韓国の知性、新しい時代を語る

韓国の知性、新しい時代を語る第10回


6・15南北共同宣言と2013年体制
白楽晴(ソウル大名誉教授、韓半島平和フォーラム共同理事長)
2012年6月14日

【掲載にさいして】
 久しぶりに韓国から白楽晴氏の論考が届きました。この「6・15南北共同宣言と2013年体制」はさる6月14日ソウルでひらかれた「6・15南北共同宣言12周年記念式」(ソウル市、金大中平和センター、韓半島平和フォーラム共同主催)での白楽晴氏の講演です。
 「6・15南北共同宣言」にかかわる会合や集会はいくつかひらかれていますが、上記の集会は開会の辞を述べた朴元淳ソウル市長をはじめ林東源元統一部長官、韓明淑前国務総理ら各界からおよそ千人が参加して開催されました。
 今回の論考は4月の総選挙以降、年末の大統領選挙にむかう韓国の政治、社会情勢について述べられているだけでなく、白楽晴氏が提起してきている「2013年体制」にむけて、何にどう立ち向かうべきかを説得力高く語ったものです。
 今回も掲載にあたっては青柳純一氏(仙台コリア文庫)のご尽力をいただきました。
 先月(6月)には青柳氏の翻訳で白楽晴氏の論考を体系的に集めた「韓国民主化 2.0 『二〇一三年体制を構想する』」が岩波書店から刊行されました。青柳氏のご厚意でこの書の「訳者解説」(あとがき)を白楽晴氏の講演に「付録」として掲載します。
 あわせてお読みいただくことで、白氏の講演の意義も一層深く伝わると考えます。

 本日私たちは6・15共同宣言12周年を記念するために集まりました。歴史的な事件の記念式ですが、多くの方々が複雑な思いでいることでしょう。6・15共同宣言の署名者で、金大中平和センターの創立者であった金大中元大統領がおられない状態で催す三度目の記念行事である上に、元大統領が最後に出席された9周年行事の時も祝祭の雰囲気とは程遠いものだったと記憶しています。

 当時は盧武鉉前大統領が不幸にも逝去された直後で、結局金元大統領にとっても、それが最後の公開演説になりました。金元大統領は“6・15に戻ろう”というタイトルの記念式で、まるで政治的遺言を残すかのように、「切に心から、血の滲む思い」で“行動する良心”になろうと訴えました。「行動しない良心は悪の仲間」とまで言われました。そして李明博大統領に、「もし李明博大統領と政権が今のような道を進み続けるならば国民も不幸だし、李明博政権も不幸だと確信をもって申し上げ」ると言われました。

 しかし、李大統領は金元大統領のこの忠告と警告をずっと無視してきました。6・15に戻るどころか、2010年には天安艦沈没を口実に、いわゆる5・24措置を発表して6・15以来、いや盧泰愚政権以来、たゆまず続けてきた民族和解の流れを覆して南北交流を完全に遮断しようとしました。結果的に、北の核能力だけが格段に強化されて中国依存度が高まり、むしろ韓国経済に莫大な損失をもたらしました。国際舞台でも韓国の役割はお粗末の極みになりました。民族も不幸に国民も不幸になったのはもちろん、最近の状況を見ると、金元大統領がおっしゃった通り、李明博政権も不幸と言わざるをえません。

 他方、国民は金元大統領の心からの叫びを無視しませんでした。2010年6月の統一地方選挙で、政府の“北風”攻勢にもかかわらず、与党ハンナラ党に敗北をもたらし、南北関係とは直接関連しない2011年10月ソウル市長補選でも、反省することを知らない李明博政権に再度鉄槌を加えました。さらには、今年4月の総選挙の結果は、金元大統領の遺志に反して自分たちの小さな利益に汲々とする野党への信任拒否であり、政府与党の独走を次期国会では容認しないことを鮮明にしたものでした。同時に、野党勢力がきちんと自己を革新して団結すれば、12月大統領選挙に勝利する可能性も開きました。


 要は、今後の私たちのやり方次第なのです。李明博大統領は今さら変わるはずもないし、変わるほどの力もありません。これ以上大きな事故を起こさないよう、最近になって小出しに許容してきた民間接触を多少とも拡大するよう、望むだけです。他方、現与党のセヌリ党で最強の大統領候補・朴槿恵議員は李大統領との差別化を掲げ、6・15共同宣言と10・4宣言に対する原則的承認を語ってもいますが、果たしてどれほどの真剣さと内容があるものか、疑わしいです。彼女を取り巻く人士の顔ぶれも問題ですが、自ら平然と繰り広げる思想攻撃や、独裁時代に私たちがうんざりするほど聞かされた‘国家観’も問題です。結局、私たち国民一人一人が“行動する良心”となって政界と社会全体の刷新を主導し、朝鮮半島の平和と民主主義に対する確信と経綸を備えた指導者を選択しなければなりません。

 その過程で、私たちは最近論議になった“従北(対北追従)主義”の問題も、きちんと整理する必要があります。李明博時代4年余りを経て進行した韓国の大手メディアの低質化は、6・15共同宣言に対する支持自体を“従北”ないしは“親北左派”と攻撃する言説を日常化してきました。これこそ“従北”問題に対する公開的論議と批判をむしろ難しくさせ、少数の従北勢力に安全な隠れ家を提供しました。大韓民国の国益と朝鮮半島全体の住民の安全および暮らしの質の改善のために、北とも疎通して接触しながら必要に応じて協力するという“通北”と、南北対決の状況で北当局の路線に追従する“従北”の違いを曖昧にしてしまったのです。最近、統合進歩党内の問題を契機にして大統領から与党や保守メディアまで口をそろえて従北主義の問題を掲げ、大統領選挙での楽勝を夢見ています。だが、私たちはこの討論を拒むべき理由がありません。

 “従北”と“通北”は当然区別しなければならず、私たちの選択は明確に従北ではなく通北です。ただ、従北主義に対する非難がどういう観点でなされているかが重要です。それは長年来の反共主義や国家主義ではなく、民主主義の原則に立脚しなければなりません。そして、6・15共同宣言の合意通り、朝鮮半島の平和的のみならず漸進的かつ段階的な統一のために、最小限私たち南の国民だけでも“第三の当事者”として、重ねて言えば、北の政権はもちろん、わが政府にも屈従を拒否する主権者たる市民として、屹立する姿勢で臨まねばなりません。

 そうした原則と姿勢にそって野党の整備が達成した時に、初めて大統領選挙の勝利が可能となり、勝利後の新時代の建設に成功することができるでしょう。


 2013年の新政権の発足とともに私たちが切り開こうとする新時代を、私を含めた多くの人々は“2013年体制”と呼びます。1987年6月抗争を通じて出発した韓国現代史の新たな時期をよく“87年体制”と言うように、これに匹敵するレベルの新たな出発を実現しよう、という趣旨です。87年体制は、軍事独裁の終息と経済分野での自由化、南北基本合意書と6・15共同宣言、10・4宣言のような南北関係の発展など数多くの成果を残しました。しかし、国内外の諸事情から跳躍すべき時に次の段階へ跳躍できず、初期の建設的動力が次第に失われていき、社会的混乱を増大させました。その渦中で、“先進社会への跳躍”を掲げた李明博候補が当選しました。しかし、こうして権力を握った李明博政権は、跳躍どころか退行と暴走を繰り返したため、今や民主、民政、正義、平和などすべての面で、総体的危機に直面することになったのです。

 この危機を克服し、真の跳躍を今度こそ達成する2013年体制において、6・15共同宣言は核心的な位置を占めます。単に6・15共同宣言と10・4宣言が切り開いた南北和解と平和・協力の歴史を復元すること以上の意味をもっているのです。2013年体制の南北関係は、この間両宣言を否定してきた勢力に対する国民的膺懲の鉄槌を土台にして進行するでしょうし、それだけ朝鮮半島の平和体制の樹立と南北の漸進的再統合の過程で、“第三の当事者”の役割が増大することを意味するのです。民主主義と南北関係の発展、そして民衆生活の改善において、以前にはなかった順理に適う循環構造が準備されるのです。

 実は、87年体制が帯びていた本質的な限界は、6月抗争が1961年以来の軍事独裁体制を終わらせたとはいえ、軍事独裁の基盤をなした1953年来の停戦協定体制を根本的には変えられなかった、という事実にありました。分断体制を揺り動かすことはできたけど、越えることはできなかったのです。しかし、これを越えて新しい汎朝鮮半島的秩序の建設の道を切り開いたのが6・15南北共同宣言です。その延長線上で停戦協定を平和協定に変えることができるか否かにより、2013年体制の成否がかかっているのです。

 もちろん、6・15共同宣言自体に平和協定に関する言及はありません。当時は朝鮮半島と東北アジアの平和に関して、周辺の関連国の合意がまだなかったからです。6・15共同宣言の発表後、米・朝共同コミュニケが2000年10月に初めて出され、2005年9月北京での第四回六者協議で重要な当事国間に9・19共同声明という包括的な合意が初めてなされました。しかし、米国にブッシュ政権が登場して以来、様々な障害が続出しました。何よりも“第三の当事者”たる私たち南の市民の準備が不足しており、“行動する良心”が不十分でした。その結果、大多数の国民も不幸で民族も不幸で、大統領自身も不幸になりました。そうした今日の状況において、私たちの力で政治を変え、社会を変えるのに成功するならば、2013年体制の到来を妨げる外部勢力はないでしょう。今年の12周年式典が、6・15共同宣言の発表を複雑な思いで記念する最後の席となるよう、心から念じています。ご清聴、ありがとうございました。


(附)白楽晴「二〇一三年体制」論について
「韓国民主化 2.0 『二〇一三年体制を構想する』」 訳者解説  青柳純一

*掲載にあたって、縦書きの「訳者解説」を横書きにあらためたため、一部算用数字の表記に手を入れた。書物原文との異同につきご理解を。
1.はじめに
 本書は本来、著者・白楽晴(ペクナクチョン)の『どこが中道で、どうして変革なのか』(チャンビ、2009年)の翻訳書として2011年中の刊行をめざして準備された。しかし、五月に発表された「『二〇一三年体制』を準備しよう」(本書第11章)以後の著者の旺盛な執筆活動により、2012年初頭には韓国で『二〇一三年体制づくり』という新著が刊行されたため、掲載論文を大幅に変更せざるをえなかった。とはいえ、それは翻訳者にとって大変ではあっても、楽しい「仕事」だった。なぜなら、「二〇一三年体制へ向かう韓国」の成否を左右する2012年4月の総選挙直後に、本書をよりリアルタイムで、より意味深いものとして日本に紹介できるからである。
 結果として、最初に準備した本からの訳文は第二部の論文5本に限られる。そして、新刊書の主要論文4本を第三部にまとめて配し、短文を第一部と終章に挿入した。そうすることで、著者の「二〇一三年体制」論の輪郭を明らかにしただけでなく、後述するような著者の実践活動を通じて、今日の韓国の連合政治の基本となる考え方がかなり詳しく紹介できたと思う。本稿では、第三部を中心にして二〇一三年体制の基本的な内容、背景とともに、2012年の二つの選挙がもつ歴史的意味と著者の立場などを、簡単に解説していきたい。

2.「分断体制論」と2010年二つの大事件
 本書の著者が、「分断体制論」の原型を提示したのは1980年代半ば、まだ全斗煥軍事政権の時代だった。以来25年余り、皮肉にも、金大中、盧武鉉政権後の反動である李明博政権下になってようやく、彼の「分断体制論」の真価が正しく、幅広く理解されるようになってきた。その原因は後述するが、2010年の二つの大事件(天安艦事件と延坪島事件)が大きな転機となり、その理論的発展ともいえる「二〇一三年体制論」が形成されたのである。
 まず、著者が提起した「分断体制論」は朝鮮戦争(1950年6月〜53年7月)が終わる時点以後を対象とする。つまり、「(一九)五三年体制」ともいえる「分断体制」は、その後今日まで60年近く続いているが、大きな転機が二度あった。その最初が、1987年6月民主抗争を契機とする韓国内の民主化と、これに前後する米ソ冷戦体制の崩壊であり、この時期を境に分断体制は固着期から動揺期に移行し、それが現在も続いていると著者は言う。次の転機は2000年6月の金大中・金正日による南北首脳会談であり、南北関係に関する限り、これを境に分断体制は解体期を迎える。
 この首脳会談後、開城工業団地などの経済協力を筆頭に、金剛山観光事業などを通じて交流・協力関係は市民レベルでも一気に拡大し、平和的な南北関係は国際社会の支持も得て、韓国経済・社会に対する信用と安定感を増大させた。しかし、守旧勢力はこれに危機感を抱き、金大中、盧武鉉政権の「太陽政策」(=包容政策1.0)を集中的に攻撃し、両政権内部の葛藤もあって政権を奪取した。それが李明博政権の成立(2008年)であるが、その経済政策の根本にある新自由主義的な考え方に加え、リーマン・ショックの影響もあって庶民生活は厳しさを増し、財閥依存の経済政策は世代・階層間の格差拡大を深刻化させた。
 こうした時期に起きたのが、2010年3月の天安艦事件と同11月の延坪島事件に象徴される南北の緊張激化であった。この両事件は、日本国内では「北朝鮮の犯行」と断定的に報じられているが、北が自認する延坪島事件はともかく、「天安艦の沈没に対して政府発表を信頼する」との回答は、韓国内では三分の一程度にすぎない。この事件の経緯を振り返れば、3月末の事件発生直後は大統領自身が極めて慎重な態度をとったのに、選挙前の5月24日大統領談話の形式で対北強硬方針を宣布し、結局6月2日の統一地方選挙で与党は敗北を喫した。この直後に著者は、「長い歴史の流れに位置づけてみると、今回の選挙は韓国の民主主義と朝鮮半島の平和プロセスが谷底に落ちて反転する決定的な契機という評価を受けると思う。私たちの歴史の命運を分かつ決定的事件」になりうるとし、大統領自らが対北強硬方針を鮮明にした与党に対し、民意は逆に、「6・15宣言後の10年間の南北和解の進展」を支持し、それが「生活上の利害と直接結びつくようになった証拠」だと解説する。
 そして、延坪島事件後の論評「常識と教養を回復する2011年を」(第三章)では、両事件の関係について二つの仮説を提示する。以下の著者の論理展開の明快さ、説得力は本書を参照していただくこととし、ここでは触れない。結論的に言えば、著者はこの事件の真相究明が「民主主義と南北関係改善の決定的な環」とみて、ここに今後の重要な課題があると強調する。いずれにせよ、この「事件の背景には累積された南北間の敵対関係がある点は、誰もが認めて」おり、それをどう解きほぐすのか。結局、「政府の政策を変えるか、政府自体を交代できるのは韓国の国民だけである」。

3.2011年:「二〇一三年体制論」と連合政治の進展
 さて2011年3月、金鎮淑(キムジンスク)という女性労働者が釜山・影島(ヨンド)造船所の高層クレーン上で解雇撤回の座り込み闘争を始めた頃、著者は市民平和フォーラムの席上、「二〇一三年体制を準備しよう」という講演を通じて「二〇一三年体制論」を提起した。それは、2012年の二つの選挙で勝利するためにも、「二〇一三年以後」から考えるという「逆の手順を踏む」提案であった。そこで彼は、「市民社会の各分野で日々の問題を解決する作業と、朝鮮半島に平和体制を設計して南北連合を準備する作業を、同時に進めていかねばならない」と訴えた。当日、この提案は「参加者から概ね好意的な共感を得」たため、5月には「内容を修正、補完して」『実践文学』夏号に掲載(第11章)され、「活動家や論客だけでなく政治家の間でも少なからぬ反響を呼び起こした」という。
 同年7月、「二〇一三年体制の建設」という「大願を共有する人士が集」まって、「希望二〇一三・勝利二〇一二円卓会議」が開催され、「二〇一三年以後の新たな民主共和国のビジョンと価値、政策を実現するために、二〇一二年に勝利する方案について、国民とともに民主・進歩勢力が論議し、模索し、準備するのを助けるために最善を尽くそう」(円卓会議・各界および市民団体代表二一人の共同声明文より)と合意した。その記者会見で著者は、2012年の選挙にあたって「有権者の非難と歴史の断罪を避けようとするなら、政治家と市民社会の活動家、一般市民が『希望二〇一三』の大きな夢を共有し、各自の矮小な打算を越えていくことが唯一の道です。政治家にそれができないならば、市民が立ち上がり、そうするように働きかけねばなりません」と言明した。
 翌8月、呉世勲ソウル市長は市内の学校給食を無償化する問題で住民投票を実施し、これに敗北すると辞意を表明したため、突然ソウル市長補欠選挙の実施が決まった。このため9月初め、上記の円卓会議と野党四党の代表が国会内で会合をもち、「『二〇一三年希望の大韓民国』をつくる課題の切実さと厳粛さについて認識を共有」し、「共同努力の一環として野党四党と市民社会の政策力量を集めていく作業を迅速に始め」、「ソウル市長を含めた10・26補欠選挙など今後の選挙」に「共同で対応するという原則を確認」(共同記者会見文)した。席上著者は、「誰が野党側の単一候補になるか以上に候補の選定過程」が重要であり、「土壇場での候補単一化」ではなく、当初から「単一候補」を選ぶ道が望ましいと述べ、野党四党に「国民を恐れる気持」をもつように要望した。
 こうして行われたソウル市長補選などの結果を総括した著者は特に、@野党の連合政治が共同候補を事前に選出して候補者一人を登録するレベルに進化した点、A市民運動出身の無所属候補が野党―市民社会の連合勢力の旗手になった点、B二〇一三年体制の到来を実感させた点、という三つを挙げる。
 実はこの間、前述した金鎮淑氏は300余日間座り込み闘争を続けたが、「残酷な風と石礫のような雨、肌をはがすような日差しと長期間の不安」(金鎮淑ツイッター文)に悩む彼女を支援する動きは、「希望バス」運動と命名されて全国に拡散していった。また、「権力や資本の無慈悲な行動と弱者の疎外状況への憤怒」から「抵抗と連帯」を呼びかけた「文化芸術人の希望バス支持宣言」への反響も大きく、結果的には12月彼女は解雇撤回を勝ちとるが、ここにも「二〇一三年体制」に向けた新たな息吹が感じられる。

4.2012年:二つの選挙と二〇一三年体制づくり
 2月現在、日本の外務省ホームページの「最近の韓国情勢」は、「李明博政権は、急激な物価上昇による庶民生活への圧迫、所得格差の広がり、雇用低迷などにより、昨年五月以降支持率下落」で始まる。ついで、「支持率の推移」を見ると、2011年初めから急速に低下しているのがわかる。私自身も延坪島事件後に訪韓して実感したが、当時韓国への観光客は激減して各種の経済指標も悪化し、物価も急上昇していた。その影響が極めて大きいのではないか。つまり、南北関係の悪化は韓国の経済・社会にも大打撃を与えたのである。
 さて、去る4月の「総選敗北」という結果をどのように受けとめるか、著者の誠実な総括は序文に詳しいが、訳者なりの感想もここに付言したい。
 韓国は大統領制なので、大統領選挙の結果が次の5年間(実質4年)を決定づける。特に南北関係を含む外交関係は、誰が大統領かによって全く異なるので、「二〇一三年体制」の根幹を大きく左右する。それは大統領を支えるスタッフ、つまり大統領府だけでなく内閣全体に及び、国会は行政全般をチェックできるだけと言っても過言ではない。そのため、今年12月の大統領選挙までの約8カ月間に、何をテーマに、どういう大統領が選ばれるか、そのプロセスも含めて「二〇一三年体制」の内実を生み出すことになる。
 そう考えると、今回の総選結果は与野党双方の特色、その強みと弱みが垣間見えるという意味で、実に示唆に富む。まず野党連合(民主統合党と統合進歩党)側は、「連合政治なくして選挙の勝利なし」という現実を実感した。すなわち、同じ「敗北」でも「野党連合」がなければ、ソウル首都圏も含めて惨敗を喫しただろう。少なくともソウル首都圏の選挙区でダブルスコアの差で勝利できたのは「野党連合」の成果であり、大統領選もこれがなしには勝利はない。ただ、現政権の政策批判ばかりで自らの政策を提示できなかったため、「大統領と与党の影が消えた(影を隠した)選挙」で敗北せざるをえなかった。逆に、与党・セヌリ党(朴槿恵)は「強力な野党連合」への危機感、不安感をあおることで保守派の総結集をめざした。そのため、韓国東半部の選挙区、つまり本来の保守派の地盤では圧勝したが、ソウル首都圏など与野党競合地域では、その限界を露呈した。したがって、与野党の勢力圏が農村部の東西分割に加え、都市部での新旧両勢力の葛藤という現状が鮮明に浮かび上がった。
 では、「二〇一三年体制づくり」をめざす野党側が勝利するためには、何をテーマにして、いかなる戦略が必要か。その要点は本書の序文に、また基本的な内容は本書のいたるところに散りばめられているが、翻訳者として一点だけ触れたいことがある。それは、韓国人の「歴史認識の希薄さ」についてである。もちろん、著者のように深い見識や歴史認識に基づく「知識人の省察」は数多いが、これが影響力をもっているとは言い切れない。特に対日政策において、歴史認識がもつ意味の重要性にもかかわらず、金大中大統領以外には、そこに「哲学」が感じられない。もっとも、日本の政治家にそれを求めるのはまさに「天の星をつかむ」状態で、お恥ずかしい限りゆえ、何かを言える立場にないことは、私も深く自覚している。とはいえ、今年末の大統領選挙で「韓国人の歴史認識が問われている」のは確かである。

5.新しい市民社会と知識人の役割
 さて、こうした問題点も含めて、韓国社会とりわけソウル地域は、12二月の大統領選挙を通じて大きく変わろうとしており、新しい市民社会の息吹が感じられる。その過程で中心軸となるテーマは、本書が強調する、南北平和共存への志向と社会・経済システムの民主化を表裏一体とする「二〇一三年体制」づくりであり、そこへの「市民参加」の規模がカギになる。
 かつて小田実は、「新しい価値体系」を「意識的につくり出すことが知識人の責務だろう」(『日本の知識人』、講談社文庫、1980年、340頁)と記した。昨年来発表された、著者・白楽晴の「二〇一三年体制論」に関する論文を読みながら、「新しい価値体系」に基づく社会を「意識的につくり出すことが知識人の責務」であると語りうる時代の到来を予感した。おそらく2〜3年たてば、この「新しい価値体系に基づく社会」が本格的に始まるはずだが、ここで著者に関連して最も印象的なことに触れておきたいと思う。
 それは学者・知識人、もしくは人間にとっての「専門性」あるいは「中心的テーマ」がもつ意味である。周知のように、著者は英文学者であって、いわゆる「社会科学者」ではない。そのため、韓国社会において長い年月にわたり、彼の「分断体制」論は正当な評価を受けてきたとは言いがたい。当初は彼自身も、「本来ならば、私の仕事ではない」という意識があったのではなかろうか。だが、皮肉にも、彼がいわゆる「専門家」ではなく、すぐに韓国社会に受け入れられなかったために、彼の「分断体制論」は深められ、より実践的な「二〇一三年体制論」へと進展できたのである。そしてこの点こそ、「分断体制の克服」を自らの「中心的テーマ」「生涯にわたるテーマ」としてきた、知識人たる著者の「真髄」であり、「本願」だと言えるだろう。
 では、その理論化の歩みを支えた原動力は何だったのだろうか。1950年朝鮮戦争中に著者の父親は拉致され、そのまま行方知れずとなった多くの「知識人」の一人であり、戦争の悲惨さと平和の貴重さを身に染みて感じている。また、1960年代以後の民主化闘争の過程で自らも友人も、そして出版社も何度かの弾圧を受けたため、独裁政権の過酷さと民主主義の真価を胸深く刻んでいる。そして、それこそが「分断体制論」と「二〇一三年体制論」を構築する原動力であり、「時代の試練」がむしろ彼を鍛えたのかもしれない。
 あらためて著者個人を評すると、私が接しての印象と周囲の人々の評価を総合すると、「知識の豊富さ」「精神の柔軟さ」は当然として、「道人たる生活態度、生き方」、いま風の言い方をするならば、知識人として最も望ましい「持続可能な生き方」の実践者である。加えて、経済・社会・文化のバランスを考えた「総合的な政治判断」に優れ、20世紀東アジアの歴史認識を踏まえた現実感覚と未来へのビジョンをあわせもつ。そして、彼の「不屈の楽天さ」(それはおそらく韓国現代史、あるいは韓国人への「信頼」からくるもので、本書全体を通底している)こそ、現代知識人の鑑ではないかと思う。
 なお、「時代の試練」といえば、日中戦争と朝鮮戦争という「熱戦」の後に、米ソ「冷戦」の渦中で分裂を強いられた東アジア近・現代史、そこで生みだされた「知恵」の到達点が、南北和解に向けて広範な中間層・中道勢力の結集をめざす「二〇一三年体制」論ではなかろうか。その本質は、対立・対決する両勢力に「共生のための妥協」を迫る、双方から自立した「第三勢力」としての市民勢力が事態を主導する時代の「理論」である。こうした理論の形成こそ、南北対立の間で成長してきた韓国民主化(市民勢力)が、1987年6月民主抗争以来25年にして、ようやく主導権を握る時代の幕開けを意味するのだ。

6.東アジアの平和と日本への影響
 最後に、日本との関連について触れれば、著者は李明博政権下では、@原発を含めて国民から真実を隠し、積極的に嘘をつく体質が蔓延し、A土建国家的体質が強化され、B公職者などの間で短期的な利益追求に没頭する風潮が拡大したというが、これらの特色はほぼ戦後日本の歴代政権とも重なる。つまり、米国との関係も含め、戦後日本を凝縮して体現したのが李明博政権だと言っても過言ではないだろう。
 いずれにせよ、本書を翻訳しながら日本人として痛感したのは、35年間に及んだ日本の植民地支配が今日まで60年近い分断体制の礎となり、今もその分断体制の一翼を担っているという「歴史的責任」の重さである。ただ、この重さを自覚し、それを引き受けてこそ、アジアの人々と和解して日本社会の未来を切り開くという展望も見えてくるだろう。そして、それこそが「未来志向の友好関係」といえるのではないか。
 以下、「二〇一三年体制の韓国(および朝鮮半島)」と向きあいながら進まざるをえない日本社会、日本人を考えていく際に、どうしても必要な座標軸あるいは羅針盤を鍛えてくれる三つの課題を挙げてみたいと思う。
 その第一は、著者が語る「分断体制下の南北」の隣国として、米ソ冷戦体制の下でこそ驚異的な経済成長を達成してきた日本、そしてこの分断・冷戦体制の下でこそ身につけた日本人の思想状況は、近年すでに解体・崩壊過程にある。1990年前後までの日本の経済発展、それ自体が朝鮮半島および東アジアと隔絶した、「分断された社会」の発展だったことを自覚し、早急にこの「分断克服」をめざして努力する必要がある。
 第二に、この「努力」の中で最も必要なことは日本の近現代史を読み直し、これを直視して「平和国家たる戦後日本」の歴史的責任を、東アジアの「平和づくり」に参加することで果たすことである。ある意味では、これが最も難しく、それだけに最も重要であり、また東アジアの人々に最も歓迎されるに違いない。具体的に一例を挙げれば、私の若い友人だった「原爆被害者二世」金亨律さんのような韓国人の原爆被害者の存在に向き合うことである。彼らの存在は、当時の日本社会が単なる「原爆被害者」ではなく、「東電原発事故」とは別の次元とはいえ、「原爆加害者」でもあったことの証左である。彼らの存在を知ることは、「東電原発事故」の教訓を生かす道にもつながると確信する。
 これと関連して第三には、21世紀日本の未来責任として、近代日本が取ってきた「脱亜・経済成長」路線からの決別である。これは「脱原発」への道とも重なるが、「持続可能な社会発展の在り方」を、「二〇一三年体制」の韓国と共同で模索していくことが重要である。この点からも、著者の序文末尾にある日本人へのメッセージに、訳者も全面的に賛同するとともに、その自覚を深めていきたい。思うに、韓国社会の市民参加型変革にあたっては「分断体制の克服」が中心軸となるように、日本社会の同種の変革にあたっては、「脱原発への道」が中心軸になるのではないか。昨年来のフクシマ、いや「東電原発事故」の真相究明と原発の再稼働問題を国民的に、徹底的に論議していく中で、日本人自らの意識変革が迫られているのである。
     *    *    *  
 末筆ながら、昨年5月に論文「二〇一三年体制を準備しよう」の発表以来、同論文の重要性と社会的影響を勘案し、私とともに刊行時期を見守って下さった当時『世界』編集長の岡本さんをはじめとする岩波書店の方々、そして常に様々な面で相談しながら拙訳書の刊行に協力してくれる青柳優子に深く感謝したい。そして、何よりも新刊書の翻訳まで快諾してくださり、拙訳文すべてを丁寧にチェックし、アドバイスして下さった白楽晴先生に心からの謝意を申し上げたい。先生の「本願」といえる「二〇一三年体制」の確立に合わせ、本書が日本での連帯を準備する書になることを願って結びとする。
  2012年5・18に寄せて