「統合」(=単一野党の建設)なのか、「連合」(=部分的統合を経ながら、結局は複数野党間の連帯)なのか、という論議ももっと行う必要がある。ただし、「連合はうまく行かないので統合以外にない」という断定や、「今回とにかく多党連合の効果がなくはなかったので、次もこういう調子でやればいい」という安易な考えを超えた論議にしなければならない。そして、統合しようと連合しようと、あらゆる政党が独断主義と覇権主義に振り回されない自己革新を遂げなければならない。
何よりも重要なことは、2013年以後どういう世の中のために連合政冶をすべきなのか、に対する広範な国民的共感を形成することである。そうした共感が人々の心の中を熱くする状況ならば、その念願を達成できる方法は何でもよいという寛大な心情が根づくことであり、小集団の利益のために唯一の経路にひたすら固執する政治家の立地は狭まるだろう。

・“心田を耕す”⑳勉強と世の中を変える事業を同時に
 2012年韓国の選択は、南はもちろん朝鮮半島全体のために、さらにフクシマ以後新しい道を模索している日本を含む東アジア全体のために決定的に重要である。だからと言って、2011年を選挙準備のためにのみ送っていては、選挙の勝利さえ難しいだろう。
 市民運動の多様な現場で働いてきた活動家には、この点をあらためて強調するまでもない。市民運動の日常的な努力が蓄積された基盤の上での選挙の勝利だけが世の中を変えうるはずだが、選挙まで待てない仕事があまりにも多いのだ。今も双龍自動車の解雇された労働者の死が相次いでおり、三星電子労働者は労災の認定も得られないまま死亡したり、重病に苦しんでいる。いや、まともに暮らせるという階層の子女や老人も自殺率が高く、いわゆる「まともな暮らし」の空虚さを証言している。四大河川も死にゆく生命の一部であり、そこに依存して生きてきた多くの生霊の虐殺がどういう因果応報で戻ってくるのかと思うだけでもぞっとする。「浸出水」[口蹄疫にかかって埋めた動物の死体から出てくる液体で、梅雨時に再び問題化している] による環境災害の可能性は、最近他の事件によって忘れられた感じだが、人間が勝手に密集させて飼育し、勝手に大量虐殺処分した獣の怨魂が安らかに昇天できるのか見守る必要がある。
 まあ、こんなに国中がめちゃくちゃでも、まずは自分の食べ物があって自分の家の価格が少しでも上がれば後はどうなってもいい、この国にそんなに批判があるなら北に行って暮らしたらいい、といった調子で暮らしていたら各自の心までも荒廃してしまうものだ。こうした荒廃した“心田”から独裁政治や不公正な社会が生じ、ともすると獣の代わりに人間が大量に殺処分される戦争が起きたり、大規模な災害に見舞われたりもする。それゆえ、“心田を耕す”勉強と世の中を変える事業、市民社会の各分野で日々の問題を解決する作業と朝鮮半島に平和体制を設計して南北連合を準備する作業を、同時に進めていかねばならない。“市民参加型統一過程”とは、まさにそういうものなのである。

「原注」
1)その後、若干修正を加えた原稿を知人の一部と共有して助言を得た。この度活字化の機会を得て、この間の情勢変化を勘案しながら様々な助言を参考にして大幅に修正した。同時に、脚注をつけて書き言葉に変え、多少論文に近い形にしようとした。発表当初の討論に参加された方々、その後助言してくれた方々、大会を主管して基調報告を任せてくれた市民平和フォーラムおよび準備委員会の方々、立派な場所を準備して参加者を温かく迎えてくれた鄭聖憲「韓国DMZ平和・生命の園」理事長など、皆さんに厚い感謝の意を表する。
2)これは、世称「中道勢力」の票を得て選挙に勝とうとする戦略と、本質上異なる発想であるのはもちろんである。分断体制の変革と連係した韓国社会の総体的な改革を実現するために、左右の極端な単純思考を克服すべきだというもので、既存の社会運動路線それぞれの換骨奪胎過程を意味する主張でもある。この「変革的中道主義」については、拙著『朝鮮半島式統一、現在進行形』チャンビ、2006年、第4章67~69頁、および同書の邦訳『朝鮮半島の平和と統一』(青柳純一訳、岩波書店、2008年)第2章「分断体制の解体と変革的中道主義」を参照。
3)この論争に関するもう少し詳しい検討は、金鍾曄編『87年体制論:民主化後の韓国社会の認識と新たな展望』(チャンビ、2009年)の編者序章「87年体制論にあたって」を参照。97年体制論者の中にはあえて1987年6月の画期的性格を認めない人もいるが、観念的進歩主義に熱中するあまり、国民多数の熱望と参加によって勝ちとられた生活上の変化に無感覚になった端的な例ではないかと思う。実は、金大中・ノ武鉉政権と李明博政権が大同小異の新自由主義体制だという発想自体も、こうした疑いがなくはない。
4)1997年と2000年の関係について、拙著『どこが中道で、なぜ変革なのか』(チャンビ、2009年:邦訳を準備中)第13章「2009年分断現実の一省察」で、次のように述懐したことがある。「IMF危機を契機にして韓国社会は『新自由主義による庶民経済の破綻』を一度経験しました。その状況に対応する一つの方式は、今日李明博政権が推進するのと似た政策だったでしょう。庶民生活の破綻に知らん顔して新自由主義を熱情的に受け入れながら、それによる民心の離反には軍事政権式の『法秩序の確立』と金泳三政権の対北強硬路線の継承によって対応する方式です。もちろん、当時すでに10年の民主化過程を経た私たち国民には通じるはずのない政策だったでしょう。だがとにかく、そうした可能性を想像してみることで、金大中政権下でわが国民が実際に選択した道、すなわちIMF危機を契機にして吸収統一の夢を諦めて公安政局を自制し、南北の和解・協力と朝鮮半島の平和定着によって韓国経済の新たな活路を求めようとした道が、民主主義と経済発展のためにもどれほど賢明な選択だったかを実感できるのです」(278~279頁)。
5)まさにその点こそ1987年6月抗争の決定的な限界であることを、私は抗争10周年を記念する席で強調した。「六月抗争が韓国史においていかに画期的な事件だったにせよ、分断された朝鮮半島の半分に限定されていた分だけ、その『画期的』な性格もまた限られたものになるという点を想起することが、抗争の意味を浮き彫りにするためにも必要である。その限界を正確に認識できない擁護論は正当な実践的対応を生み出せないだろうし、おそかれはやかれ、抗争の意義自体を否定する論理の前で力を失うことになるだろう」(李順愛他訳『朝鮮半島統一論――揺らぐ分断体制』、クレイン、2001年、第十章「六月民主抗争の歴史的意義と十周年の意味」、232頁)。
6)2008年が「先進化元年」になりえないという主張としては、前掲『87年体制論』に収録された拙稿「先進化言説と87年体制」を参照。
7)拙稿「包容政策2.0に向けて」『創作と批評』2010年春号、92頁。
8)亡くなった徐東晩教授は2008年がそういう年になることを期待したが(徐東晩「南北がともに創る“2008年体制”」『創作と批評』2007年春号;徐東晩著作集『北朝鮮研究』、チャンビ、2010年、406~427頁に再録)、2007~08年の韓国社会は末期的な混乱に陥っていた87年体制を克服すべき実力をもてなかった。2012~13年の課題であり、挑戦としてもちこされたのだ。
9)現実において――寡聞にして知らないが――北の中国式改革・開放を期待する既存の包容政策の主唱者らは韓国の国家モデルの転換に関心が低く、韓国の社会民主主義的な変化を追求する福祉論者らには北朝鮮の変化に対する真剣な論議を見つけがたい。しかし、両者が相手の主張に好意的であるのは事実で、北の中国式改革と南のスウェーデン式変化が並行するというシナリオに対する深刻な問題提起はないようだ。
10)私自身は2007年大統領選挙の直前に、「大韓民国を嘘つき共和国にすることはできません」というタイトルの記者会見に参加したし、李明博政権の進行を見守りながら「常識と人間的羞恥を回復する」ことや、「常識と教養の回復」を重ねて注文した(2007年12月17日各界人士33人の声明「大韓民国を嘘つき共和国にすることはできません」;拙稿「この100年を振り返り、新たな局面をつくる2010年に」、チャンビ週刊論評、2009年12月30日、http://weekly.changbi.com/411;「2010年の試練を踏まえ常識と教養の回復を」、チャンビ週刊論評、2010年12月30日、http://weekly.changbi.com/504、邦訳「常識と教養を回復する2011年を」『世界』2011年3月号、67~71頁)。
11)金大鎬「『公正』と『公平』を汚染させるのではないかと気になる――李明博大統領の8・15祝辞をみて」社会デザイン研究所ホームページ、2010年8月17日(http://www.socialdesign.kr/news/articleView.html?idxno=6181)。
12)これもまた金大鎬の持論(例えば、「進歩派の執権、そう難しくはない!」、社会デザイン研究所ホームページ、2010年12月23日、http://www.socialdesign.kr/news/articleView.html?idxno=6264)である。彼とは別途に金鍾曄も「過剰競争と過小競争の二重構造」を指摘しながら、「どこに競争を導入し、どんな競争を緩和すべきかを計る知恵深さ」を注文している(金鍾曄「進歩・保守の言説と競争の二重構造」、チャンビ週刊論評、2009年11月18日、http://weekly.changbi.com/312)。
13)その中で最も至急かつ困難な課題が検察の改革であるようだ。これに関し、第12回公正社会フォーラム(2011年4月15日)における徐輔鶴教授の発表「検察の現住所と法治主義の危機」を参照(http://www.socialdesign.kr/news/articleView.html?idxno=6344)。
14)最近の農協インターネット破損事件が北朝鮮の仕業だったという検察発表も、私たちの向上を妨げる役割を十分に果たしているようだ。もちろん、私は事件の真相に関して一家言あるはずもないが、検察発表の信憑性については進歩系のマスコミはさておき、『東亜日報』ですら疑問を提起する状況(「“農協のハッカー”は北の仕業、専門家が見る検察発表の疑問点」『東亜日報』2011年5月4日A2面)である。こうした発表の最も深刻な後遺症は、今や真実を究明して私たち内部で必要な問責をしようとする努力が実質的に中断されるという事実である。軍や国家も防げない北朝鮮の攻撃にあった農協側の責任は大幅に軽減され、北朝鮮ではない他の犯人が犯した可能性に対する一切の調査が不必要になる。いや、万一北朝鮮を擁護する行為に問われる可能性さえ心配しなければならない。こういう風土では、今後他の類似事件が起きたとしても、北朝鮮さえ悪く言えば、他の努力は不必要になりうる。
15)韓国および朝鮮半島に関連する三つの異なるレベルの“体制”に関しては、前掲『朝鮮半島統一論――揺らぐ分断体制』の第一章「分断体制克服運動の日常化のために」、29~32頁を参照。
16)例えば、前掲『どこが中道で、なぜ変革か』第7章「北の核実験以後:南北関係の“第3当事者”としての韓国民間社会の役割」を参照。
17)李海チャン元総理もそのうちの一人である(李相敦・金ホギの対話「李海チャン元総理に会う」『京郷新聞』2011年4月25日、第5面参照)。
18)「人々に共通する弱点は希望が少ないということである」(『ある青年労働者の夢』、トルベゲ、1983年、170頁)。改訂版『全泰壱評伝』(趙英来著、トルベゲ、2001年)の該当ページは確認できなかった。
<訳注>青柳純一
①南北朝鮮を分かつ非武装地帯(demilitarized zone)。
②前掲書『朝鮮半島の平和と統一』、第3章「2007年南北首脳会談後の市民参加型統一」などを参照。
③“願”は仏教用語で原語のままとし、以下大きな“願”は“大願”、小さな“願”は“小願”という訳語に統一した。
④上掲③と同じく仏教用語で、「本願」と同意語だが、原語のままとした。
⑤2011年4月27日に行われた国会議員補欠選挙と江原道知事選挙で、与党ハンナラ党は野党間の協力と福島原発事故の影響もあって敗北した。
⑥全斗煥軍事政権の退陣を決定づけて大統領直接選挙の実施を確約させた1987年6月の民主抗争につぎ、7~8月には労働者のストライキ闘争が韓国史上かつてなかった規模で続発した。
⑦1960年李承晩政権を退陣させた4・19学生革命と、その後の張勉政権を翌年打倒した朴正熙ら軍人による5・16軍事クーデターをさす。
⑧1972年10月、当時の朴正熙大統領は戒厳令を発して独裁政権を樹立した。
⑨1980年5月、朴正熙暗殺後に実権を握った軍人の全斗煥に対して光州市民が抵抗した民主抗争で、公式には200人前後、非公式では約2000人が犠牲になったといわれる。
⑩北朝鮮の核問題をめぐる第4回6カ国会議の席上、朝鮮半島の平和体制に関する基本的な枠組に日本を含む全参加国が合意して発表した共同声明。
⑪韓国のノ武鉉大統領と北朝鮮の金正日国防委員長の両首脳が平壌で会談し、発表した宣言。
⑫1997年12月第15代大統領選挙で勝利した国民会議の金大中候補は、翌98年2月軍事政権の流れをくむハンナラ党政権に代わって大統領に就任した。
⑬2007年12月第17代大統領選挙では李明博現大統領が圧勝し、翌2008年4月の総選挙でも与党ハンナラ党が勝利した。
⑭韓国の李明博政権は「先進国」への進入を目標とし、北朝鮮の金正日政権は2012年に「強盛大国」への進入を目標とする。
⑮「後天性分断認識欠乏症候群」とは、韓国が分断国家でないかのように思って生きる人、特に進歩的知識人を自負する人々を皮肉った語で、「後天性免疫欠乏症候群」(AIDS:Acquired Immunity Deficiency Syndrome)に引っかけて英文略語をつくれば、ADADS(Acquired Division-Awareness Deficiency Syndrome)となる(『創作と批評』2011年春号、105頁を参照)。
⑯2010年6月の統一地方選挙で、与党ハンナラ党は天安艦事件を機に対北強硬路線を鮮明にしたが、国民の支持を得られず敗北した。その際、四大河川の開発工事への賛否をめぐる論争とともに、学校給食を全面的に無償にするか一部にとどめるかという問題も主要争点の一つとして論議された。
⑰2010年8月15日の記念辞にあたり、李明博大統領は政権後半期の国政運営の中核的価値として「公正社会の実現」を掲げたが、その実態をめぐって国民から厳しく批判されている。
⑱天安艦事件をめぐる論考としては、白楽晴「常識と教養を回復する2011年を」(『世界』2011年3月号)を参照。
⑲2008年春~夏、米国からの輸入牛肉をめぐる問題で携帯メールなどを通じて自然発生的に高揚した高校生など若者を中心にデモおよび集会が催された。
⑳仏教用語で曹洞宗の「定義」では、心が一切法・一切功徳を生じることから、田が百穀を生育することに喩えて心田という。本来の自己とは心田そのものであり、心地ともいう(『正法眼蔵』「面授」巻より)
韓国の知性、新しい時代を語る第7回
 韓国の白 楽晴氏から「希望2013・勝利2012円卓会議」の宣言文と記者会見での発言が届きました。
2012年から13年にかけては、各国の政権が選挙や政権交代期を迎え世界的に大きな変化の時代を迎えるとされます。
この時期にむけて、韓国の市民、 知識人、各界の人々による大きな胎動を感じさせる「マニフェスト」であるとともに、国をこえて現代に生きる私たちすべてにとっても意義のある内容だと感じます。
 翻訳をはじめとして今回も青柳純一氏のご尽力をいただきました。

         希望2013・勝利2012円卓会議             白楽晴(『創作と批評』編集人、ソウル大学名誉教授)
 
 昨年6月の統一地方選挙と今年の4.27補欠選挙は野党勢力が全般に勝利しましたが、その後も政府と与党の失政は続いており、2012年の二大選挙(4月総選挙と12月大統領選挙)に対する国民の期待はとても高まっています。
 しかし、国民の本当の願いは単なる野党の勝利や政権の交代ではありません。国民の望みは、1987年6月抗争によって民主主義の時代を切り開いたように、今こそ「2013年以後に希望の大韓民国」の未来を切り開かねばならないということです。これは、現政権の歴史的逆行を政権交代によって正すことよりはるかに根本的であり、これなしには政権交代も無意味です。
 今日私たち市民社会や宗教界の元老、および各界代表、そして市民政治運動団体の代表や中堅活動家が一堂に会し、“希望2013”というテーマで、2013年以後わが社会の望ましい姿と、2012年二大選挙勝利への模索を開始しました。
 2013年以後の新たな時代は、以前とは大きく異なるものにせねばなりません。
 開発・成長至上主義の限界を直視し、生活の質と人間を重視する国家発展モデルへの転換を図らねばなりません。福祉と性平等、生態と労働の価値が優先的に尊重され、南北がともに生きる韓(朝鮮)半島の再統合の可能性を現実化することで、民主主義とすべての人の人間らしい生活が保障される社会を創らねばならないのです。
 “2013年の希望”を現実化するには、知恵を集める過程が必要です。そして、民主と進歩を志向する勢力が力を合わせねばなりません。これは野党だけの任務ではありません。2013年の大きな夢に共感する勢力を結集し、政治圏を積極的に突き動かさねばなりません。今日はその作業の第一歩を踏み出す日です。
 進歩・改革の価値に共感する政治勢力なら、何よりもこうした2013年の大きな夢を共有せねばなりません。そうしてこそ、2012年の選挙を現与党と進歩・改革政党間の一対一の構図に対応できる方案にも自然に合意が成立し、国民に希望を与えることができるのです。その経路や方法については、今すぐに一致する必要はありませんが、そうした意見の違いから“2013年の希望”を具体化していく意思疎通と協同作業を怠るのは、国民の期待を裏切るものです。緊密に会合をもちながら、価値観や政策に関して共感できる幅を広げる作業を、今すぐに始めねばなりません。また、現政権の一方的な国政運営に対抗する共同対応にも真剣みをもって取組まねばならず、各自の徹底した自己革新を遂行しながら、統合と連帯の論議にも積極的に取組まねばなりません。
 現実はまだそうなっていません。市民社会を構成する私たちだけでも集まって“希望2013・勝利2012”を話し合い、国民の共感を得ながら政治圏に壮大な政治を促すのも、そのためです。今日の円卓会議の参加者は、今後2013年以後の新たな民主共和国のビジョンと価値、政策を実現するために、2012年に勝利する方案について、国民とともに民主・進歩勢力が論議し、模索し、準備するのを助けるために、最善を尽くそうと思います。また、政治圏とも希望を共有するための意思疎通を推進しながら、必要に応じて政治家と一堂に会して知恵を分かちあうことにも積極的に取組む所存です。
2011年7月27日   円卓会議参加者一同
<市民社会、宗教界元老および各界代表>
金祥根(6・15南側委員会・常任代表)、金潤洙(現代美術館・元館長)、文在寅(ノムヒョン財団・理事長)、朴在承(大韓弁護士協会・元会長)、白楽晴(ソウル大名誉教授)、呉宗烈(進歩連帯・常任顧問)、ユン・ジュナ(6月民主フォーラム・代表)、李金賢淑(平和をつくる女性会・元共同代表)、李善宗(円佛教中央衆徒訓練院・院長)、李昌馥(民主統合市民行動・常任代表)、李海チャン(元国務総理)、任在慶(民主言論市民連合・常任顧問)、青和(実践僧伽会・元常任議長)、咸世雄(民主化運動記念事業会・元理事長)  以上14人
<市民政治運動団体の代表>         
南尹仁順(私が夢見る国・共同準備委員長)、文成根(国民の命令・代表)、朴錫運(進歩連帯・共同議長)、白承憲(希望と対案・共同運営委員長)、李学永(進歩統合市民会議・常任代表)、イ・ヒョンナム(民主統合市民行動・常任執行委員長)、黄寅成(市民主権・共同代表)  以上7人

“希望2013・勝利2012円卓会議”の記者会見での挨拶

 お忙しい中、“希望2013・勝利2012円卓会議”の取材のために集まられた報道陣の皆さんに、まず感謝申し上げます。あわせて、本日の会議に出席してくださった市民社会の先輩、同僚の皆さん方にも感謝申し上げます。
 本日の会議の意味と内容に関しては別添の文章(上掲)を準備しており、咸世雄神父がこの後で朗読してくださいます。このご挨拶の機会を利用して、もしかして多くの方々が疑っておられるかもしれない点について、多少の説明を添えたいと思います。すなわち、「国民の大多数の関心が2012年の選挙に注がれているのに、どうして2013年を先に掲げるのか」という疑問です。
 2012年の二大選挙は、もちろん重要です。改革・進歩勢力が選挙に負けでもしたら、2013年以後の韓国が新しい時代を切り開く道はありません。だが実際、ある新しい世の中をつくろうと、自らどんな準備をしているかを国民に示して人々の感動を得られないならば、選挙の勝利すら難しいのです。また、万が一李明博時代に対する反発心理のおかげで政権を交代できたとしても、もう一つの乱脈振りを演出するだけなのです。
 その上国民は、2012年の選挙勝利のために野党勢力がどういう経路を通じて協力するかには大した関心がありません。ただ、力を合わせてこそ勝つ、という常識を確固として持つようになり、力を合わせろという国民の至上命令を受けても、その経路や方式をめぐる争いが続く場合、苛立ちを深めるだけです。そのため有権者の非難と歴史の断罪を避けようとするなら、政治家と市民社会の活動家、一般市民が“希望2013”の大きな夢を共有し、各自の矮小な打算を越えていく道が唯一です。政治家にそれができないならば、市民が立ち上がり、そうするように働きかけなければなりません。
 本日の円卓会議が“希望2013”を先に掲げたのは、まさにそうした趣旨からです。いい加減に2012年に取組むのではなく、“勝利2012”のための解法を探すためにも“希望2013”が必須です。さらに、2012年まで先延ばしできない、2011年現在で山積する社会的課題を力強く、知恵深く遂行するためにも、“希望2013”の原動力が緊要なのです。本日の集まりを契機に、全国各地で多様なレベルで、様々な方式でこうした希望の原動力が発展していくことを願います。
©21世紀社会動態研究所
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