21世紀社会動態研究所の設立にあたって

ごあいさつ
       21世紀社会動態研究所

                               主宰 木村 知義

私は、本年(2008年)3月、日本放送協会(NHK)での仕事に区切りをつけ、職を辞することにいたしました。

38年という長い間仕事を重ねることができたのもひとえに皆様のご教示、ご指導の賜物と心から感謝申し上げます。

ふり返りますと、初任地の山口放送局をふり出しに、長崎、京都、東京、松山、ふたたび東京、大阪、仙台そして東京と、全国各地を往還しながら仕事を重ねてきました。

とりわけ京都では、桑原武夫、今西錦司、岡部伊都子、梅原猛、杉本秀太郎、竹内実、森浩一の 各氏をはじめ、日本の代表的知性ともいうべき多くの方々の謦咳に接しながら仕事をする機会を得ました。

また、表千家の茶の湯や、茂山千作師の狂言の世界、染織をはじめとする伝統工芸、仏教芸術、文学、歴史など日本文化の粋ともいうべき分野の方々と深みのある仕事をさせていただく貴重な経験を積むことができました。さらに、湯川秀樹博士の逝去にあたっては、戦後日本の科学と知性のありようについて、感慨のこもる中継を担当することにもなりました。

仕事の場を東京に移してからは、総合テレビ朝の報道番組「NHKニュースワイド」のリポーターとして、世界や日本の社会の変容、変化を見つめるとともに、日本海中部地震など災害や事件、事故の現場にも立って人の「生」の営みと向き合う仕事を重ねました。 

中国の「天安門事件」直前の緊急NHKスペシャルを担当して、国交正常化の前から幾ばくかのかかわりと交流を持ってきた中国の激動を痛切な思いで見つめたこともありました。その翌年には、中国放送大学への協力業務で北京に赴き、中国のスタッフと番組制作に携わりましたが、前年の「6月4日」直前に歩いた天安門広場を、当時の情景を思い返しながら、再び歩いたものでした。 

また、昭和天皇の逝去に至る4ヶ月の間、宮内庁からの中継を担当しながら、昭和という時代、日本の社会と天皇制という問題について反芻しながら、時代が変わるということはどういうことなのかを考え続けました。

さらに、モンゴル・ウランバートルの街角で社会主義の崩壊を見つめ、阪神淡路大震災の被災地の惨状を前に立ち尽くし、ペルーの「日本大使公邸占拠事件」では最終末の現場に立ち会いながら国際政治の冷厳な現実を目の当たりにもしました。

仕事にまつわるささやかな「個人史」ですが、まさに現代史の現場で世界と日本、そして時代と向き合い、考える日々でした。

NHKでの最後の9年間はラジオセンターで、早朝の生放送「ラジオあさいちばん」のアンカーとして国内・外の動き、政治、経済、社会、文化にいたる幅広い情報を伝えながらアジアをテーマにした特集 『まる ごとアジア』や、5年にわたるシリーズとなった『21世紀日本の自画像』など、特集番組の企画、制作に当たりました。これらの番組を通じて中国、韓国、極東ロシア・ウラジオストク、ラオスなど、アジア各地に取材放送のため出かけました。

26本を数えた『21世紀日本の自画像』では、世界と日本の現在(いま)に対する問題意識を深めながら、それを伝えるメディアのあり方についても深く考えさせられることになりました。

そこでの問題意識とは、いま私たちは歴史的ともいうべき、時代の大きな転換点に立っているということ、それゆえに、すすむべき道についての確かな羅針盤を切実に必要としているというものでした。

しかし現実はといえば、政治、経済、社会のあらゆるところで問題と矛盾を抱え、混迷の淵から抜け出るための確たる道筋を見出せずに苦しむ世界と日本が目の前に広がっているのでした。

「失われた10年」がいわれ、改革の必要性が叫ばれてきたのですが、では何をどう改革していくのかといえば、多くの人々の幸せとは 逆のベクトルで事態はすすみ、それがまた人々の喪失感、閉塞感、さらには孤立感を深くするという「希望の喪失」の連鎖が起きていました。

「戦争と革命の時代」といわれた20世紀をこえて、新たな世紀こそ平和で希望に満ちた世界をという期待がふくらみました。しかし、地球上から、血にまみれた暴力と戦火は一向に消える気配がありません。

経済もまたしかり、グローバリズムが席捲する現代世界は、一方で、地球規模でひろがる貧困や格差、そして「新自由主義」「市場原理主義」によってもたらされる歪みにもがき苦しんでいます。

また「国境が点線になる」と形容される「歴史的大実験」が欧州で進む一方、アジア、とりわけ朝鮮半島、中国、そして日本をめぐる北東アジアは依然として「冷戦構造」から脱却できず、新たな歴史を切りひらくことができずにいます。

そうした状況に立ち向かうべき「知」のありように目を向けると、それぞれには優れた知的営みが存在しながら、どこか切れ切れのままで全体性を獲得できず、同時にまたそれらを結び、時代に立ち向かう力強い流れにしていく営みも十分とはいえない状況にあるといわざるをえません。

さらにメディアは、あれこれの現象についてあふれるほどの饒舌さで語りながら、私たちが本当に知りたい、知るべきだと思うことに、必ずしも的確にこたえてくれないもどかしさを拭えません。

事態の背後にある構造や、それらを突き動かすさまざまな力や要因について、具体性をもって解き明かし、人々の「なぜ」に的確に答えて時代と鋭く切り結ぶ、ジャーナリズムとしての力が衰退してきているのではないかという危惧を抱かざるをえません。

 「今日のニュースは明日の歴史だ!」

これは「伝える」という仕事を重ねるなかで出会ったことばです。この重く厳粛なことばを噛み締めながら、メディアに身を置く私自身のあり方と、メディアの歴史的責任を問うたものでした。

こうした問題意識に立って「21世紀日本の自画像」のシリーズ最後となった今年正月の放送の結びに 私は「時代の転換点ともいえるいま、新たな未来をひらいていくために、私たち一人ひとりが、自ら立つ 覚悟を持つ必要がある」と語りかけました。加えて、大きく動く世界と日本を前に、与えられた枠組みに身の丈を合わせるのではなく、その枠組みを創り出す一人としての覚悟を持ち、歴史の歯車を動かす一人ひとりでありたいと、渾身の思いをこめてメッセージを送りました。

長く仕事を重ねたNHKを離れるに際して、多くのみなさんから、いましばらく仕事を続けてはどうかと引きとめていただいた幸せを置いて、ささやかな「試み」に踏み出してみようと考えたのは、メディアの仕事のなかでたどりついたこうした問題意識を、あるいはそこで語りかけたことをもう一歩すすめて深めてみたい、ことばだけに終わらせず形あるものにしてみることで責任を果たしたいと考えたからにほかなりません。

仕事を離れる際、本当に思いもかけず大勢のリスナーのみなさんから「NHKにあって、アナウンサーである前に、ジャーナリストとして意味のある仕事をした」と、惜しむ声や激励の便りをいただいたことは、まさに 望外のそして身に余る幸せというべきことでした。  

ジャーナリストとして!ということは、私が1970年にメディアの世界に足を踏み入れて以来ずっと抱き続け、かくありたいと、自身に問い続けた志であったからです。

俗な言い回しを借りれば「カネなく、地位なく、権力なく」まさに残るのは徒手空拳のわが身ひとつ、ただ 志あるのみという状況で、こうした企てを志すのは無謀というべきかもしれません。私自身も退職に際して「まるでジャンボジェット機から落下傘も身につけず飛び降りるようなことかもしれない。しかし思い抑え難く、跳んでみたいと考えるようになった・・・」と挨拶しました。

その思いを胸に考えを重ねた結果、ここに「21世紀社会動態研究所」を立ち上げて、これに拠って活動を展開していこうと考えるに至りました。

ささやかな個人研究所の企てですが、取り組むテーマの柱は「中国、朝鮮半島をはじめとするアジア」そして「メディア」です。

いうまでもなくこの二つのテーマにかかわる問題は広く、大きく、現代世界にかかわるすべてといっても過言ではありません。

そうした、時代と世界を動態的にとらえ、洞察を深め、これからの行くべき道を考え、「何を、どう変えていくべきか」を社会に提起、発言していきたいと考えています。

また、多くの知的営みや言説を結びあわせる「知のプラットフォーム」を創り出していきたいとも考えます。

そのためには潜熱のごとく、息の長い覚悟と努力が不可欠だと思い定めています。

「社会動態研究所」というのはジャーナリストであった父が、四半世紀以上も昔、世を去る前の最後の仕事の「砦」とした名前にちなむものでもあります。

メディアに身を置いて38年、21世紀への「世紀ごえ」を経験しながら仕事を重ねてきて、あらためて、私たちが生きる現代世界とは何なのか、そこからどこに向かうべきなのか、そのためには、何に、どう立ち向かうべきなのか、こうした命題と向き合いながら、ジャーナリストとして、未来をひらく言説、言論空間の創造と、訴求力に富む営みを創出する挑戦に歩みをすすめたいと考えます。

2008年7月